ハル・シオンと穿つ花 -4


「おれだよ、ハル」


 からんとランプが揺れる音がする。長めの前髪が、白い炎に光った。ロジン、と間の抜けた自分の声が聞こえた。


「ど、どうしたの。なんでここにいるの」

「迎えに行けるように、ジオンさんがしてくれたから」


 ジオンは、わたしの父の名前だった。外科手術が好きなわたしと違って、ロジンは薬草をいじっている方が好きだとよく言っているし、そんなロジンを父はかわいがっている。

 馬から降りて、近くの木につなぐ。馬は二頭立てにしてあって、少しずつ荷物が積んである。ロジンが苦笑しながらこちらを振り返ったので、慌てて右手を振って、魔法を散らす。


「よくここがわかったわね」

「煙が上がっていたから。調子はどう」

「……まあまあかな」


 焚き火越しに革袋がぽんと投げられる。なんとか受け取って紐をほどく。湿布のにおいが少し鼻に痛い。お礼を言いながら湿布を足首に巻く。これでだいぶマシになるだろう。

 ちいさく積んである木の枝を見て、ロジンが眉を上げる。


「それで足りる? ザレルト翁とハルが集めたにしては少ないね」

「あんまり火は大きく焚けないの。だから、たぶん足りるわ」

「そう……。ずいぶん寒いね」


 ふっと短く息を吐いてみる。白くなった空気が上昇して消えた。夜も深まって寒さが厳しくなっている。

 カバンを引きずり寄せる。金具に吊って乾かしていた手鍋を取って、三脚を火の近くに置く。もたもたしていたら、いつの間にか横まで来ていたロジンに道具を取り上げられた。


「いいよ、おれがやるから」


 黙って譲ることにする。ロジンが羽織っていたチャコールグレーのポンチョを代わりに渡された。肩の下で切りそろえられている髪の毛が少し寒そうだった。

 馬がすり寄ってくるのに答える。背後に落ち着いたようなので、その薄いクリーム色の毛並みに背中を預ける。わたしたち旅団の連れている馬より長い毛の、ロジンの愛馬だ。このラッチュと、少しの荷物だけで、ロジンはわたしの元に来たのだ。


「ラッチュたちは、水はいいの」

「飲ませてきた。途中で川があったから……ミルクは入れる?」

「あるの? いれてほしいわ」


 寒いんだから、うんと甘くした紅茶を飲んだっていいだろう。マグカップにミルクティーがたっぷり入っているのを差し出される。素手で受け取ったらあんまり熱くて落としてしまいそうになった。一度地面に置いて手袋をはめる。

 ミルクティーをすすりながら、歩き回って薪を集めたり、馬の世話をしたりしているロジンを眺める。湿布のおかげで足首が冷えてきた。


「ロジン、もう充分よ。明日の朝には出発なんだから、あなたも休んだ方がいいわ」

「そうかな。……そうだね」


 最後にラッチュを撫でて、ロジンがわたしの横に座った。毛布の予備はない。二つ折りにしていたのを広げて、ロジンの肩にかける。ポンチョは膝に。ハル、と小さな声で呼ばれたので、顔を向けたら甘いにおいのするなにかを口に押し付けられた。


「なに」

「チョコレート」


 ぱっと口を開いて、口の中に放り込んでもらう。苦くて甘い。どうやって、こんな高級なものを手に入れたんだろう。赤い小さな箱からもう一粒。今度は手を出して受け取る。


「休んだら。わたし、もう休んだから、平気よ」

「……そうしようかな」


 馬に添い寝してもらったら寒すぎて眠れないってことはない。向こう側で休む体勢になっている栗毛の馬の耳が横になっているのが見えた。毛布を体にかけて、ラッチュにぴったり背中をつけて、ロジンが寝転がる。

 チョコレートとミルクティーが口の中で混じっている。これだけで野営がうんと楽になるものだ。ラッチュの呼吸を背中で数えながらぼんやりしていたら、名前を呼ばれた。


「ハル」

「なあに」

「ジオンさんが無事で帰ってくるといいけどって、言ってたよ……」

「うん……」

「ハルは強いから大丈夫だろうけどって言ってたけど。でもおれが行くのを黙っていたから、心配しているんだと思う」


 やっぱり、と思いながらミルクティーをすする。単独行動なんて、徹夜と同じくご法度だ。大人の許可が出るはずない。はっと息を飲んだ気配がした。疲れてる? とからかう。


「……ああ、うまく誤魔化すつもりだったんだけどな」

「あなたが一人で来た時から薄々気付いていたわよ。ひとりで来るなんて、黙っていないと無理でしょう」

「そうだけど」


 同じ年頃の仲間の中だったら、誰よりも旅団の決まりに詳しい自負がある。そんなわたしを誤魔化すには、あまりにも雑だった。木々がかすかに揺れた。冷たい風に肩をすくめる。


「明日、一緒に叱られてあげるわ。おやすみ、ロジン」

「うん」


 何度か、迷うような深呼吸が聞こえた。


「ハル……」

「どうしたの」

「その、来たのがおれで、……ごめん」


 そんなこと、って言いながら笑いそうになった。ここが夜じゃなくて、山じゃなくて、ザレルト翁やレトがいなかったら、きっとけたたましく笑ってしまっただろう。


「なんでそんなこと言うの? ロジンが来てくれたんだから大助かりよ」

「本当は、ジオンさんが来たかったと思うんだ。でも、そういう訳にはいかないから、ハルの家族は……」

「そんなの、生まれた時からよ。これくらいであの人たちが迎えに来るわけないわ。なにを今更気を使っているの? びっくりしちゃった」


 あの人たちがわたしを迎えに来たことなんて一度もないのに。その傷口を気遣うには、ずいぶん今更だった。今更そんなことに傷つきやしない。ロジンじゃなかったら馬鹿にしているのかと問い詰めていたかもしれない。もう十三歳だ。総領娘としてどれだけのことを教えられて、躾けられたと思っている。

 本来迎えにきてもらう立場ではないのだ。わたしこそが迎える側でなくては。


「わたしがそんなこと期待するはずないでしょ。あの人たちだって、わたしを迎えに行こうなんて思ったことないわよ。きっとね」

「そうかな」

「思ったって、行動にしなきゃなんにもないのよ」


 しんと空気が静まる。唇が震えたと思ったら、やはり笑ってしまっていた。


「そんなこと気にしないで、さあ、休んで。明日の朝は早いわ」


 しばしの沈黙のあとに、おやすみ、と小さな声が響いた。


          *


 山から降りて、馬の常歩なみあしで二時間。煮炊きのにおいがしたので、大きく息を吐く。


「ザレルト翁、先に行って先触れしてきてくれる?」


 応、とうなずいて、ザレルト翁が体を上げる。駈歩かけあしで木の隙間をあっという間に抜けて行く姿は、さすがの一言だった。ロジンの前にちょこんと座っているレトをのぞき込む。

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