第3話「人間だもの」
僕の全てが一変してしまった。
もう、僕は殺人兵器じゃない。
ロボットですらない。
身体の一部をマシーンに置き換えた人間という意味では、拡大解釈すればサイボーグということになるだろう。
普通、逆なのだけど。
「ええい、クソッ! ニラニラする! どうしてネット接続に外部デバイスが必要なのだ」
僕は今、端末を使ってネットワークにアクセスしている。
そして、世界の外側に
だが、今の僕は単独ではなにもできない。
光学キーボードへ、たどたどしく両手の人差し指で触れてゆく。
「なんてふざけた
自分の肉体が柔らか過ぎて、酷く落ち着かない。
常に出力120%を維持して、敵軍の真っ只中を歩いているような気分だ。
それに、先程から体調がおかしい。
腹の底がキュウウと、締め付けられるような感覚だ。
「人間の肉体維持に必要なエネルギー量と、その種類だ。検索、検索、検索……ん?」
ニュースポータルでは今日も、世界中の情報が飛び交っていた。
切り取られ、加工され、装飾されたニュースたち。
そのどれもが、全く自分の興味を引かない。
僕にあるのは、受けた命令とその実行、それだけだからだ。
だが、それでも立体映像が流れる中へと手を伸べる。実際にアイコンに触れることで、それは小さく浮かび上がって音声と動画を再生し始めた。
『今日、正式な終戦協定が調印される東京では、静かな
ニュースキャスターは、平べったい言葉をさらに引き伸ばすように話す。淡々とした声音の背景には、雨に煙る異国の大都市が映っていた。
確か、極東の島国日本の首都だ。
僕はまだ行ったことがないし、行けと言われればあの景色は失われてしまうだろう。
「そうか、戦争は……やっぱり終わったのか。まあいいさ、それより急いでエネルギー補給だ」
丁度世界も、僕を……僕たちを必要としない時代になったらしい。
そのことにも全く動揺はないし、安堵も悲観もありはしない。
基本的な焼付プログラム、自己保全のために僕は忙しかった。
それというのも、今朝のジェザドが全て悪いのだ。
突然の目覚めと、全てが豹変してしまった僕。
酷い目に合わせてくれたジェザドは、何度も僕を検査した。
パラメータの数値化と表示がなくても、僕にも自分が健康体ということはわかった。少し運動不足と栄養不足というのも、理由意外は把握できた。
そして最後に、その片方を補う作業が始まったんだ。
「さ、座って。ナナオちゃん、お腹空いたでしょ?」
「これは……なんの真似だ?」
目覚めたあの部屋に戻ってきたら、テーブルが運び込まれていた。そこには、湯気をくゆらす食事が並んでいる。漂ってくる臭気が、嗅覚を不思議な柔らかさで包んだ。
「なんの真似って、ご飯だよ? さ、座って座って」
「栄養補給か、それは助かるね。でも、無駄に趣味的じゃないか」
僕だってバカじゃない、戦闘情報の他にも今はいくばくかの予備知識を有している。
パンはこんがりと焼かれて、ほどよく表面が小麦色だ。これではもう、長期保存はできない。マグカップの中身は温めたミルク。軍ではアレルギー等を考慮して、あまり支給されないものだな。
真ん中には鳥類の卵を中身だけ混ぜて焼いたものがある。
なんてことはない、平々凡々な料理の数々だ。
「これを僕に摂取しろというのかい? ……非効率的だ」
「あ、お米の方が好きだったかい? だよねえ、母親は日本人だし」
「この身体の母体か?」
「そう、私が愛した人のことだよ」
なんでこう、人間は回りくどい言い回しを使いたがるのだろう。意思伝達に結論を
ようするに、僕を封じ込めた不自由なこの肉体は、ジェザドの子供らしい。
フン、と鼻を鳴らして僕は腕組みふんぞりかえる。
なんとなくだが、ジェザドが僕を
「そうか、わかったぞ。ジェザド、お前は僕を使って死んだ娘とのコミュニュケーションを試みようというのだな?」
「いんや? 微妙に違うけど。ささ、料理が冷めちゃうよ?」
「では、なんなのだ! どうして僕をこんな目に……僕の全ては軍の財産だし、軍事機密だ! しかも、貴重なデータが詰まった頭脳をこんな入れ物に」
「……わかったヨ。話すから座って。あと、食べなきゃ」
あくまでジェザドは、穏やかに着席を
笑顔で。
でも、僕はその時初めて気付いた。
人間の笑みというのには、多彩なバリエーションがあるらしい。
僕はただ、壁に寄りかかって顎をしゃくるだけだった。
そして、ジェザドはやれやれと話し出す。
「まず、死んだ娘と言ってたけどねえ……逆だよ、逆。僕の愛娘は命を取り留めたんだ。君、色々検査されてわかったでしょ? 健康な乙女そのものだよ」
「では、何故その中に僕をインストールしたんだい?」
「娘は難病を
パン! と勢いよく手を叩き、ジェザドはテーブルに身を乗り出した。
瞳が見開かれて、瞳孔に輝きが増す。
「手術すれば死んでしまうなら……先に死んでから手術すればいいのサ」
「……本末転倒では?」
「死ぬといっても仮死状態だよ。そして、手術は無事に完了した。病巣は全て取り払われた。けど、一つだけ問題があってネ」
「肉体の中身の話か。それで僕を?」
「うん。しばらく娘の肉体を維持するのに協力してほしい」
ようするに、本来の持ち主にメンテナンスし終わった肉体を届ける、それまでの仮の維持システムが僕らしい。
勿論、軍からの正式な指揮系統を通った命令ではない。
僕にジェザドの頼みを聞いてやる義理なんてなかった。
それに、さっきから頭の奥がギリギリする。
「お断りだね。身勝手だとは思わないのかい?」
「いやあ、人間なんて身勝手なのさ。誰に対してとか、どれくらい身勝手かを問題にしてほしいね」
「
それだけ行って、僕は部屋を出てきた。
今は病院の演算室で端末を拝借している。
人間の健康に必要な補給物資について調べているのだ。
「カロリーはこれくらいで、タンパク質と糖分、各種ビタミンと……」
「やあ、ナナオちゃん。やっと見つけたよ」
「看護師に許可は取っている。……よし、これで全部だな」
僕は、現れたジェザドを見もせずに作業を続ける。
人間の肉体というのは、なんと複雑で、それでいて脆弱にできているのだろう。数え切れない栄養素を適時補給しなければ、生きていけないのだ。
僕は、ネフェリムは違う。
バッテリーに電力が供給されるだけでいいのだ。
僕は端末をシャットダウンすると、椅子を蹴るようにして立ち上がる。
「全て完全に把握した。あとは、必要な栄養分を薬剤で摂取すればOKだ」
「ありゃま、味気ないねえ」
「フン、どうして僕が食事などという非効率な作業を……あ、あれ?」
「ん? どしたの、ナナオちゃん」
おかしい。
というか、不便で不自由だ。
これが人間……僕たちを生み出した万物の霊長だって?
信じられないよ!
「さっき調べた内容の大半を忘れつつある! ビタミンの種類も、必要カロリーの数字も! どうしてだ!」
「いやあ、ナナオちゃん。どうしてって言われてもねえ。若いからまだマシなんだと思うけど」
「ちゃんと精査し記憶した
「物忘れ、って言うんだよ。メモとか取らなかったの?」
「メモ帳? ネフェリムにそんなアプリケーションは実装されていない」
「いや、そうじゃなくて……手でペンを持って、紙にメモだよん」
「……信じられない。これが、人間。これが、
ショックだ。普段なら、一度触れたデータは完璧に保存できたし、半永久的に共有できる筈だった。
そんな僕に追い打ちをかけるように、再びお腹がキュクルルー、と鳴る。
大きな溜息が自然と出て、その仕草も不可解だったが……やむを得ず僕は、ジェザドとの会食に応じることになるのだった。
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