非現実:25
「——トオルっ! トオルっ! 勝手に死んだら殺しますよっ!」
野蛮な物言いで目を覚ませば、なぜか夜空が足下に広がっているのが見てとれた。
気だるげな面持ちで前を向けば、そこには顔を真っ赤にしている黒髪の少女が視界に映る。
「……おはよう」
「は? ふざけてるんですか?」
俺を宙吊りにしている張本人であろう
「挨拶は返すものとか、言ってなかったか?」
「おやすみなさい」
「おいおいっ! 上げるな上げるな!? 降ろしてくれよっ!?」
「天に召されたいと、言ってませんでした?」
「どう考えても言ってないだろっ!?」
相変わらずめちゃくちゃなことを言う念動力者——インクは、そこでやっと俺を石床に降ろしてくれる。
しかし、こんなくだらないやり取りすら愛おしく思えてしまい、俺は本気で怒る気持ちにはならない。
冷たい地面に座り込んで、俺はインクを見仰ぐ。
「その人の死を見ると気を失ってしまうっていうの、本当だったんですね。人騒がせな人です」
「まだ信じてなかったのかよ。俺は繊細なんだよ」
「ウケる」
「何も面白いこと、言ってないんだが」
わざとらしく、クスクスとはっきり口にするインク。
きっと、彼女はまだこの世界の真実に気づいていない。
あえてこの複雑で奇妙な物語について、彼女に伝える気にはならなかった。
「さてと、どうしたんもんかな」
「何がですか? 連続殺人鬼の正体はもう暴きました。この中庭にあの
「まあ、そうなんだけどさ」
心象世界に戻ってきた俺は、頭を悩ませる。
もう、謎は全て解けた。
多重人格者の中の、主人格という概念。
今思えば、最初から俺とスノウだけは特別だったんだろう。
「もし、スノウを殺す術があるとしたら、どうする?」
「え?」
もう、何も隠す必要のなくなった俺は、ずっと隠し持っていた拳銃を取り出す。
殺害方法が、ナイフによる刺殺。
拳銃とナイフ。
俺とスノウだけが、異能以外の殺害手段を与えられていた。
「本気、ですか?」
「ああ、本気だよ」
これまでの茶化すような雰囲気を消して、インクが俺の真意を見定めようとこちらを見つめている。
アキラは俺に言っていた。
スノウだけを残して、俺は死ねと。
正直言って、馬鹿なのかと思っている。
なんで、俺が、俺たちが連続殺人鬼のために死ななくてはいけない?
現実も、非現実も、知ったことか。
俺とインクは、今ここで生きている。
それを人様の脳味噌を弄って、神様気取りをしているだけのエセ学者の言われた通りに命を投げ捨てると本気で思ってるならお笑いだ。
「だって、ムカつくだろ?」
「ふふっ。初めて、トオルと意見が合いましたね」
これはあいつが始めたデスゲームだ。
なら、最後までゲームに乗ってやろう。
多重人格も、現実での俺の罪も知ったことじゃない。
俺とインクは、まだここで生きている。
この異能の館が、俺たちの現実だ。
「スノウを殺すために、一つ手伝って欲しいことがある」
「なんですか? トオルが土下座するなら、考えてあげてもいいです」
「土下座で済むなら、安いもんだ」
「……もしいかがわしい相談なら、スノウより先にトオルを殺します」
「ある意味、いかがわしいかもしれないな」
不敵に笑う俺を、不審な眼差しで見やるインク。
俺はもう、覚悟を決めている。
俺たちには、色がない。
透明な俺の中で、色を手に入れられるのは、たった一人。
異能力を持たない俺の、最初で最後の
「インクに、死んで欲しいんだ」
—————
異能館の謎を解くのに、彼女はそれほど時間はかからなかった。
自らの異能を使って身体を透明にしているスノウは、僅かに熱の残る廊下を歩きながら、ゲームの終わりを予感していた。
あと、二人。
あと、二人。
最初こそ記憶の混濁があったが、殺人を続けていく中でここが自らの心象世界の内部だということには気づくことができた。
それはあまりによくできた皮肉に思えた。
現実の世界で、彼女はいつだって透明だった。
狭い部屋に閉じ籠り、心の殻を分厚くし続けてきた彼女は、いつも世界から見えていない気がしていた。
あと、二人。
念の為に、塔の地下廊下部も確認する。
インクとトオルの姿はない。
壁の突き当たりにある、“BLACK”の文字は壁の半分に刻まれている。
今なら、その意味が理解できる。
透明は、二人いる。
残り半分には、おそらく白い字でWHITEと書かれているのだろう。
六つの塔と、六つの色。
赤、青、緑、白、紫、黒。
おそらく、この六つの色を認識できているのは、二人しかいない。
色が見えているのが、もう一人の主人格だ。
あと、二人。
階段を上がりながら、彼女は空想の世界に浸る。
幼稚だということは、自覚していた。
念動力、予知能力、治癒能力、擬態能力、発火能力、そして透明能力。
どれもこれも、誰でも思いつきそうな、安易な超能力ばかり。
複雑で、独創性のあるものは何一つない。
そんなありきたりな異能が、もし自由自在に使えるようになったら、どれほど楽に殺せるだろう。
いつも、そんな空想ばかり、していた。
何かを殺した後だけ、彼女は自分の人格を保てていた。
記憶の断絶。
それは、言いようもない恐怖。
その恐怖を遠ざけるためには、あの命を奪う感触が必要だった。
頼りないほどに薄い皮膚。
手触りの悪い脂肪。
生臭く粘り気の強い血潮。
どくん、どくん、と脈打つ鼓動。
少し体重をかければ、簡単に折れる骨。
生きているという、あの熱を手に取れば、その熱が冷めるまでは、彼女は彼女のままでいられた。
あと、二人。
開けっぱなしだった扉を抜けて、また地上に戻る。
それでも、彼女は権利があるように思っていた。
これは、公平なゲームだ。
異能の館では、他の人格たちも自分の意識を保ち、それぞれが超能力を手にしていた。
彼女が殺される可能性だって、あった。
その中で、彼女は生き残った。
透明化能力を、転移能力と偽るたった一つのアイデアを武器に、他の異能力者の命を奪っていった。
アキラのルールに従い、淡々と殺人を重ねていった。
ここまで、失敗はない。
あと、二人。
そして、また一つ廊下を渡り、別の塔へと移ったところで、彼女は意外なものを見る。
それは、大広間の真ん中で、首を吊る黒髪の少女。
あまりに突拍子もない、非現実的な光景。
カチ、カチ、カチ。
あの音が、聞こえてくる。
インクが、死んだ。
五人目の犠牲者は、
そんなインクの目の前で、呆けたように立ち尽くす少年がいる。
トオルだ。
唯一、スノウが直接殺すことのできない相手。
一体何があったのか、何も言わずに呆然とインクを見つめ続けている。
カチ、カチ、カチ。
メトロノームが、響く。
自意識が、現実に引き戻される。
この感覚は、何度か体験している。
トオルが、誰かの死を認識したことを、スノウが確認した時。
この条件が揃った際に、その二つの主人格はアキラの下へ戻る。
あと、一人。
そこで
————
最後の二人になった時のことを、考えていた。
上手く俺は、俺を殺せるだろうか。
知らない間に閉じられていた瞳をあける。
視界には、首を吊っているインクが見える。
そして、俺の右手は、見えない誰かの手で覆われていた。
「最後の二人になった時のことを、考えていたの。どうやって、あなたを殺そうか」
拳銃を握った俺の手を握る、もう一人の手。
銃口は俺の側頭部に向けられていて、ずっと透明だった連続殺人鬼が白い色を手に入れる。
「……転移能力者じゃ、なかったのか?」
「ある意味、転移能力みたいなものでしょ? 現実と非現実を、行ったり来たり」
俺に覆い被さるようにする、スノウ。
ナイフは、もう握っていない。
透明な刃は、俺には届かないと知っているから。
「本当に、この館から、生き残りたいのか?」
「あなたには、わからない。ずっと色を持っていた、あなたには」
この異能の館から抜け出したとしても、その先にあるのは絶望だけだ。
だが、それでもいいと、この白い女は言っている。
透明なくらいなら、色のある地獄を望むと。
なら、信じてもいい気がしていた。
俺がいなくなった後の、俺自身の世界を。
「さようなら、トオル。十七年間、楽しかったわ」
ぱぁん、と跳ねる音。
俺の指にかけられた力に、逆らうことはしない。
真っ赤な血飛沫が、飛び散り、俺の顔にかかる。
拳銃の引き金を、俺の指が引いた。
銃口は俺を向いている。
発砲を止める術はない。
「……ど、どうして?」
ぽた、ぽた、と血が俺の顔にかかる。
信じられないと言った表情で、白髪の女が俺から遠ざかる。
口元から溢れる、真っ赤な血の跡。
左胸の心臓に赤黒くついた、染み。
そこで俺はやっと上体を起こす。
拳銃を放り投げて、側頭部を触ってみる。
若干火傷と皮膚が抉れた感触がして、痛みを感じた。
「少し、止めるの遅かったんじゃないか?」
息を荒げるスノウが、聡く気づいたように瞳を大きくする。
俺の背後で、とんっ、と軽く聞こえてくる足音。
衣服を無理やり繋いで作った即席のロープを首から外して、皮肉気な念動力者が笑っていた。
「そうですか? 頭蓋の半分くらいまでなら大丈夫かと思ってたところを、おまけしたんですが」
「おまけがでかいな」
「それほどでも」
この世界では、透明になれる者もいれば、念動力で宙に浮いたり弾丸を動かせる者もいる。
がたっと、膝をつくスノウ。
虚な瞳で、俺を見つめている。
怒りはなく。
ただ寂しそうに。
やがて連続殺人鬼は、胸についた赤い染みを見下ろす。
「……いいなぁ」
そして倒れ込む、スノウ。
もう、彼女は透明じゃない。
カチ、カチ、カチ。
あの音が、聞こえてくる。
スノウが、死んだ。
五人目の犠牲者は
最後の二人になった時のことを、考えていた。
銃弾は使ってしまった。
でも、俺には彼女のナイフがある。
カチ、カチ、カチ。
現実が迫ってくる。
俺は振り返って、インクを見つめる。
ゲームを、続けないといけない。
これから俺はアキラに会って、もう一度ここに戻ってこなくてはいけない。
上手に、やれるだろうか。
口の悪い念動力者を、真っ直ぐと見つめると、俺は少しだけ寂しい気分になった。
「なあ、インク」
「なんですか?」
「この館を出たら、何したい?」
意外な質問だったのか、インクが片眉を顰める。
全てが終わった時、俺たちの中に何が残るのか、それはわからない。
だから、聞いておきたかった。
俺たちが色を手に入れた先に、何があるのかを。
「とりあえず、あのアキラとかいう女を一発、ぶん殴ります」
「ははっ。それはいい。頼んだぞ、インク」
「人任せにしないでください」
「え?」
「二人で、ぶん殴りましょう」
「……そう、だな。二人で、ぶん殴ろう」
悪戯気に、インクが笑う。
俺もそれに、微笑みを返す。
誰よりも眩しい、目に焼きつくような笑み。
最後が彼女で、よかった。
きっと、これでいい。
この方が、いい。
俺たちの色鮮やかな夜明けは、もうすぐそこにある。
異能館の殺人 谷川人鳥 @penguindaisuki
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