ハル・シオンと穿つ花 -6


 声をかけてくる人たちに返事をしながら歩く。中央の一番大きなテントの垂れ幕をくぐった。明り取りは最小限のテントの中で、母がなにか書き物をしていた。


「母さん」


 ペンを止めて、母がこちらを向く。


「ただいま戻りました」

「そこにお座り」


 ペンがもう一度動き始める。椅子に座って、ひと段落するのを待つ。

 こんなものよ、と心の中でロジンにささやく。


「……お待たせ。さあ、あなたのわがままの成果を教えて」


 髪をまとめておけばよかった、と後悔を挟んでおく。椅子に深く腰掛けて、口を開く。


「とりあえず、レトは無事に帰ってきたわ。これ以上ないと思うけど」

「とりあえず?」


 洞窟の奥深くで、偉大なる御柱様と交わした約束を伝える。細い紐の上で曲芸をしたような、約束。母の目が険しくなっていくのを、どこか遠くのことのように眺める。

 深々としたため息が、わたしと母から同時にこぼれた。


「面倒なことになったわね。わたしの手に負えることならいいけど」


 黙ってうなずく。母が希望的な語尾を使うということは、自分の手に負えないと思ってるってこと。ろうそくの上で指を鳴らして、母が火をつける。

 思案に暮れる、ほほ骨の目立つ顔をなんとはなしに見つめる。誰よりも早く白髪が混じり出した髪をひっつめて、いつも仕事ばっかりの人だ。父はどこにいるんだろうか。またどこかで草をいじっているんだろうけど。冷え切った夫婦の間に生まれた娘らしく、母に父の居場所は聞かない。

 もう一度母がため息をついた。いつの間にか丸くなっていた背筋を伸ばす。


「とにかく、わかったわ。レトのことはこちらでも考えておくから、あなたは目の前の仕事をこなしなさい」


 ペンがまた動き出す。ちらっと見た限りだと、手術の道具の在庫表と注文票だ。よどみなく書かれる文字と同じく、彼女の言葉も止まることはない。


「あなた、もっと周りを見て動きなさい。指示を出す人があんまりあちこち行くものじゃないわ。教えたはずよ。周りが困るってことをもっと自覚して。あなたが将来この旅団を率いるのだから、こんなことじゃ困る」

「はい」

「いい、ちゃんと毎日考えて行動するのよ。じゃないとあなたが大人になったときに後悔するんだから」


 はい、とうなずいたら、母の視線が完全に書類の方に向いた。椅子をもとの場所に戻して、テントから出る。お昼ご飯の時間が近い。

 最優先で行くべき場所はもう一か所ある。一番人通りの少ない場所にひっそりと立つ小さなテントにそっと入る。旅団の病人のためのテントだった。

 中にはリーダイがいた。銀の髪留めが、ほんの少しの灯りにびっくりするほど鋭く輝いた。ちいさく手招きされる。

 折り畳みのベッドが並んでいた。小さな頭が二つ。レトとテトだ、とすぐにわかった。今は寝ているらしい。ベッドを避けて、リーダイが裏の出入り口から出ていく。ついて来いと言われている。

 ふたりの寝顔をさっと見て、一応安心しておく。外に出たら、いつもの明るい顔を引っ込めて、冷たい目をしたリーダイが立っていた。


「どうしたの、リーダイ」


 声が少し震えてしまった。リーダイが目を伏せる。冷たく燃え盛る瞳を隠すように。


「なあに、リーダイ。黙っていたらわかんないわ、わたし……」

「……わたしは」


 押し殺した声だ。わたしは、とリーダイがもう一度言う。


「旅団の決定に逆らったことはない。そして、唯々諾々として従ったわけでもない。つまり、わたしじゃなくて、ハルが総領娘になることは、考え抜いて承諾したんだ」


 ぐっと唇を噛む。深い湖のように青いリーダイの瞳。生まれたときから決まっている許嫁。まだまったく年若いのに、ベース・ノワールの半分を取り仕切っている。最期を看取ったひとの数は、わたしではまったく及ばない。

 本当なら、リーダイが総領娘として、将来の長として選ばれる予定だった、のだ。三回の瞬きは内密の話しがあるということ。旅団の中でも、限られた人間だけが知る合図。それを操れるような教育を受けた人だ。


「……リーダイが、考えなしなんて、思ったこともないわ。当たり前でしょう」


 あかぎれの目立つ手が、わたしの手首をつかんだ。布越しでもわかるほど冷たい手だ。


「ハル。わたしは今でも、ハルが総領娘を降りるというなら、それで構わないと思っている。わたしがその地位に戻る準備も、いつだってできている」

「なに? 急にそんなこと言って……」

「ハルの毒は」


 話しが飛び飛びで、頭がついていけない。リーダイと総領娘。わたしの毒。手袋の中を冷や汗がじっとりと濡らす。


「ハルの、毒は、生まれつきだと、思っていた。ハルも、そう思っている」

「……うん」

「その毒のせいで、ハルは子どもを産めない」

「そうよ」

「そんなわけない」


 思考。断定。実行。わたしより正確に迅速に行われる思考回路。


「だったら、どうして、ハルのお母さんに中毒症状が出ていない? 記録は確認したよ。ハルのお母さんは健康な妊婦だった」


 そんなこと言われても、わたしにわかるはずない。リーダイの目がらんらんと光っていた。わたしを見下ろす金のまつ毛が揺れている。こんなに感情的な姿は初めて見た。


「抗原体が稀な血液はあるだろう。特殊な抗体をつけた血液だってある。でも、生まれつき血に毒が混じっているなんて。その両親は健康な普通のひとなのに」


 リーダイの手に力が入る。痛い、と思わず声に出た。彼女の手を振り解きたいと思ったことなんてなかった。こんなに急に彼女が怖いことを言ったこともなかった。彼女の言葉から耳をふさぎたいなんて、高い位置にある目から、視線をそらしてしまうことなんて、なかった!


「なんで今まで気づかなかったのか、己の愚かさに吐き気がする。そんなことするはずないって信じたかったのかもしれない。ねえ、ハル、ハルは」


 きんと耳鳴りがした。


「ハルは、親から毒を飲まされていたとしか、」

「言わないで!」


 叫んだら、すべての金縛りがとけた。力任せにリーダイの手をほどく。そのまま力任せに突飛ばしたら、あっけなくリーダイは尻もちをついた。無意識に息を止めていたのかもしれない。酸欠で頭がくらくらした。ずっと見上げていた青い瞳を見下ろす。


「言わないで。その先を、絶対に、わたしに言わないで!」

「ハル!」

「うるさい!」


 ごおっと風がうなった。テントの布が暴れまわる音が聞こえる。髪の毛を握りしめる。全身から魔法のちからが溢れていくのがわかった。爆発しそうだ。

 なにが?

 すべてが!!


「知らない! そんなことは知らない! そんなこと、わたし知らない!!」


 冷め切った夫婦。わたしから目をそらす母。一度もわたしを叱ったことのない父。わたしだけ違う食事。離れ離れの寝台。でもそんなことは知らないのだ。理解してはならない。

 そうやって守り続けた、わたしの急所を、いまさら。

 ハル、と悲鳴が聞こえた。頬に激しい衝撃を受けて地面に倒れる。無理に踏みしめた足首が痛む。肩を持ち上げられて、激しく揺さぶられた。大きな瞳がわたしをのぞき込む。


「ハル! ハル・シオン! ここがどこかわかっているでしょ!!」


 上手に息を吸えなくて、ひっ、と喉が悲鳴をあげた。

 遠くで人がざわめいている。風の妖精たちが近くですさまじい速さで飛んで行って、木の葉が舞っている。わたしの魔法が暴走したせいだ。リーダイがぐいっと乱暴にわたしの頬をこする。いつのまにか泣いていた。


「ここは病人がいるんだ。強い魔法は、障りがある」


 ここで話し出したのは、リーダイなのに。恨みがましくにらみつける。人の話し声がすぐそこまで来ている。リーダイが舌打ちをした。


「謝らないよ、わたしは。ハルに必要なことで、ハルが決めることだ」

「……」

「決めろ。決めた後のことなら、いくらでも手を貸す。ハルは、わたしの妹。わたしはハルの姉。……わたしが行うべきを、ハルが背負っている。わたしはすべてを投げ出したんだ。それをわたしはいつも、考えている」


 わたしの肩から手を離して、リーダイが歩き去っていく。テントの向こうから、はきはきとした彼女の声が聞こえた。集まってきた人達を言いくるめながら、遠くに行く。

 立ち上がろうとしたら、めまいがしてもう一度しゃがみこんでしまった。ぎゅっと体を縮める。目の前がちかちかする。胃液が口の中で苦い。わたしの髪の毛が垂れ下がって、テントみたいにわたしの視界を奪ってくれた。ぎゅっと膝を強く抱く。


「……ぜんぶ、今更だわ……」


 せっかく今まで目をそらして、思考を途切れさせて、知らないふりをしてあげてたのに。誰よりもいい子に、うなずいてあげていたのに。

 たとえば、青虫が大量の有毒の葉を食べることで、体内に毒を溜め込み、身を守ることがある。とある地域では、本来人が消化できない食べ物を消化する、特殊な消化酵素を持っている人々が暮らしている。

 何代にも渡って毒を摂取すれば、特殊な体液を獲得することはあるだろう。その間に何人かは死んでしまうだろうけど、何百年も続ければ、いつかは。

 わたしだけおかしい、と思う頭を、日常生活の不便さを愚痴って誤魔化していた。一族の中でわたしだけが持っているなら、わたしの育てられ方がおかしいのだ。

 魔女としての特性だと言う人もいた。ただ、それは違うと、大叔母に言われていた。

 ああ、とため息が出た。幼いころのわたしの面倒をずっと見続けてくれた大叔母。魔女として、成年の女性として、わたしの親代わりだった。あの人は、きっと、気付いていた……。

 わたしの持つ毒が一番強いのは血液だ。ほんの小さな頃から、血に毒を混ぜられていれば、体の細胞は自分の体の一部と勘違いして、同じような成分をずっと作り続ける。毒で死にかけたって、旅団にいれば、世界に愛された魔女の生命力があれば、生き残るはずだ。

 目が熱くなったり冷たくなったりすると思ったら、ぼろぼろ涙があふれているだけだった。涙は、赤血球が取り除かれただけの、透明な血液。この涙も毒。着替え損ねた、引っかき傷だらけの服が濡れていく。汚染。

 一生、目をそらして、生きていけるはずだったのに。

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