第23話『何企んでるんです?』(連続33話)




「あれ? ふたりともここにいたんだ」


 朝の練習と朝食を済ませたあと、地元の酒屋から届いた荷物の運び入れを頼まれた月旦たちを見つけ、蘭子は嬉しそうに目を輝かせた。

 また何かあるのかと身構える勢花だったが、月旦は静かに「なんでしょう」と申し出る。


「ここはわたしがやっておくから、ふたりでお客様のお迎えをお願い」

「お出迎え、ですか?」


 月旦は――月旦と勢花は、あくまでも裏方のアルバイトである。表仕事である場所は、蘭子初めしっかりとした仲居さんたちが仕切る場所であり、粗相の可能性のある女子高生には、普通は、任さない。


「何企んでるんです?」


 と、訝しめな勢花だったが、月旦はその言葉を遮るように一歩出る。


「わかりました。行きましょう、勢花さん」


 そのまま、先んじてすたすたと表玄関に向かう月旦の後ろ姿を見送りながら、勢花と蘭子は顔を見合わせる。


「ちょっと花ちゃん、なんかしたの?」

「なんか昨日の夜から少し変なんですよ。余所余所しいというか、なんというか。おっぱいも触ってこないし」

「そんな仲なの?」

「そんな仲って?」


 キョトンとする勢花に蘭子はグッっと言葉に詰まる。とぼける感じではなく、あくまでも素だった。


「ん~、ちょいと疲れてるのかなぁ。いけないなぁ」


 蘭子は腕を組み、考える。

 深く考える前に、勢花のムッチリしたお尻を平手でスパーンと叩くと、「ほら、さっさと行く。お客様がお待ちだよ」と追い払うように促した。

「は、はいぃ~!」


 トタトタと月旦の後を追う勢花をさらに見送ると、蘭子は再び腕を組んで大きくため息をつく。


「体力じゃなく、あっちのほうが参っちゃってるのかもなぁ」


 そう呟き酒類の搬入に向かう蘭子。

 それを知ってか知らずか、月旦に追いついた勢花は肩を並べるように……いや若干足を速めた月旦に追いすがるように付いていく。

 月旦の様子は、明らかに余所余所しいものであった。

 話せば受け答えはしてくれるものの、都度、薄い壁のようなものを感じるのだ。それは物凄く薄く透明だが、柔軟で強固であった。

 その違和感の正体に気が付かず、昨夜は入浴後に寝てしまったが、朝を迎えるや、その増大したそれを肌で感じ、さすがに勢花もそぞろに思う。

 月旦もそんな自分に気が付いているのかいないのか、彼女の足に気が付くと、ふっと歩調をやや弱める。


「お客様って、誰なんだろう。人手が足りない訳ではなさそうだし……」


 そう切り出したのは、気まずさの自覚がある月旦からだ。


「ん~。師範――女将さんの性格からすると、何があってもおかしくはないけど」

「そうなのよね」


 ふっと、その表情が曇る。

 月旦のいっしゅん伏せられた瞳の動きで、勢花も察する。

 そうか、女将さんか。

 いや、『師範』のことなのか、と彼女は裏付けのない得心をした。こと、勢花を剣道部から追い出そうとした一連の毬谷円佳の行動原理に気が付いたとき以来、なんとなく開眼した感覚だった。

 人には鈍いといわれていた彼女に宿った、新しい何かであった。

 そのことを胸の奥に飲み込み、彼女は、彼女たちは渡り廊下を本館に向かい歩いて往く。


「おや、ふたりとも。来たわね」


 ロビーで出迎えたのは、小雪であった。

 今日は抹茶色の綺麗な着物で、茶の帯と浅黄の帯ひもに珊瑚の帯留めと、実に侘びた着こなしだった。


「つい今し方、お車でお客様がいらっしゃったから。ふたりで出迎えてちょうだい」

「私たち二人で、ですか」


 勢花の問いに頷き、小雪は本館二階の鍵を彼女に渡す。番号を確認すると、角部屋であった。


「いったいどなたが――」


 と月旦が言いかけたとき、小雪は「ほらほら、いらっしゃったわよ」と手を叩き、彼女らの背を促し玄関口へと向かう。


「礼を踏まえ、お荷物を持って、お部屋に案内してね。――ようこそ至天館に」


 そう言って、小雪は二名の客へと優雅な微笑みを以て一礼する。


「いやあ、ご招待頂きありがとうございます」

「あ~、ほんとに働いてる~!」


 旅行鞄を担いだ二人組――ともに女性である。

 彼女たちを見て、月旦も勢花もあんぐりと口を開けかけた。


「柳先生に、松下先生!」

「おふたりとも、なぜこちらへ!?」


 客。

 向陽高校柔道部顧問の柳七子と、向陽高校剣術部顧問の松下邑子むらこである。ふたりとも学校で見るシックな服ではなく、完全に普段着の様相で、運転してきたであろう柳はサングラスを掛けている。


「………………」


 にこにこと、しかしじっと見つめる小雪に気が付き、月旦も小雪も気持ちを切り替えて姿勢を正し、ゆっくりと一礼する。


「ようこそいらっしゃいました」


 二人揃えて言う言葉に、教員二人もむずがゆい顔で応える。


「なかなか堂に入ったものじゃないか、え? 戸田」


 柳は自然に荷物を勢花に差し出すと、そういって眉間を和らげる。


「とんでもないです。お客様のお迎えはいちど習ったきりで、今日が初めてなんですよ」


 荷物を受け取りながら、勢花も相好をやや緩める。

 同じく松下も荷物を――特大のキャリーバックふたつに、ハンドバッグ。カートこそないが、荷物は多い。


「どうしたの辻さん」

「いえ、この荷物の量――」


 しっかりと、しかしかなりきつい表情で鞄を担ぐ月旦。ハンドバッグだけはと自分で持つ松下は、さも当然のように頷く。


「しばらく厄介になるんだし、そのくらいは行くわねえ。七子ちゃんももっと荷物必要だと思うんだけど、あれだけで大丈夫っていうのよね。どう思う?」

「しばらくいらっしゃるんですかっ」

「そっちか~……!」


 荷物を持ち、エレベーターを使い二階へ。そのまま階段の踊り場を挟んだ角部屋へと案内する。


「こちらでございます」

「うわぁ、いい部屋~」


 トイレと室内風呂へ通じる上がりかまちの横に荷物を置くと、教師二人は南に望む権現山に目を細めるように窓辺へと歩き、くいくいと仲居見習いの女子高生二人へとあごをしゃくる。

 面倒くさいことに巻き込まれる前に「さて帰ろうか」と思っていたふたりは、渋い顔を見合わせて、仕方なく「失礼します」と一声掛けて上がらせて貰うことにした。


 そのまませっかくなので備え付けのポットに水を入れ、人数分のお茶を煎れようと湯を沸かし始める。

 てきぱきと用意する月旦の様子を立ったまま眺めていた勢花は、手持ち無沙汰にキョロキョロと部屋を見回す。


 至天館の部屋の中でも上等な部類の部屋である。増築した上層階の部屋よりも、温泉や施設の近い二階三階部分のほうが上等とされているらしいが、間取りも、室内の『余裕』も、確かにゆったりとした印象は伺える。

 それ以上の付加価値については、まだ年端のいかぬ女子高生である彼女らには分からないものであったが、教師二人はさすがに満足した様子で広縁のソファーに向かい合って座っている。


「新潟か。湯沢にはよくスキーにいったが、下越まで足を伸ばしたのは初めてだ」


 サングラスを外した柳は、やや疲れたため息をつくと、改めて薄紅色の仲居着物を身に付けたふたりを観察する。

 まだたったの数日と聞いていたが、なかなかどうして堂に入っている様子が見受けられてほほえましい。よほどしっかりとした教習を受けているのだろう。


「あの、先生」


 担任と、なぜか付いてきたと思しき柳に、控え目に声を掛け、広縁の手前でチョコンと正座する勢花。


「なんでここへ?」


 単刀直入というか、当然の疑問を投げかける。

 卓のそばで正座をする月旦も同じ気持ちだったのだろうが、彼女はしっかりと教師二人が「お招き頂き」だか「ご招待頂き」と言っていたのを聞いている。

 おおかた、何かを考えた小雪が二人の教師を呼んだのは目に浮かぶ。月旦の母、鳳子の伝手か、はたまた直接学校に問い合わせたのかは、わからない。


「ふたりの様子を、ぜひ見に来て下さいっていわれてね。七子ちゃんも一緒にって誘われちゃった」

「松下先生に、天羽師範――女将さんが直接ですか?」

「そそ。お爺さんの妹さんなんですって? 太っ腹よね~」


 歳を感じさせずにキャッキャと心底嬉しそうな松下に、勢花は冷めた瞳で「はぁ」と頷く。


「柳先生も一緒にってところが、分かりませんね」


 月旦も深くため息をつき、仕方がないといった面持ちで胎を決める。恐らく、小雪の陰謀だろう。


「話を持ちかけられたのは、一昨日の夜だ」


 柳は女子高生二人が翻弄されている空気を感じて、やや面白がっている口調だ。深くソファーに腰掛け、デニムの足を組みながらゆったりと構える。

 一昨日の夜というと、初日の道場稽古が終わったあとだろうか。


「この至天館の女将さんから『今後のことも含めて、顧問の先生もいかがですか』と、松下先生に連絡があった」

「直接っすか?」

「学校にな。終了式あととはいえ職員はけっこう遅くまで残っているんだ」

「で、天羽さんと話してたら、部活の話になってね! わたしスキー好きだからスキー部だったら良かったのになぁとか、新潟だったらスキーだなぁとか、そんな話になってね~。あ、そうそう、だったらいちど旅館に来ませんか? って話になって」

「いわば今は剣術部の合宿みたいな感じなんだ。だからこそ、あとで何を言われても良いように、顧問の先生に来て欲しい――というのが申し出の内容だった」


 小雪の、彼女の申し出は、『親戚の子が友人を連れてバイトに来ている』という名分の他に、『学校として半ば稽古をも認めている』という名分も欲しかったと考えるべきか。


「でね、昼間バイトしてるふたりの世話はしなくてもいいらしいから、昼間遊べるように友達呼んでもいいかなってお願いしたの。同じ学校の先生ですっていったら二つ返事でね」

「つまり、昼間の暇つぶしと夜の晩酌のお供として、松下先生は柳先生を呼んだというわけですね」

「そうなのよ~。朝昼の食事もお風呂もタダだっていうんだもの、そりゃあ魅力的でもう、こっちも二つ返事!」

「さすがに夕食は自腹だが、そこまで甘えられん。二十日近くあるからな」


 カラカラと嗤う柳の顔を見れば、大方の事情は察していると思われる。つまり、彼女たちの宿泊費や食事代は、夕食晩酌を除き女子高生二人のバイトの稼ぎから差っ引かれることになるのだろう。とんでもない話だった。


「でも正直、私たち二人のバイト代を合わせても四人分のアレコレは補いきれない気がするのだけど」

「月ちゃん、わたし怖くなってきたよ」

「わたしもよ」


 非公式なれど、立場的に固めておきたいと考えたのか、はたまた。小雪の思惑は伺いきれない。


「辻流薙刀術――だそうだな?」今までの会話の方向は、『松下から月旦と勢花』『柳から勢花』という方向を持っていた。


 しかし、今回は、柳が月旦に話を振った。


「……はい」

「寡聞にして、わたしは柔道一筋でよくわからんのだが、古流というのはそんなにも魅力的なものなのか?」


 月旦は真っ直ぐな瞳を受け、無意識に「はい」と言いかけて、その頷きを飲み込んだ。ほんとうにそうなのだろうか。


「………………」


 じっとその手元に視線を落とし、じっと押し黙る。


「わたしは」


 思い出されるのは、祖父光太郎の、あの笑顔だった。


「辻流剣術がどんなものか、正直にいえば――」


 正直にいえば。


「――」


 言葉が口の、喉の奥から出てこない。

 それをいったらいけないという思いが、その言葉を出そうとはしない。そう思った。そう思っていた。

 だが今はどうだろう。


「辻流がどんなものか……、古流がどういうものか、わたしにはあまり関係がないように思えます」


 するりと出た自分の思いに、月旦は口元に手を当て、ハッとする。本当に自分が言った言葉なのかと、言った後で疑問に思い、思考の迷宮へと陥った。

 どのくらい経ったのだろう。


「なら、どうして……?」


 その一言が誰から言われたのか、月旦は認識出来なかった。


「え?」聞き返すものの、月旦は我に返ったと同時に、じっと押し黙る。

「どうして……でしょう」


 教師二人はお互いキョトンとした顔を見合わせ、肩をすくめる。お互いが知る辻月旦という少女の、自信に溢れた物言いからは、やや遠い気弱な態度。

 ただ勢花だけは、そんな月旦の目には見えない揺れる気持ちにしっかりと目を向けている。

 給湯器が沸騰を終えた電子音が鳴ると、その伏し目をツイと上げて月旦は急須を引き寄せる。


「ほんと、どうしてでしょう」


 お茶を煎れる事務的な作業をはさみ、自分自身の思いを整理するように口を開く。


「辻流にも、古流にも、魅力はないと思います」


 淡々とした自分の言葉に、果たして衝撃を受けた者はいただろうか。


「わたしは、お祖父ちゃんと一緒にいたかっただけなんです」


 急須に注いだ茶葉と湯を馴染ませながら、二つの湯飲みに注ぐ。


「そのためなら、それが叶うなら、なにも剣術じゃなくても」


 ぼそりとした、言葉にもなっていない呟き。

 深く落とした瞳と肩。


「失礼致しますーっ!」


 と、そのときだった。


「ようこそおいで下さいました、当旅館の仲居頭である榊原でございます」


 襖を開けて挨拶をする榊原蘭子。やや大きめに挨拶する声で、月旦はじめ四人は引きつけられる。


「辻さん、戸田さん、こちらはもういいから、水場の掃除を頼みます」


 その力強い瞳に一瞬気圧されるように月旦は息を止めた。まるで真剣を胃の腑に突き込まれたかのような、冷たい、しかし熱い感覚が背筋に徹ると、「はい」と頷き、勢花ともども促されるように一礼し、退出する。

 未熟なふたりのあとを無言で見送ると、蘭子は肩をすくめておどけてみせる。


「申し訳ありません、悩み多き年頃なものでして」

「ふたりは良くやっていますか?」

「仕事なら」


 と蘭子は頷く。

 基本の『デキ』は良いものなのか、月旦はそつなくこなすし、勢花は一個一個を丁寧にやろうと心がけている。ふたりとも一長一短だが、それが上手く重なり合って、補い合えていると評した。


「道場稽古のほうは顔を出していませんが、天羽師範の指導ですので、まず間違いはないかと」


 言葉から、蘭子も武術経験者なのだろうと柳は見た。

 自分には縁遠い世界だと、どこか他人事に構えている松下は「なるほどな~」と軽い受け答えだが、それでもウンウンと頷くや、多少は安心した表情で蘭子に問いかける。


「仲居さんは、心配で様子を伺っていらっしゃったのですか?」


 ズバリな物言いに蘭子も苦笑する。


「立ち聞きしていたわけではありません。代わりにやっていた用事も終わりましたし、交代してもらおうと呼びに来て、たまたま空気がおかしくなってたのでお声がけした次第で」

「空気、かあ。辻さんどうしちゃったんだろ。七子ちゃんは何か知ってる?」

「ん、あいにくと心当たりはありませんが」


 と一言断りを入れて柳は権現山にちらりと目を落とす。

 山。

 動かざるもの。

 動かないが、千変万化に有り様を変えるもの。

 辻月旦の中で、『山』たり得る何かが、揺らいでいるのだとしたら、どうだろう。

 あの受け答えは、彼女が学ぼうとした何かを得るために来たこの月岡の地で、根幹たる何かに疑問を持つようになったがために露呈した何かだったのだろうか。

 何か。

 月旦自身、恐らく気が付いてしまっているのだろう。

 柳はそれでも、悩めるのは若いからだと、首を二三度振ってひと息つくと苦笑する。


「向き合うこともたまには必要ですよ。きっとそれは、独りではできなかったことですから」

「どゆこと? 七子ちゃん難しいこと言ってる?」

「そんなことはないですが。……松下先生だって、半年前に男に振られたときに同じようなことが――」

「あ~! あ~! も~! 思い出させないでよなによ違うじゃない関係無いでしょォオオ!」


 傍で聞く蘭子はさすがに苦笑を深める。

 ともあれ、悩むことが、悩めることが若さの特権であるならば、悩み解決しようとする心がある限り、人は若いままなのだろう。


「お食事は昼、食堂にご用意致します。では、何かありましたら、お気軽に。失礼致します」






「正眼の構えは意味がないので、今日限りやめにします」


 その日の夕刻。

 六道館で小雪はそう告げて二人の顔を見た。


「なな、なんでっすか!?」


 勢花は構えの基本中の基本であり、そこからの素振りを日課として修練していた流れから、小雪の言葉があまりにもあまりに思えて声を上げてしまっていた。


「おちついて、勢花さん」

「だって月ちゃん、意味がないって――」


 ふたりの言葉に小雪も訳知り顔でウンウンと頷きながら、「そう思うわよねえ」と見守っている。

 さて、ではその内実たるや何であるかとふたりが疑問に思ったところで、小雪は単純に「遅いからよ」と告げ、するりと抜刀するやピタリと愛刀を正眼に構えた。


「正眼の構え。基本といわれているけれど、切っ先刀身を自分と相手の間にいちばん長く置く、守りの形に他ならないからよ」


 小雪はズイと月旦に切っ先を付けると、隙のない構えで、そのまま圧し斬らんばかりに間合いを詰める。


「このまま、ネバリと体の移動で、相手の正中線をこじ開けて刀身を斬り込むことができるけれど、これはあくまで『そうなったときの手』であり、初手ではないのよ」


 スっと後退し、小雪は刀身を垂直に立て、顔の右側に右拳と鍔が来るように構える。

 ――右八相の構えだ。


「鍔までは相手の間合い。八相にたいをぎりぎりまで死地に迫り寄せ、撃尺の間合いからネバリのある一撃で相手を打つ」


 ビッ!

 鋭い衣擦れの音とともに、仮想の敵の横面に鋭く振り当てられた刀身がビタリと制止する。


「正眼の構えは、振り上げる時間がどうしても起こる。起こるということは、つまり『予備動作』であるから、動きは消せない。受け流し斬りはあくまでも、あの流れにおいて『受け』と『振り上げ』を一体化したものに過ぎない。受けた時点で、本来ならば死ぬわ」

「し、死ぬんスか」

「死ぬわ」


 勢花の呟きに、小雪はさもそうであるのが普通であるように頷いた。


「剣術は本来、人を殺す術。人の殺し方を覚え、殺されぬ方法を覚え、争いごとの気配を自由自在にあやつり平らかなものを目指す武士の技。……これは剣術に限らず、格闘技である武道の理念。私たちがこれぞと信じて費やしてきたものが、単なる暴力であるなんてつまらないでしょう」


 だから、正しく学びなさい。

 そう小雪は頷き、ふたりを促した。


「動きの理念としての素振りは、不必要ではけっしてない。続けて修練しなさい。どんな状態であれ、刀筋が正中線人中路に乗ったネバリあるものになるためにはアレがいちばんの反復練習になるからね」


 納刀し、パンと手を打ち仕切り直す。


「立ち会いの基本は、八相や蜻蛉の構え、下段など。そこから体の乗った一撃で斬り込むことが基本」

「いっきに斬りかかるんですか?」

 勢花のたどたどしい問いに、小雪は首を振る。

「剣術は、後の先が有利。相手の太刀筋に被せるように刀身を振り当てることで勝つ」

「後の先――」


 月旦が呟く。


「相手の攻撃は、相手の隙と同義。ともあれ、今日は『ネバリ』がものをいう奥義を伝授しようと思うわ」

「お、奥義ですか!」


 興奮したような勢花に、さすがに小雪も苦笑する。


「多少急ぎ足だけど、基本こそ奥義だからね。手首をこう返すとか、ああ来たらこうするとか、刀身を返してどうのこうのとか、そんなまやかしのくだらないものは――辻流にはないわ」


 言いながら壁に掛けられた木刀を二本手に取り、二人に手渡す。

 そして自分も一本の木刀を手に、ふたりに向かい合う。


「これから教えるのは、合撃がっしうちという技」

「がっし、うち――」

「そう。合撃。相手の斬撃に被せ合わせるよう打ち込み、ネバリで逸らしこちらの撃ちを当てる技。基本が基本たるゆえんがよく現れる技。いい? 今回の合宿はこれをモノにできるかどうかが肝よ?」


 小雪はこの修行の、月岡の地で掴むべきモノの一端をこうして露わにした。

 残りの二十日余りを、これに費やせという強いメッセージが込められていた。


「ふたりとも、わたしに面を打ってきなさい。わたしは後の先で合撃にしてみせます」


 一足一刀の間合いにとり、小雪は右八相に構える。


「さあ、初めはどちらでも良いわよ。基本は寸止め。……できるわね?」

「では、わたしから――」


 月旦は気迫厳然たる小雪の前に進み出る。

 同じく八相に構え、一気呵成に打ち込んでいった。


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