第13話 きっともう会うことはない



 数日振りに会った森山くんは、やっぱりちょっとおかしな人だった。


 一々全部に反応するのは面倒なので、森山くん特有の独特なボケを無視し続けているのにも関わらず、まったく折れないメンタルでその姿勢を崩さない。


 ここまで徹底していると、むしろ清々しい。


 面白いというよりは、もはや私にとっては癒しのようなものになりつつあった。



「どう? お蕎麦は美味しい?」


「美味いな。たぬきが舌の上でタップダンスを踊ってるよ」


「そう。ならよかった。こっちの冷たいお蕎麦も美味しいわ」


 たぬきが舌の上でタップダンスって、どういう意味なのかしら。

 おそらくたぬき蕎麦のたぬきとかけているんだろうけれど、どこからタップダンスが出てきたのかよくわからない。

 森山くんの表現は実に特殊で、興味深く、ついつい喋りかけたくなってしまう。

 タップダンスを踊る狸を頭に思い浮かべながら、私は椎茸の天ぷらを頬張る。

 さくさくとした衣が口の中でほどけ、あっさりとした舌触りの良い油の甘味が広がり、肉厚な椎茸の風味を味わう。

 そういえば最近は、こうやって食事を味わって食べることも、減っていたわね。


「森山くんは自炊するの?」


「俺が料理をしてやると、食材たちが喜ぶからな。なるべくサービス精神を心掛けている」


「そうなのね。尊敬するわ。私は料理の類はまるでできないから」


「意外だな。今にも鮭のムニエルとコンソメスープを作りそうな顔してるのに」


「どんな顔よそれは――ごほんっごほんっ。とにかく、料理は苦手なの」


 危ない危ない。

 うっかり突っ込んでしまったわ。

 森山くんの発言には、突っ込まないと決めていたのに。

 見込んだ通り、手強い相手ね。

 半開きの一重瞼でずっと変化のない無表情が、まるで勝ち誇っているかのように見えて、なんだか悔しい。


「じゃあいつも、食事はどうしてるんだ?」


「外食か、他人に作って貰うことが多いわね」


「凄いな。やはり王室の生まれか? 高貴な感じがすると思っていた」


「王室生まれが、出会って間もない人と二人でお蕎麦を食べるわけ――ごほんっごほんっ。べつにどこにでもあるような普通の家の生まれよ」


 手強いわね。

 私はまたもうっかり、森山くんの誘いに乗ってしまう。

 とにかく森山くんは攻撃のレパートリーと手数が多い。

 ずるずると、何でもないように蕎麦を啜る姿が、どこか勝ち誇っているように見えて、やっぱり悔しい。


「油絵が専門と言っていたな。どんな絵を描くんだ?」


「絵に興味があるの?」


「絵というよりは、あんたに興味がある」


「……私の名前で検索すれば、幾つか出てくるわ」


 私に興味があると、何の恥ずかし気もなく口にする森山くんに、憧れすら感じる。


 優しい人。


 私がどんな風に見えるかと訊いた時、森山くんはそう答えた。

 優しい人、それは私の人生で初めて言われた評価だった。

 これまでの学生時代などに、私が言われてきた言葉にそんな穏やかな響きのものは、何一つなかった。


 綺麗な人。


 頭の良い人。


 静かな人。


 才能のある人。


 冷たい人。


 傲慢な人。


 他人に興味がない人。


 選ばれた人。


 孤独な人。


 私を彩る、沢山の見え方フレームワーク

 でもこれほどまでに暖かい目で私を見た人は、過去にいなかった。

 ほんの僅かに、それでもたしかに動いた感情。

 胸の奥の方に芽吹く、鈍い痛み。

 私のキャンバスに、知らない色が混ざる。


「ご馳走でした」


「……ご馳走でした。そろそろ、お店を出ましょうか」


「そうだな。でも本当に会計はいいのか? ササイさんとの食事なんて、むしろ俺が追加料金を払ってもいいくらいだぞ?」


「……いいのよ。私の自己満足だから。気にしないで」


 真面目な顔で、またよくわからないことを言っている森山くんを無視して、料理の代金を二人分まとめて支払う。

 店員の人に一礼してから外に出ると、目の覚めるような晴天はいまだに続いていた。


「それじゃあ、私はこっちだから。傘、ありがとうね」


「蕎麦、美味しかった。感謝するぞ」


「さようなら、森山くん」


「またな、ササイさん」


 そして最後は言葉少なく、私は森山くんとお別れをする。


 これ以上一緒にいたら、余計な感情が生まれてしまいそうだから。


 またな、その優しい響きに、私は苦しくなる。


 きっともう、彼と会うことはない。


 今の私は、彼と友人になれるほど自由ではない。




「ハル」




 森山くんと別れすぐ、私の前に立ち塞がる痩身の男。

 黒縁の丸い眼鏡と、中性的な容姿。

 柔和な表情をしているが、目の奥が笑っていないその男の人を、私はよく知っている。



「創歩くん、尾けてたの?」



 川海創歩かわみそうぶ

 値踏みするような視線で、ゆっくりと私の目と鼻の先まで近づいてくるその人は、私の彼氏だった


「ねえ、さっきのアイツ、ダレ?」


「……誰でもいいでしょ」


「ダメだよ、ハル。僕は君に隠しごとをしていいけど、君は僕に隠しごとしちゃダメだろ?」


 創歩くんは、私の耳元で囁く。

 歪な愛情が、私に絡みつく。

 だけど私には、まだここから逃れる術も力もない。


「名前は?」


「……森山くんよ」


「下は?」


「イシュウ。字は知らない」


 そこでやっと私から顔を離して、創歩くんは嗤う。


 そして今度は、私の身体をそっと抱き締めると、うなじの辺りを柔らかく撫でる。


 仕草に見合った温もりはなく、冬の冷たさだけが私を包んでいた。



「モリヤマイシュウ、ね。綺麗な名前じゃないか。少し、汚したくなるなあ」



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