第14話 闇討ちされても文句は言えない
なんだかよくわからないけれど、結局昨日は起訴されなかった。
ただササイさんに食事を奢って貰っただけ。
信じられないことだが、ササイさんは僕を見逃してくれるみたいだ。
こんな幸せがあっていいのだろうか。
タレント顔負けの美人さんと楽しいランチタイムを過ごし、しかも代金は無し。
一人暮らしの人を狙ってやってくる、押し売りインターネット通信サービスの実質タダ並みに怖い。
あとで怖ろしいしっぺ返しが待っているのではないかと、僕は不安に苛まれる。
バイトに向かう道すがら、実はササイさんが僕の臓器を狙う闇社会の関係者なのではないかと疑い、スマホで名前を検索してみた。
たしか名前はササイハル。
元々は油絵を専攻していた美大生みたいなことを言っていた気がする。
自分の名前を検索すれば、その絵を見れると言っていた彼女の言葉の、真偽を確かめてみよう。
ササイハル。油絵。
僕は適当に検索ワードを入れて、画面をタップする。
すぐに表示される検索結果。
思った以上のヒット数だ。
そして一番上に乗っているのは、次代を担う期待の若手芸術家特集なるものだった。
そのどこかの雑誌の記事らしきものを詳しく見てみる。
“次代を担う期待の若手芸術家特集! 新たなアートシーンを切り拓く未来の巨匠たち!
本記事では、その卓越した技術や発想で、多くの現役アーティストやフロントマン、ライター、メディアから注目されているも、まだまだその作品が公開される場や機会の少ない、まさに知る人ぞ知る期待の若手芸術家をご紹介!
数年後にはもうおいそれとお話を伺うこともできなくなっているかもしれない・・・そんなことを考えながら取材してきました!笑”
ざっと目を通しただけでも、僕は眩暈がする思いだった。
ネットメディアから取材を受けるような人に向かって、僕は俺の女になれとか言ったのか。
恥ずかし過ぎて、今すぐ一酸化炭素で深呼吸したい。
冬なのに、粘り気のある汗が額からぶわっと出てくるのを感じながら、僕は記事を読み進めていく。
“次代を担う期待の若手芸術家特集の三人目は、『笹井ハル』!
笹井ハルはオールドスタイルな静物画をメインに描く油彩画家で、その鮮烈な色彩感覚とモチーフ構成は一度見たら忘れらないほど特異な存在感に溢れています。
とくに笹井ハルのオリジナリティ、作家性が現れるのが、現代的再解釈のなされたヴァニタス作品。
ヴァニタスというのは静物画の細分化されたジャンルの一つで、ラテン語で空虚、儚さといった意味を持ちます。日本風にいうと、諸行無常みたいな感じですかね。
伝統的には、豊かさの象徴である静物の中に、頭蓋骨や砂時計などの死や終わりを想起させる物を置き、観る者に生の脆さ、虚しさを想わせるヴァニタスですが、笹井ハルのヴァニタスは一味違います。
これは笹井ハル本人の言葉を借りますが、彼女の作品はまさにポップカルチャーなのです。
これは筆者の偏見かもしれませんが、基本的にヴァニタスってなんか暗いんですよね。
もっとも、テーマ的に仕方がないのかもしれませんが。
でも、笹井ハルはそんなヴァニタスを文字通り明るい作品として描きます。
色遣いも、モチーフも、構成も、どこかユーモラスでポップな印象を与えます。
言葉にするなら、滅びたっていいじゃない! 楽しく死にましょ! みたいな感じ笑
ただこの私の記事ですら、どっかの偉い人に怒られそうな感じがするように、笹井ハルもベーシックな油彩画家にしては、中々に評価が分かれる作家さんのようです。
もちろん、私は大好きですが!
実際、彼女は某有名芸術系大学に現役で入学していますが、環境に馴染めず一年くらいでやめてしまったみたいです(ちなみに筆者はここを二回受験して二回とも落ちました笑)。
しかし、私はあえて断言します! 笹井ハルは近い将来、日本、いや世界でも指折りのビッグアーティストになることでしょう!
色々な意味で笹井ハルには、今後も要注目です!
以下作品、『笑うヴァニタス/笹井ハル』”
長ったらしい記事をかいつまんで読みながら、僕は笹井さんが描いたらしい絵をみる。
それはテーブルの上に真っ赤な林檎と、毒々しいくらいに鮮やかな紫のブドウと、満面の笑みのしゃれこうべが置いてあるシンプルな絵だった。
素人目に見ても、馬鹿みたい上手い。
スマホの画面で見ても、手に取れそうな立体感がある。
水の電気分解すら、咄嗟に説明できない、理系モドキの僕とは違う、超本格派の芸術系だ。
笹井さんと僕の会話を誰かに聞かれたら、本人は許してくれても、彼女のファンに袋叩きされるかもしれないレベルの人だ。
今日も相変わらず、どこか陰鬱としていて入りにくい雑居ビルを上がりながら、僕は寒さではなく恐怖から身震いをする。
笹井さんに変なことを言っていたところを、彼女のファンか何かに見られていないことを祈るだけだ。
もし見られていたら、そのうち闇討ちをされても文句は言えない。
がらんがらんと、鈴の音を鳴らしてバイト先のメトロポリターノに入る。
すでに灯りの付いていた店内には、すでに二人の女性がいた。
「(おはようございます)おはようっす」
僕が挨拶をすると、何やらきゃっきゃとお喋りをしていたらしい二人の女性が、揃って僕の方を見る。
二人ともなぜかニヤニヤとしていて、僕は自分の顔にアメリカザリガニでも付いているのかと心配になった。
「うふふ。あら、噂をすれば、なんとやら、ねぇ」
「ふふっ、おはようございまーす、森山先輩」
楽しそうに口角を緩めっぱなしなのは岡田さんと、もう一人のバイトである津久見優衣(つくみゆい)さんだった。
長い黒髪をポニーテールのように束ねている津久見さんは、僕より年上で、茂木さんよりは年齢が下くらいのおっとり系のお姉さんだ。
詳しくは知らないけれど、普段はフリーランスのライター業のようなものをしているらしい。
「ちょうど今、森山先輩のこと、優衣さんと話してたところだったんですよ」
「聞いたわよ~、森山くん。この前は大活躍だったらしいじゃない?」
泣き黒子がどことなく大人の色気を感じさせる津久見さんは、音の出ない小さな拍手を僕に送る。
僕は絶望する。
恐るべき情報社会だ。
僕のイキリ散らし癖が、あっという間に広まってしまっている。
(あー、あれですか。まあ、あれは、その、大活躍ってほどじゃないですよ)
「ああ、あれのことっすか。あれは大活躍ってほどのことじゃないっすよ。俺からすれば、日常の一コマにしか過ぎない」
そして僕はいつも通りの激イキを晒すと、津久見さんがいつもは涼し気に半開きの目を、真ん丸に大きく見開いて、今度は音の出る拍手を僕に送る。
「まあ! ほんとに、あの森山くんがふざけてる! 紀夏ちゃんがとうとう本当に性格が悪くなって、森山くんをからかい始めたわけじゃないのね!」
「ちょっ、ちょっと優衣さん!? 本当に性格が悪くなってってなんですか!?」
津久見さんは興味深そうに僕に近づくと、ぺたぺたとほっぺたを触ってくる。
なんだかラベンダーに似たいい香りがして、和風美人の顔がすぐ近くにあることも合わさって不整脈を起こしそうだった。
「本当に本物の森山くん?」
「(い、一応本物です。たぶんそのはずです)当然本物だ。フェイクに溢れたこの世界で、数少ないリアルがこの俺さ」
「あら、そうなのね。たしかにもちもちして柔らかいわ。森山くん似の俺様仕様アンドロイドじゃないのね」
「優衣さん!? いつまで触ってるんですか!」
僕の頬を餅をこねるように、びよんびよんと伸ばし続ける津久見さんを、岡田さんがむりやり引っ張りはがしてくれる。
助かった。
これ以上べたべたとされていたら、津久見さん宛ての恋文をしたためた後に、入水自殺しなければならないところだった。
異性との交流経験がまるでない喪男は、ボディタッチにすこぶる弱いのだ。
「あらあら、もうちょっと触っていたかったのに」
「森山先輩をペット扱いしないでください!」
「紀夏ちゃんも触ってみたら? けっこう気持ちいいわよ?」
「う、うちはそういうのはいいです! ほら、そろそろ開店なんですから、森山先輩も早く着替えてきてください!」
「(は、はい! 急いで着替えてきます! すいません!)ああ、わかってる。服たちが早く俺に着られたいと、騒いでるもんな。悪かった、すぐに俺の素肌で黙らせてくる」
「馬鹿なこと言ってないで、はやく着替えろし!」
根が真面目な岡田さんは、いつまでも制服に着替えず準備を進めない僕に腹が立ったのか、手をひらひらとやって急かす。
店内の暖房が効きすぎているのか、岡田さんは少し顔を赤くしていて暑そうで、あとで温度をちょっと下げておこうと思った。
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