第28話 奇跡の人

 怒号とともにセツガが放った冷気が、一気に会場中に広がる。


 ロドはとっさに防御術を張って身を守ったが、会場中の壁という壁は凍りつき、入り口さえ氷で塞がれてしまった。


 それだけではロドを仕留めきれないことを知っていたのか、セツガは間髪を容れず次の術を唱えようと杖を構える。

 そしてその途中であることに気付いたのか、まるで汚れを見るような目で眉をひそめた。


「自分の背後を襲った者をその背に守るか、これは恐れ入ったな」


 その言葉の通り。ロドは自分の背に、へたり込んだままその場に残されていたフブキをかばう格好で防御術を張っていた。自分を害そうとした相手を守って。

 しかしそうしなければ生身のフブキは、先程兄が放った冷気で完全に凍っただろう。


 むしろ弟が倒れている状態で先のような攻撃を行うことこそ恐れ入ると、ロドはセツガを見据えた。

 その言葉に氷の男はただ一つ鼻を鳴らす。


「馬鹿なやつだ。そいつが何も知らずに市長に脅迫状など送ってしまったものだから、計画を変更せざるをえなくなった。哀れにもスオウには、脅迫の罪まで重ねて背負ってもらうことになってしまった」


 当初、スオウと水の組織との関係は伏せられ、彼が死んだ後に発見される遺書で初めて彼の犯行の動機……リン氏との恋愛関係の破綻による怨恨が明かされるはずだった。

 痴情のもつれ。人々の目を引くそれがいかに大きく報じられるか、それが市長失脚計画の要だった。水の組織の最初の目的はそれだけだった。


 纏わり付いた冷気を振り払って、ロドは杖を構える。

 詰めて離れて、向かい合う魔術師はお互いの手元から目を離さない。


 計画というものには必ず伝達の穴があるもので、当初の目的を知らないフブキが、セツガの意図しない所でリン市長に脅迫状を送ってしまった。そして伏せておくはずの水の組織の名が明るみに出てしまったのだ。


 しかしそうなってしまった以上、セツガはそれをも利用することにした。

 市長にもう一つの汚名……反対していたはずの組織の構成員と懇意だったという汚名を着せる。


 水の組織の名を表に出すことで、組織が狂気をはらんだ集団であることが世に知れてしまうが、同時に市長への人々の更なる不信を買うことができると踏んだのだ。


「兄貴……!」


 至近距離で始まった戦闘にようやく目が覚めたのか、床にへたり込んでいたフブキが起き上がる。

 状況を観察した彼はそのまま、ロドの背中に取り付いて羽交い締めにしようとした。


 揉み合う格好になった二人に向けて、すかさずセツガが術を唱える。相変わらず弟を巻き込んでもいいという姿勢は変わらないらしい。

 ロドは相手の術が完成するギリギリでフブキを振りほどいたが、放たれた術は既に自分の方へ向かってきていた。


 バーンアウト。


 別々の軌道を描いて飛んで来る炎の矢と空気弾が空中で一緒になって相手の前で大燃焼するという防御しづらい技だ。


 防御術を張ることはできる。しかしその技の威力を凌ぐほどのバリアを張る時間は、


「……!」


 防御術を唱え始めたロドは、セツガの放ったその術の行く先を見て、思わず目を見張っていた。

 術は途中で軌道を変え、まったく予想外の方に飛んだのだ。


 炎はロドの方へ。しかし空気弾はフブキの方へ向かっていく。

 何とかロドはギリギリで炎を躱したが、空気弾の方はそのままフブキの腹に命中した。

 短い呻きとともに、再び彼はその場にくず折れる。そこへ兄の冷ややかな声がかかった。


「お前などいなくても私一人で十分だ。せいぜいそこでロド・フェイデ・ルメギアの重石になっていろ」


 ロドが睨む先で、弟を見放したセツガはそのまま懐から何かを取り出す。

 大きな石の付いた金属の腕輪だ。しかしそれがただの腕輪ではないことをロドは知っている。


「魔力増強の装具リング……」

「残念ながらこれは試合ではない。水の組織と貴公とのだ。全力は尽くさせてもらおう」


 セツガが腕輪を巻いた腕から今までの倍ほどの魔力が立ち上るのを、ロドは見ていた。

 貴様をこの手で葬り去ってやるのが長い間の悲願だった。男はそう言った。


「有史以来、水の組織は影に表に魔術界を支えてきた。それが大会から締め出しを宣言されるなど、あってはならないことだ」


 セツガがカッと目を見開く。それ自体が閃光を放つような男の目から、ロドは視線をそらさなかった。

 セツガは言葉を続ける。


「魔術の神は、何の気まぐれでお前のような者に力を与えたのか。……何より罪深いのは、分もわきまえない貴様の優勝が、世界中の人間に自分も魔術師になれると錯覚させたことだ!」


 構えた杖から術が放たれた。

 本来なら小さな火の玉であるショット・フレアが、巨大な火球へと成長してロドを襲う。ショット系の術の速度を保ちながら、撃ち出されるままに連なって向かってくる。


 ぼこぼこと合計五発ほど、大火球がロドを襲った。そこへさらに完成したバーンアウトが炸裂する。

 即座に強靭な防御術を張れる魔術師でなければ、その攻撃で姿さえ残らないだろう。そしてそんな魔術師はプロでさえそうそういないことを、セツガは知っている。


 その場に巻き上がった爆煙を浴びながら、氷の男はとどめを確信して言葉を吐いた。


「お前の勝利が、世界を乱した。お前は魔術師になるべき人間ではなかった」


 煙の向こうの相手が魔術を撃ち返してくる様子はない。終わったと、セツガが呟いたそのときだった。


 ドンッと、爆煙の中からさらに爆発音が響いた。

 次の瞬間、まばゆい光が球状の壁となって押し出されてくる。あまりの威力に、セツガはシールドごと吹き飛ばされてその場に仰向けに倒れた。


 爆煙は一気に晴れた。

 その先にはロドがいた。纏う魔力が粒子の流れのようになり、彼女の髪を吹き上げている。

 セツガはその魔力に瞠目した。


「何だ……その力は? 先程までそんな……」


 そう呟きながら若き魔術師の足下に目をとめる。そこには彼女が先程まで身に付けていた水晶のブレスレットが落ちていた。


「貴様それはまさか……」

「試合じゃ増強の装具は使用禁止だけど、の方は持ち込み可能だからね」


 その言葉に、セツガの顔が恐慌に塗り潰されていく。

 構わず、ロドは纏う魔力を杖に集中させた。


「水の組織があたしを抹殺したいなら、それでもかまわない。……だけど、人間に区分なんてない。誰も、魔術師になりたいという意思を邪魔することは出来ない」


 完成したウインドランスはまさに神の槍のような鋭さで。

 セツガは何とか立ち上がり防御術を張った。しかしそれで防げる威力ではない。


 セツガの防御術が、大きくひび割れて中心から割れていく。そこへロドのショット・エアが、威力を抑えながら飛んでいった。

 それを浴びた氷の男は、再びその場に倒れ伏した。


 しんと、風の止んだ二人の間に静寂が落ちた。

 床に這ったまま、セツガは顔だけ起こしてロドを睨む。


 勝負あった。

 セツガの力では到底この状況の逆転は叶わぬことを、ロドはその魔力で示していた。


 すっと、ロドは伏せるセツガに背を向ける。会場の周りが騒がしくなってきた。この場の収拾はもはや救助に来た人間に任せるだけだ。

 凍りついていた会場入り口を溶かして、彼女はその場を後にしようとした。そして、


「元をたどれば、あの兄弟の不幸はお前のせいだぞ、チャンピオン」


 負け惜しみと分かっていても聞き流せない言葉で、セツガはロドの背をその場に縫い止めた。


「お前が水の組織を窮地に陥れさえしなければ、こんなことにはならなかった。スオウも普通にプロとして活躍できていただろう」

「……」

「すべての物は、今まで星が那由多の時をかけて築いてきたバランスによって成り立っている。導師院には、水の組織というバランスがあった。それをお前は一瞬で崩した」


 地の底から這いずるような声音で、彼はさらに付け足す。


「貴様は、世界のバランスを崩す悪魔のような存在だ」

「世界のバランスを崩す……」

「お前が勝利するまで、それまで世界はうまく回っていた。水は高い所から低い所へ、その流れが美しい世界を作っていたのに、その循環をお前が壊したのだ!!」


 最後の激昂に魔力が溢れ出した。吹き出した突風にロドは思わず腕で顔を覆う。

 立ち上がると、セツガは自分の周りに風の壁を作り出した。その風の壁は瞬時に人一人包み込めるだけの竜巻へと変化する。


 その中心で、セツガは空気の玉で自身を包み、風に乗ってその場に浮き上がった。

 そして眼下にロドを睨み付けながら、天井へと向かって、瞬く間に高く舞い上がる。


 そしてその姿は天井を越えて会場の外へ。

 上空に吹く風に乗り、闇夜に姿が紛れていく。


 その姿を、ロドはただ見送っていた。

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