第24話『花ちゃん 月ちゃん』(連続33話)


 

「明日から、顧問の先生にも練習を見て貰いなさい」


 そう言われたあと、勢花と月旦は道場の掃除を終わらせ、着替えを伴って露天風呂へと赴いていた。

 時刻は夜の九時過ぎ。外はもう暗く、しかし晴れているのか、下弦の月と星明かりで、ときおりやや涼しい風がふくものの、空気そのものは静かに凪いでいる。


 露天に誘ったのは、勢花からだった。

 月旦の様子がおかしいと思ったのは、おそらく間違いではないし、今日の練習も、率先する気迫こそ在ったがどことなく一歩引いたような心持ちで、気になっていたのだ。

 勢花は決めていた。

 疑問は疑問のまま放置しておかないと。

 分からない振りもしないと。


「ということで、お風呂行きましょう」


 と、むんずとばかりに月旦の手を取って誘ったのだ。

 ふたり相部屋で、仕事もしている。しかし、常に一緒というわけでもないのだが、こちらにきてからこっち、常に共にしているのが面白い。プライベートな時間もあるにはあったが、そばに彼女がいる――という状況を、二人が二人とも煩わしく思っていないのが幸いだった。

 ぎくりとした月旦だが、彼女も自分自身の『何か』に気が付いてしまっている以上、そんな自分から逃げるのも、このまま気が付かない振りを続けるのも、性には合わないと自覚していた。


「わかったわ」


 応じた。

 言葉に出して、勢花の求めに応じた以上、文字通り裸の付き合いで腹を割って、自分の気持ちを語るしかないと思った。

 語る上で、自分のなかの、まだ言葉にすらなっていない気持ちの整理を付けなければという決意の表れでもあったに違いない。

 従業員として、武道の生徒としての時間が終わり、いまの彼女たちは一般の宿泊客と同じように、至天館の施設を利用できる。当初から露天は好きに使えたわけで、毎度こうして赴き汗を流し、疲れを癒してきたわけだが、構えて何かを話すといったことが今まであったであろうか。

 なかったと、思う。

 稽古がどうだ、勉強がどうだ、その他の――距離を置いた雑談と言えるモノしかしていなかったように思える。


 顔を覚えたのは一年前。

 意識したのは、およそ半年ほど前。

 話すようになったのは、しかしつい最近。

 そう、つい最近のことなのだ。


 一緒にいても息苦しくなく、不思議と安心できる距離なのに、お互いのことは、実に知らぬことが多すぎる間柄なのだ。

 お互いがお互いの実利のために手を取ったに過ぎないと思われてもおかしくない状況に、彼女自身、彼女たち自身、引け目を感じ口に出せなかったのかもしれない。

 人気のない脱衣場で胴着を脱ぎ、籠に収め、下着を脱ぎながら、月旦は自分の気持ちのなかに澱のように溜まるものの、もうひとつの正体をはっきりと認識した。


「そうか、負い目――だったんだ」


 口の中で、細く小さく言葉にする。


「勢花さん」


 ポニーテイルを解き、髪を下ろした月旦は全裸のまま、勢花に向き直る。勢花は脱いだ下着を丁寧に畳みながら「へ?」と呆けた顔のまま、やや腰を引いて見返しているためか、その豊かな胸が張りを以てふわん――と揺れる。


「……。話があるの」


 その胸に一瞬目を奪われたが、じっと彼女の目を見ながら月旦は切り出す。勢花も背を正し、こくりと頷くと、小股の切れ上がった月旦の引き締まった裸体に「はぁ――」と嘆息する。


「だよね。話さないといけないって、わたしも思ってた」

「勢花さん、わたし」

「――まずは、温まりましょう。裸の付き合い裸の付き合い。ね?」


 タオル片手に、言うなれば正中線を隠すことなくさらけ出している勢花の勢いに押され、月旦は「え、ええ」と促され、ひんやりとする露天へと並んで赴く。

 数日堪能した湯船に先客はおらず、立ち上る湯気と、湯船に流れ込む湯の音が静かに場を醸す。


「貸し切り状態だね」


 洗い場を見ると既に何人も利用したあとのものと伺えるが、木桶や腰掛けは綺麗に片付けられていた。湯も流されており、やや乾き始めているそこは綺麗なものだった。

 その一画を指し示し、勢花は彼女を促して座らせる。


「背中流してあげる」

「えっ」


 いままで自分の体は自分で洗っていたのだが、ここに来ての積極性は、彼女の口から自然と漏れた素直な気持ちだった。

 いっしゅん驚いた月旦だが、木桶を持って座り、洗い場の鏡に映る自分を前に、ひどく疲れた溜息をゆっくりと吐き出した。

 吐き出すと同時に胎も据わる。


「月ちゃん、髪、ごめんね」


 優しく髪をまとめられ、月旦は次いで背に掛けられるやや熱めの湯の感触に、ほうとため息をつく。

 滲み出た悪いものが、溶けて流されていくような掛かり湯の感触に、目を細めて陶酔する。

 優しく背を撫でる湯の動き。湯が促されるように肌を縦横に流れ、肩越しに前面へと伝い、己が手で馴染ませていく。

 どこまでも優しい勢花の手が背を撫でつけ、湯を伴い汗を流す。


「よし、このまま頭洗ったげる」

「ん、あ、うん」


 湯桶ではなく備え付けのシャワーに手を伸ばし、月旦の美しい黒髪に湯を馴染ませていく。目を閉じると、流れる湯の音が際立ち、水底に沈んでいくような気持ちに溜息が出る。


「きれいな髪だよね。いつから伸ばしてるの?」


 備え付けのシャンプーを馴染ませながら聞くと、月旦は目を閉じたままじっと考え、「五年生くらいのときからかな」と答える。


 思い出すと、些細なきっかけだった。


「テレビで観た女剣士は、みんな髪の毛が長くて、後ろでまとめていたからなんだけど」

「筋金入りだったんだ」

「お祖父ちゃんが時代劇好きでね。チャンバラシーン見ながら『なっちゃいねえ』っていうのが口癖だったんだけど、それでもニコニコ見てて」


 他人の手指が頭皮を優しく刺激する感覚は美容室でもたまに感じるが、勢花のたどたどしい慣れぬ手つきは、しかしなぜか心地好かった。


「好きだったんだね、お祖父ちゃん」

「うん」


 好きだったお祖父ちゃんのために伸ばし初め、女剣士のマネゴトをすれば、いつかきっと剣を教えてくれると信じていた。そんな気持ちも自然と吐露する。


「結局、お祖父ちゃんはほとんど何も教えてくれなくて。ある日とつぜん病気になって、すぐに死んじゃって。それでも刀と手帳は残してくれて――」

「一回見せてくれた、あの日記みたいなやつ?」

「ええ、端々にいろいろ書いてあって。話して聞かせてくれたものとあわせて、あの手帳がわたしの『辻流』の総てだったわ」


 そのことが、自分の『澱』なのだと、はっきり自覚ができた。


「それで自分で学んじゃおうとしたのが凄いよ。本当に好きだったんだね」

「――お祖父ちゃんに、認めて欲しかったんだと思う。昼間に先生に聞かれたとき、結局そこだったんだなって、気が付いちゃって」


 指で丁寧に髪をくしけずられながら述懐する思い出に、月旦の目には涙が滲む。


「辻流とか、古流とか、そんなものはどうでも良くて、お祖父ちゃんに褒めて欲しかっただけなんだと思う」


 勢花は何も言わない。

 ただ、ただ、髪をくしけずりながら泡立て、優しく頭を撫でるように愛撫する。

 月旦の澱は、それを呼び水にし、徐々に、あふれ出してきた。


「もう褒めてくれるはずはないのに。むきになっちゃって。……お父さんに反対されて、剣術なんかやめちゃいなさいって怒られて、チャンバラゴッコはやめろっていわれて、自分がやってるのは辻流のマネゴトのチャンバラだってどこかで気が付いてたけど、学校で部活を作ることで逃げたんだわ」


 スン――と、はなをすする。


「独りだと何もできないから勢花さんを誘って、なんで誘ったのか考えたら、剣道部に一泡吹かせられたら自分のマネゴトがホンモノになるんじゃないかって思ったからだって気が付いて、どうしようもなく悲しくなって。どこまでも自分はニセモノなんだって思って」


 肩が落ちる。


「自覚したのは、ここに来てから。本格の『辻流』を教える天羽師範に勢花さんが教えを受けているのを見たら、ああ、わたしは要らないんだなって思えて。そして『辻流』を残すならほんとうにわたしみたいな存在は不純なんだなって思えてきちゃって。耐えられなくなって、考えたくなくなって、わたし――」

「はい、そこまで」


 勢花はシャワーの水量を最大にして月旦の脳天から盛大に湯を叩き付ける。むんずとばかりに隣のシャワーノズルにも手をかけるや、最大出力の二段構えでベソをかく少女に容赦なく温水を叩き付ける。


「ちょ、勢花さん!?」


 泡と湯で涙を流され、迫る水流が鼻にも入りむせ込む月旦だが、腰掛けたまま振り返った瞬間、その顔は熱く柔らかいものに包まれた。


「良く聞いてね、月ちゃん」


 ギュッと抱きしめる勢花の腕。

 そのとき微かに開いた目と感触に、月旦は自分が勢花に抱きしめられていることに気が付いた。ギュっと寄せられた胸の谷間に顔を圧迫され、辛うじて鼻で息が出来るが、頭の中は混乱でいっぱいだった。


「あなたが欲しい。自分を信じて、自分が綺麗だと信じたものを追い求めて頑張れるあなたが欲しい。他の誰よりも、天羽小雪師範よりも辻光太郎さんよりも、辻月旦という一人の友人とこれからも頑張っていきたい。わたしを必要といってくれた月ちゃんと、これと決めた道を頑張っていきたい」

「もご――」


 豊満な胸肉に抑えられて声は出なかったが、ようやく開いた目を見上げると、至極真面目な表情の勢花が自分を優しく見下ろしているのが分かった。嘘偽りのない眼差しで静かに見つめられ、いつしかぽんぽんと優しく背中を叩かれ、頭を撫でられているうちに、月旦は胸の高まりと反比例するように拓けた思考に、かーっと頬を染める。


「あ、汗くさいわよ、勢花さん!」


 優しく離れる月旦だが、呂律はやや不確かであった。


「……『花ちゃん』」

「え?」

「ぜーんぶ許してあげるから、『花ちゃん』て呼んでくれる?」


 唐突な申し出に、月旦は二の句が継げない。


「そんな、わたし、勢花さん!?」


 混乱する月旦の顔にズイとばかりに顔を寄せると、にやにや笑いつつ勢花は念を押す。


「別に良いの。月ちゃんがどういう意図でわたしを誘ったのかなんて。嬉しかったし、こうしてまた剣も手にとれたし。楽しいよ、わたし。辻流の動きも、理に適った動きで綺麗だし、なによりも、月ちゃんとこうして学んでいけるのが凄く楽しい。だから、わたしのことは気にしないで」


 そして、真摯な眼差しで続ける。


「お祖父ちゃんを好きだった自分も、嫌いになっちゃ駄目だよ?」


 言葉が、出なかった。


 放り出されたふたつのシャワーノズルが上に向けて湯を放っているなか、止まりかけていた月旦の目尻に温かいものが再びにじみ出す。


「ああ……ん~……」


 言葉になるよう、それでも言葉になるよう、月旦は彼女から視線を逸らさず、しかし恥ずかしさから目だけは逸らし、静かに一言、呟いた。


「――聞こえない」


 しかしその蚊の鳴くような言葉に勢花はぴしゃりと物申し、やり直しを要求する。


「な、なによ、ちゃんと……いったじゃない」

「きーこーえーませーんでしたぁ~!」

「くっ!」


 月旦は腰掛けに座り直し、勢花に背を向けて縮こまる。


「花ちゃん――」


 それでも小さな声だったが、鏡越しに照れた視線を交わす友人に、うんうんと満足げに頷く。


「カンペキ女子っぽい委員長のイメージが、ここにきてこう変わっちゃったか~。いやあ、可愛いなぁ月ちゃん」

「ちょ!」


 慌てて振り向く月旦だが、肩を回され正面を向かされる。

 シャワーのひとつのお湯を止め、勢花は「はーい、目をつむって」と、返事も待たずに彼女の髪のすすぎを再開する。


「ま、なんにせよ水に流しましょう、ってね~」

「え~」


 文句を言いつつも流されるままの月旦。

 そんなふたりの遣り取りを遠くに聞きながら、蘭子は耳まで真っ赤になりながら脱衣場を出る。

 そして『露天風呂清掃中』の看板を仕舞いながら、どことなく嬉しそうに頭を掻く。


「き、気を使って二人きりにして上げたけど……な、な、なんだ、ホンモノだったのは、は、花ちゃんさんのほうだったか~……。こ、これはお姉さん困ったなあ、は、はははは」


 盗み聞きして良かったのか良くなかったのか。

 蘭子はいたたまれなくなって、さすがにその場をそそくさと後にするのだった。

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