5-2 プレゼント
雪奈は不思議そうに小首を傾げた。
そりゃあ、いきなり「主人公としてちゃんと動きたい」なんて言っても意味がわからないだろう。透利は慌ててショルダーバッグの中を探る。
透利が雪奈に手渡したのは、どう見たってプレゼント用にしか見えない赤いリボンのラッピング袋だった。
「これは……?」
今度は驚いて瞳をぱちくりとさせる雪奈。
主人公として動きたいなどと言いながらプレゼントを渡す。やっぱり意味不明な言動だ。雪奈が唖然としてしまうことはわかっていたため、透利は苦笑を浮かべながら弁解をする。
「違うんです、その……プレゼントという訳ではなくて……!」
言いながら、透利は自らラッピングのリボンを解く。
袋から出てきたのはエプロンだった。エバーグリーンの落ち着いた色をしていて、雪奈が身に付けている白いブラウスとジーンズとも合いそうな感じだ。
「昨日、斑鳩さんからお話をいただいてから、自分から何か提案できることはないかって考えて……。それで、ミズキとひまわりの母親っていう役どころはどうかと思ったんです」
「母親! あー、ふんふん、なるなどね」
ようやく透利の意図を察してくれたらしく、雪奈は「それでエプロンね」と言いたいような視線を向ける。
「す、すみません。昨日、急いで部屋を飛び出して買ってきたんです。そしたら店員さんに『彼女さんへのプレゼントですか?』と言われてしまって……。誤魔化すこともできなくて、つい、ラッピングを……」
ごにょごにょと小声になりながらも、透利は謝罪するように顔を伏せる。
ただでさえ恥ずかしいのに、雪奈が自分の用意した衣装と設定に乗ってくれるかどうかも不安でたまらなかった。だって雪奈は声優で、自分はただの高校生だ。本来だったら一緒の舞台に立てることすらありえないのに、自分から提案をするなんて。
考えれば考えるほどに恐れ多いことをしてしまったと思い、透利の心は震える。
「凄いね、須堂くん」
「…………え?」
だから、予想外すぎる雪奈の反応に、透利は思い切り唖然としてしまった。雪奈は確かに透利からエプロンを受け取り、優しく微笑んでいる。
「急に私の出演が決まったのに、そこまで考えられたってことでしょ? 私なんて、須堂くん達の物語に参加できるのが嬉しくて、ただただ楽しみにここまで来ちゃったよ」
「えっと、あの……良いんですか?」
「もちろん!」
明るく返事をする雪奈を見て、透利の心はドキリと飛び跳ねた。
最終回が近付くにつれて緊張感が増す――というのも理由の一つではあるのだろう。でも、それだけではないのだ。自分の行動で、物語が予想もつかない方向へと進もうとしている。この事実がとてつもなく嬉しくてたまらないのだと気付いた。
「あっ、そうだ。母親だったら……」
いそいそとエプロンを身に着けると、雪奈は閃いたように鞄の中を探り始めた。「ただただ楽しみにここに来た」と言っていたが、何か小道具を持ってきていたのだろうか?
透利はついつい、期待の眼差しを雪奈に向けてしまう。
「大したことじゃないんだけど、こうするとちょっと母親っぽく見えない?」
「あ……確かに、良いですね」
どうやら、雪奈が鞄から取り出したのはヘアゴムだったようだ。小道具というよりも、元々持っていたものだったのだろう。
雪奈は自分の髪型をふんわりと結って肩に垂らした。雪奈は確か二十代半ばで、ミズキとひまわりの母親を演じるには少々若く感じる。しかし、髪型一つで印象は変わるものだ。エプロンを付けただけでは若奥様という印象だったが、髪を結んだことで少しだけその印象が薄れたような気がする。
「この髪型、ルーズサイドテールっていうらしいの」
「ルーズサイドテール、ですか」
「そう。アニメだと母親がこの髪型の確立が高いの。不思議でしょ?」
言いながら、雪奈はドヤ顔に近い笑みを浮かべる。
透利も「ですね」と言いながら自然と笑みを零していた。相手は日夏も憧れている声優だというのに、少しずつ緊張は解れていっている。むしろ、「ただただ楽しみ」という雪奈の言葉がこちらにも伝染してくるくらいだ。
「良かった。須堂くん、やっと笑ってくれた」
「たはは……すみません」
頭を掻く仕草をしながら、透利は誤魔化すように笑う。自然と「たはは」が出たということは、少しだけ緊張感が薄れた証拠なのかも知れない。
「どう? 最終回、やれそう?」
「…………正直、不安がまったくないという訳ではないです」
雪奈の問いかけに、透利はなるべくはっきりとした声色で本心を伝える。
即興劇のプロットは頭の中にしかない。最終回を主人公として引っ張ると決めた今、本当に上手くいくのかという心配はもちろん拭い切れなかった。
「でも」
不安を打ち消す様々な気持ちが、透利の心を包んでいる。
だいたい、マイナスな気持ちだけが渦巻いていたら、透利は今ここに立っていないのだから。
「俺も、楽しみっていう気持ちが強いんです。日夏さんが驚いた姿とか、早く見たいですしね」
「あー、そっかそっか。実は最近、日夏ちゃんからもファンレターをもらっててね。まさか日夏ちゃんが私のファンでいてくれたなんて知らなかったから、ビックリしたよ」
「ぅえ、そうだったんですか?」
透利は思わず、間抜けな声で聞き返してしまう。
日夏も最近ファンレターを送っていたこともそうだが、日夏が雪奈のファンであることを知らなかったのにも驚きだったのだ。
雪奈は楽しそうにくすくすと笑う。
「私だって日夏ちゃんのファンだから、日夏ちゃんに直接依頼することはできなかったの。それに、本番中にいきなり私が登場した方が面白い展開になりそうかなって」
「はい。俺も、そう思います」
また、鼓動が飛び跳ねる。
これは緊張ではなくわくわくなのだと、自然とつり上がる口角が物語っているようだった。
「あー……っと、そろそろ皆来ちゃう時間かな。私、裏に引っ込んでるね。まだ何か伝えておきたいこととかあるかな?」
「いえ。あとは本番で」
「うん、わかった。楽しもうね、須堂くん」
「……はい……っ!」
思った以上に明るい声を出す自分の裏側で、やっぱり鼓動は高鳴っていく。
雪奈にエプロンを渡すことは、透利にとって大きなハードルだった。でも、それはもう乗り越えてしまったのだ。
だから透利は、小さく深呼吸をする。研究室をじっくりと見渡して、この場所の中心で自分は動き回るのだと決心を固めていた。
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