ハル・シオンと穿つ花 -2

 レトの瞳が細かく揺れた。おいで、と言葉を重ねる。そんな、寒いところで、一人で立たないで、わたしのところにおいで。

 わたしの言葉に、レトが激しく首を横に振る。感情的な仕草だった。


「ぼくは、もう、グランマのいったことに、うなずいた」

「あの方は、レトになんて言ったの」

「……グランマって、よんでって……」

「うん」

「ぼくは、あとつぎになれるって」


 なってって、いわれた。

 うなずいたのね、と確認する。約束してしまったなら、それをひっくり返すのは難しい。今回は年齢を盾に、無理やり理を曲げてもらっただけに過ぎない。罪を司る御柱様の、後継ぎになる、ということ。

 考えねばなるまい。わたしひとりでは手に余る。人間では手の届かない、高次の話しだ。できるのなら、信頼出来て、年かさの魔女の意見を何人かに聞きたいくらいだ。

 わたしは、魔女として満足に教育を受けたわけではない。魔女であることよりも、旅団の総領娘としてあることを選び続けてきた。まさかこんなことが起きるなんて、思ってもみなかったから。


「わかった。姉さんがどうにかするわ」

「ねえさん、でも……」

「あなたは、わたしの弟です」


 わたしが総領娘であることが決まっているように。ハル・シオン、わたしの名前。わたしの人生。わたしの呪い。決してそれからは、逃げられない。レトとテトが、わたしの弟妹であることも、まったくおなじだった。

 魔女の役目を、大叔母は定義付けることだと言った。


「レトとテトのお姉さんはわたし。なにがあっても、それは変わりません。あなたたちが独り立ちできるようになるまで、わたしが面倒を見て、わたしが育てます。なにがあっても」


 びゅうと冷たい風が吹いた。レトが地面に落とした枝を拾い上げて、わたしの横まで持ってくる。上着の裾を捕まえて、横に座らせる。


「……ねえさん」

「なーに」

「どうやって、ぼくたちが生まれたのか、しってる?」


 焚き火の音にすら負けそうなちいさな声で、レトがささやく。


「ぼくたちは、うまれる前に死ぬはずだったんだ」


 レトの顔を、自分の肩に抱き寄せる。冷たい髪が鼻に触れた。鼻の奥がつんとする。


「ぼくたちの母さんの命をぎせいにして、ねえさんのところまで行った。テトの目をぎせいにして、ぼくたちは二人ともうまれた」


 は、と吐いた息が白くなった。


「ぼくは、生まれてきちゃだめな子だったんだ」

「そんなこと言わなないで」


 手袋をしている自分が嫌いだと思いながら、レトを抱きしめる。涙をこらえているのだろう、浅い呼吸を何度も繰り返している。


「生まれてだめな人なんて、どこにもいないわ。本当よ」

「……でも」

「でもじゃない。そんなこと言う人がいたら、姉さんが絶対に許さないんだから」


 小さな手が、わたしの背中に回る。わたしの言葉は、無力なので、ただ強く抱きしめる。嗚咽は聞こえなかった。服も湿るわけではない。レトは、泣くことはないだろう。

 浅くて荒い呼吸があんまり可哀想に思えて、頭を撫でる。わたしが、あなたたちを愛している、と言葉にしても彼には届かないんだろう、と思う。それは別に誰かが悪いということではなくて、わたしやレトがたいして言葉に信頼を置いていないだけだ。

 草木を踏み分ける音がして、レトが慌てたように離れた。水がちゃぽちゃぽ揺れている音のする水筒と、たくさんの木の枝を抱えてザレルト翁が歩いてくる。ザレルト翁は、どのくらいわたしたちの話しを聞いていたんだろう、とぼやけた頭で考える。山は音が響くし、ザレルト翁は耳もいい。

 レトが顔をぐいぐいこすってから、ザレルト翁に駆け寄る。わたしは大きく息を吐いて、いつも通りの顔を取り繕う。

 ザレルト翁がわたしとレトの顔を交互に見てから、わたしの方に歩いてくる。


「飯はできたか」

「あ、ううん、まだなの。もう少し待っててもらってもいい?」

「べつに、ゆっくりやればいい。時間はある」


 笑ったら、寒さで頬が引きつった。寒い日の野宿は辛いことが増えるけど、楽しくないわけではない。いつものスープが何倍もおいしくなるだけで、その日一日は満足すべきと言うものだ。

 はやい食事を終えたら、ザレルト翁はすぐさま木の枝の間にロープを張って、大きな布を被せた。木の杭をいくつか打って、ごく簡単なテントを作る。


「おめぇらはもう休め」

「え、でも、まだはやいでしょう」

「明日は早い」


 明日は早い。そりゃあ、そうだろう。早く戻らなきゃいけない、というのはザレルト翁だって思っていることだから。

 ぐっと白髪混じりの太い眉がひそめられた。


「子どもは早く休んでおけ。レトは怪我してるんだろう、儂は治療できんから、ハルに見てもらえ」

「うん。わかった。じゃあ、三時間くらいで交代してね」

「ああ」

「絶対だからね」


 ぶっきらぼうに手が振られる。起こしてくれるかはわからない。こうやって野宿している間は、ザレルト翁の発言がの方が強いのは当然だし、わたしも強く反論することはない。

 テントの敷布の上にレトを座らせて、シャツを脱がせる。真っ白い包帯が背中にぐるぐる巻いてある。青色の手袋から、薄手のゴム袋に替える。エニシダを少し撒いて、ちいさな魔法を使う。

 エニシダは長らくホウキの材料として使われているので、清潔な力を持っている。わたしたちの足元に咲いて、わたしが手ずから摘んだものなら、よりいっそう強い。創傷を露出する前に使えば、この空間をより清潔なものにしてくれる。

 膿盆と鑷子、一番太い包帯。ガーゼ。抗生物質の入った軟膏。軟膏を伸ばすための皮膚の保護薬。小さな皿とヘラ。必要そうなものはあらかじめ出しておく。


「寒くない?」

「うん。そんなに」

「布一枚でけっこう違うのね。包帯ほどくから、痛かったら言ってね」


 包帯の結び目をほどく。案外きちんと巻かれている。少なくとも、包帯の巻き方を学んだことのある人の巻き方だった。包帯の下には、大きくて黄ばんだガーゼが何枚もある。背中の創傷なので、うつぶせに寝かした方がいい。外套を広げたら、レトが黙ったままそこに寝る。

 ガーゼのふちをそっと鑷子でつまむ。剥がすときが一番痛いだろうから慎重に。軟膏の独特なにおいがした。白くて細い背中に、手のひら二つ分ほどの細長い切傷があった。

 膿はない。周りが黄色なのは消毒液と薬だろう。軟膏でべたべたしている。色とにおいは、わたしたちの使う軟膏と似ていた。古い薬は不潔なので、脱脂綿でふき取る。周囲のエニシダが枯れるのが目に入る。水がなくて流せない分は、エニシダが溶かしてくれる。

 傷の周りに内出血や発赤はない。痛くないようにそっと周りの皮膚に触る。不自然な熱はない。綺麗な創傷だ、と息をつく。出血は滲む程度。思ったより浅い切傷だ。出血がひどければ縫合の必要があるけど、この分なら大丈夫だろう。すぱっと切れた皮膚をすぐさまくっつけて、包帯で固定したらしい。寒さで出血は止まりやすかっただろうし、薬も効いてる。

 切傷を眺めながら、薬と保護薬を出して混ぜる。軟膏はこの寒さで固まっている。傷の表面にはもう薄い皮膚が張っていた。小さな子どもの怪我の治りの速さは素晴らしいものだ。


「よかった。傷はきれいだし、熱もなさそうだし。薬は、どんなのを使ったか、わかる?」

「旅団からもらったものって言ってた。たぶん、いれもののかたちもおなじだったし……」

「そう。それならよさそう。薬を塗るわね」


 混ぜ終わって柔らかくなった薬をヘラですくう。ヘラで直接傷に触れないように、傷の上に薬を乗せていく。その上にガーゼを置いて、テープで固定する。レトを起こす。一番太い包帯できつめに巻いて、脇腹で結ぶ。

 替えたガーゼと脱脂綿、包帯を膿盆にまとめる。少しだけど血がついてるので、燃やした方がいい。服を着るのを手伝ってから、テントの外に出る。


「ザレルト翁、これ、燃やしてもいい?」

「……これくらいなら大丈夫だろう」


 焚き火の中に膿盆の中身を放り込む。白い布のふちが赤く燃えて、灰になっていく。血のにおいは煙に紛れてくれるといい。唇をそっと撫でながら、炎を眺める。わたしたちの夜は焚き火がつきものだ。

 まだ夜ではないけど。夕暮れが近い。暗くなると寒さがもっと厳しくなるので、今のうちに眠った方がいい。


「ザレルト翁」

「なんだ」

「……レトの怪我は、このままなら、きれいに治りそう」

「そうか。まあ、なにがあるかわからない、ちゃんと看ておけ。儂は医術はわからない」

「ええ、わかってる。大丈夫」

「おめぇの足は」


 ザレルト翁の、加齢で少し濁った瞳がわたしを見上げる。自分の口元が、反射的に笑みを作ったのがわかった。


「大丈夫よ。今夜はゆっくり休めそうだし。ザレルト翁がいるだけで心強いわ」

「なにかあったらすぐ言え」


 ええ、と朗らかに返事をする。もう甘ったれた態度は仕舞込まなければならない。

 姉だとか、総領娘だとか、そういう名乗りを思い出すときがきた、と胸骨に刻み込むように。踵を返して、テントに入る。レトはもう寝付いたようだった。毛布をそっとかける。

 靴も靴下も脱ぐ。固定のために巻いた包帯をほどく。包帯の跡がくっきりとついている。足の甲を示指と中指でぐっと押す。指の形にへこみができた。むくんでいる……。

 ゆっくり足を伸ばす。ぼやけた熱が足首にまとわりついている。痛みはそんなに変わらない。今から仮眠をとるわけなので、痛み止めを飲んでしまおう。寝ている間は包帯は取っておいた方がいい。固定するのは重要だけど、血流が悪くなるので、ある程度の時間は包帯は外さなければならない。

 ザレルト翁が汲んできてくれた水と痛み止めを飲む。残りの水をゴム手袋に入れて、エニシダを一本。洞窟の前で乱暴な言葉を使ってしまったのを思い出す。


Glaceこおりよglaceこおりboire de l'eauみずをのめ


 ゴム手袋の中の水がゆっくり凍っていく。ゴムなので割れてしまうだろうから、タオルに包む。敷布が濡れるのは嫌なので、足だけ敷布の外に出して、靴と靴下の上に足を置く。

 強い眠気が襲ってくる。レトの隣に横になる。乾いた涙のあとが、右目の下にあった。ひとりにならないと泣けないのは、わたしとおんなじだ。今日は長袖の服を着ているので、レトを抱き寄せる。手袋も外せないから、少し嫌だけど。

 レトが目を開いたら、温かい腕の中にあってほしいと思った。今日はわたししかいないので。

 わたしもレトもたいして言葉に信用を置いていない。行動しかないのだ。レトを愛していると伝えるには。

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