5-3 最後の幕開け

 ――お兄ちゃんにとって私は、唯一の家族なの。両親を亡くしたお兄ちゃんの家族になって三年くらい……かな。血は繋がってなくても大事な家族なんだよ。


 一話の時、ひまわりはそう言っていた。

 両親を亡くしたという事実を口にしているのに、最終回で母親を登場させる。

 一見すると矛盾していると思われてしまうかも知れない。でも、これは即興劇だ。プロットがない代わりに、いくらでも物語を引っ搔き回すことができる。


「ふ、ふふふ……」


 楽しい。シンプルにそう思った。

 思えば、「たはは」じゃない笑みを一人で漏らすのは初めてのような気がする。いや、むしろ一人で笑っていること自体、変なことかも知れないが。


 でも、もう自分の心に嘘は吐きたくなかった。

 周りに誰もいないのだから、気にせず笑ってしまえば良い。今まで我慢していた分、少しくらいおかしくたって良いではないかと思うのだ。


「…………透利、くん……?」


 ピタリ、と透利の笑みが固まる。

 咄嗟に「そんな馬鹿な」と思った。一人で笑っている姿を見られたからとか、そういう意味ではない。ついさっきまで雪奈がいたのだ。まさかバレてしまったのかと、透利は恐る恐る振り返る。


「ひ、日夏さん、おはようございます」


 研修室に入ってきたのは、日夏だった。

 いつも通りのおさげの髪型に、マリンボーダーのワンピース。

 どこかで見たことがあるような気がすると思って記憶を辿ると、一話の時とまったく同じ衣装であることに気が付いた。


「服、一話の時と一緒なんですね」

「……気付くの、早いんだね」

「そりゃあ気付きますよ。逆に俺は衣装まで気が回らなくて……たはは」


 思わず苦笑を浮かべる透利。

 今日の服装は黒パーカーにジーンズという相変わらずの地味さで、ついつい情けなく思ってしまう。雪奈関係でバタバタしていたのだから仕方がないと、透利は心の中でそっと言い訳をした。


「ねぇ、さっき……」

「えっ」

「一人で笑ってたでしょ」


 ――そっちですか……っ!


 透利は思わず心の中で叫ぶ。

 と同時に、物凄くほっとしていた。ちょっとでも動揺する素振りは見せていないし、どうやら雪奈のことはバレていないようだ。


「彩木くんとのこととか、気になってたから。大丈夫そうで安心した」

「あぁ、すいません。今日のことで頭がいっぱいで、全然連絡できてなくて……」

「…………そっか」


 日夏はぼそりと呟き、そのまま俯く。

 少しの沈黙が訪れると、何故か日夏の頬がほんのりと朱色に染まった。日夏が照れる姿を見るのは久しぶりな気がする。


「透利くん、私……」


 日夏の緋色の瞳が、不安定に揺れる。

 きっと、透利の視線も挙動不審なほどに揺らめいているのだろうと思った。さっきまでの緊張感とはまた違ったドキドキが透利を襲う。


「即興劇の道と、声優の道。正直まだ、答えが見つかった訳じゃないんだけど……でも……」


 やがて、日夏の瞳はまっすぐ透利を捉えた。

 その途端、透利は日夏の視線から逃れられなくなる。一瞬たりとも視線を逸らしたらいけないし、瞬きすらもしたくない。


「あなたと出会って、気付いたの。……私、やっぱりこの世界が好き」


 それはまるで、室内だというのにふわりと風が吹いたような感覚だった。

 心の底から笑いが込み上げてくる。嬉しくて、嬉しくて、でも違うのだと叫びたくなって、それでもやっぱり嬉しくて。

 自分のおかげなのかは、自分ではわからない。

 だけど日夏は笑っている。

 今までだって、クールながらに笑みは見せていた。でも、こんなにもストレートな笑顔を見たのは初めてだと思う。


 自分は、いつも誰かに助けられてばかりだと思っていた。

 日夏もそう、両親もそう、野乃花や紅也、志島親子もそう。今回は雪奈まで巻き込もうとしている。

 本当は人に恵まれていて、その事実にやっと気付くことができた。「最終回は主人公として頑張りたい」と思ったのも、周りの人達に恩返しがしたいという気持ちが含まれているのかも知れない。


 自分が誰かの心を動かすなんて、そんなのおこがましい。少し前だったらそう思っていたことだろう。

 でも、だったら、この笑顔はいったいなんだというのだろうか。


「透利くん」

「…………はい」

「最後まで、楽しもう」


 優しく囁きながら、日夏は右手を差し出してくる。

 手を繋ぐ演技ではあんなにも恥ずかしがっていたのに、今はそんな素振りなど一切見せなかった。


「もちろんです」


 しっかり、はっきりと。

 力強く返事をしながら、透利は日夏の手を握り締める。すると、一瞬だけビクリと日夏の手が震えた気がした。


「たはは……」


 わかりやすく笑ってみせると、日夏はジト目でこちらを睨んでくる。

 そんな当たり前のやり取りが嬉しくて、やっぱり透利は笑ってしまう。本番前だというのに、透利の心は安心感に包まれていた。



 それから紅也や野乃花、志島親子とも顔を合わせる。

 あとは任せたと紅也に肩を叩かれ、野乃花からは「もう暴れないから安心してくださいっ」と楽しげに笑われた。

 志島親子は流石スタッフというか何というか、緊張する素振りは一ミリも見せずに透利達を見守っている。時々意味深なアイコンタクトを向けられることもあったが、それはきっと雪奈のことだろう。雪奈のことを把握しているのは透利と志島親子だけで、その他のメンバーは演技中に知ることになる。特に日夏のことを考えると、やっぱり緊張が止まらなかった。


(でも……楽しみですね)


 気付けば透利は、へらりと笑っていた。

 だって、透利はもう一人ではないのだ。打ち解けられた仲間がいて、頼もしいスタッフがいて、更には雪奈もいる。

 こんなにも心躍る瞬間が他に存在するのか、と透利は思う。

 時刻は午前九時五十五分。本番の五分前だ。


「皆さん。始めましょうか」


 透利の言葉で、辺りの空気が引き締まるのを感じた。

 それぞれに目配せをしながら、何となくの定位置につく。透利は日夏とともに外に出て、研究室の扉の前に立った。扉をノックするシーンから始めようと相談した訳ではない。ただ何も言わずに外に出たら日夏もついてきてくれたのだ。

 二人並んで扉の前に立ち、頷き合う。日夏はさっとスマートフォンを取り出し、生中継の準備を始める。


「行こっか、透利くん」

「……はい」



 ――こうして、ミズキとひまわりから始まった物語の最終回が幕を開けた。

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