第18話 可憐さは隠しきれていない



 イベント会場の中は、思ったより広々としていて、白を基調とした内観が印象的だった。

 あの心優しき見知らぬ青年は、チケットが余ったと言っていたけれど、土曜日ということもあるのか、中々の客入りに思える。


「うーん、さすが川海工房案件ねぇ。そこまでビッグネームの作品があるわけじゃないのに、すっごい盛況じゃない」


 津久見さんは、僕が持っているものよりも二世代くらい上の最新型のスマホを使って、館内をパシャパシャと写真を撮っている。

 近くに書いてある注意書きによれば、写真撮影は禁止されていないみたいだ。

 もっとも、自由な津久見さんの場合、写真撮影が許可されていなくても関係なく、うふふごめんなさい、とか言いながら写真を撮りまくりそうなイメージがあるけれど。


「(川海工房って、有名なんですか?)川海工房ってのは、俺くらい有名なんすか?」


「そうねぇ、有名っちゃ有名ね。川海工房自体は最近できたイベント団体だから、そこまで知られてるわけじゃないんだけど、ここのフロントマンの川海創歩(かわみそうぶ)って人が凄いのよ。まだ二十代で若いんだけど、色々なところでイベントの企画、計画に関わってる人で、天才ヒットメーカーなんて呼ばれてるわ」


 川海創歩という人のことはよく知らないけれど、僕と近い年代なのにそんなに社会的に成功してるなんて凄いとしか言いようがない。

 世の中には僕みたいな驚くほどの無能もいれば、川海さんのように驚くほど有能な人もいるのだと、なんとなく世界のバランスの不思議を感じる。

 そんな凄い人のイベントに僕と同い年で参加している笹井さんは、やっぱり僕なんかが本来は関われるような人ではなかったのだと、改めて思った、

 僕にチケットをくれたあの優しい青年は、その川海さんの部下か何かだったのかな。

 あの青年も、けっこう若そうに見えたし、本当に年齢関係なく、優秀な人は優秀なんだな。


「ただまあ、ここだけの話。私は仕事柄知ってるんだけど、川海創歩にはちょっとダークな噂もあって……あ、ごめん。電話だわ」


 周囲を窺うようにして津久見さんが小声に切り替えたところで、ブブブとスマホが振動する音が聞こえてきた。

 当然僕に電話をかけてくるような、仲の良い友人はいないので、これは津久見さんのものだ。

 津久見さんは僕から少し離れると、若干不機嫌そうな顔をして電話に応答し始めた。

 暇を持て余した僕は、ぼんやりと館内図を眺める。

 自然と探してしまうのは、笹井ハルの名前。

 わりと直ぐに見つかった。

 笹井さんの説明書きは僕と同じ生まれた年と、茨城出身とだけ書かれていた。

 そのシンプルなプロフィールは、無駄のない美しさを感じさせて、とても笹井さんらしい。


「ごっめん~! 森山くん! ちょっと今日の取材の時間変更になっちゃったから、私、もう行かないといけなくなっちゃった!」


 ぱちんっ、と音を立てて両の手のひらを重ね合わせる津久見さん。

 どうやら先ほどの電話は仕事関係のものだったらしく、予定が急きょ変更になったらしい。


「(あー、そうなんですね。大丈夫ですよ)構わないっすよ。美人はいつでも忙しいものっすから」


「ほんとにごめんね~、せっかく展示デートできると思ったのにね。個人で仕事してると、こういう時、弱いのよ~。また今度、ね!」


「(はい。お仕事がんばってください)グッドラック。ワークハード」


「うふふっ、ありがと。私の幸運を祈っておいて。それじゃあ、またね~」


 津久見さんは慌ただしく、そのまま小走りでどこかに消えていった。

 突然現れて、突然去って行く。

 まさに自由奔放な津久見さんという感じで、本当に掴みどころがない。

 帰ろうとしていた僕を、甘い言葉でイベント会場内に入り込ませ、中に入った途端に僕の傍から離れて、姿をくらます。

 なんだか狐に化かされたような気分だった。


 

 またもや一人ぼっちになってしまった僕は、仕方がないので、アート展を適当に見て回ることにする。

 といっても長居する気があるわけでもないので、まずはお目当てというか、唯一興味のある笹井さんの作品のところに行くことにした。

 立ち止まっては歩き、立ち止まっては歩きを繰り返す、きちんと鑑賞している周囲の人々の間を抜けて、僕は真っ直ぐに笹井さんのブースに辿り着く。



『甘いヴァニタス/笹井ハル』



 そこに飾ってあったのは、一枚の油絵。

 黒檀の机に、何冊かの分厚い書籍と砂時計と青い林檎が置いてある絵。

 額縁に収まったその油絵からは、物々しい質量感がしたけれど、同時に僕は輝きを見つける。


 それは、そこに描かれていた砂時計の砂粒だった。

 よく見ると、砂粒が一つ一つ、星のような形をしている。

 違う。これは砂粒じゃない。

 これは、金平糖だ。


 僕は思わず笑ってしまった。

 絵の構図も、色遣いも、基本的には暗めで、寂し気で鬱屈とした印象なのに、金平糖の砂時計だなんて、唐突にファンシー過ぎる。

 その場違いというか、不釣り合いな組み合わせに、僕はシュールで可愛らしい面白さを感じて、笑ってしまうのだった。



「……どう? この絵の感想は?」



 ふいに横から声をかけられる。

 笹井さんの絵を初めて生で見たということもあって、僕は反射的に若干の興奮状態のまま喋り返してしまう。


「(あ、そうですね。すごい面白いです。それにしても笹井さんはやっぱり絵が上手ですね。こんな真面目に、金平糖の砂時計を書き込んでる。手が凝ってますよ)ああ、実に面白い。笹井さんはやはり卓越した技術の持ち主だ。馬鹿真面目に、金平糖の砂時計を書くのがいい。これほど手間をかけられたら、砂時計に閉じ込められても金平糖は本望だろう」


「……そう。相変わらずよく喋るのね」


「(あ、すいません。実は僕の憧れの人が、この絵の作者さんで、それでちょっと興奮してしまって)悪いな。この絵の作者に憧れがあってな、ついエキサイティングしてしまった。彼女は俺のテーマパークさ」


 おそらく隣りの人は、世間話感覚で僕に軽く話しかけただけのなのに、予想以上の量で言葉が返って来て驚いているのか、少し引き気味だった。

 普段テンションを上げ慣れていないから、こういう時いつも変な感じになってしまう。


「ふふっ、それに私は、君のテーマパークになった覚えはないわよ」


「……え?」


 しかしそこで、僕は今更ながらに横から話しかけてくる人の声に、聞き覚えがあることに気づく。


 嘘だろ。なんということだ。


 こんなもっとも警戒すべき場所で、どうして僕は暢気に絵を見て興奮していたんだ。

 おそるおそる隣りを改めてちゃんと見て見れば、そこにいたのはニット帽を被ってマスクをしている背の高めな女性。

 帽子とマスクで顔の露出が少なくても、その可憐さは隠し切れていない。



「(笹井さん、ですか?)笹井さん、か」



「どうも、森山くん。楽しんでくれてるみたいでなによりよ」




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