第3話「人間だもの」

 僕の全てが一変してしまった。

 もう、僕は殺人兵器じゃない。

 ロボットですらない。

 身体の一部をマシーンに置き換えた人間という意味では、拡大解釈すればサイボーグということになるだろう。

 普通、逆なのだけど。

 何故なぜって、人間にとってこの時代で一番価値のあるパーツは脳なのだから。


「ええい、クソッ! ニラニラする! どうしてネット接続に外部デバイスが必要なのだ」


 僕は今、端末を使ってネットワークにアクセスしている。

 すでに世界は、半世紀ほど前から小さく狭く圧縮されてしまった。発達したネットワークと物流によって、誰にでも何処どこへでもすぐにアクセスできる。

 そして、世界の外側に電脳仮想世界バーチャルリアリティという新しいフロンティアが無限に広がったのだ。

 だが、今の僕は単独ではなにもできない。

 光学キーボードへ、たどたどしく両手の人差し指で触れてゆく。


「なんてふざけた真似まねをしてくれるんだい、全く……ジェザドめ」


 自分の肉体が柔らか過ぎて、酷く落ち着かない。

 常に出力120%を維持して、敵軍の真っ只中を歩いているような気分だ。

 それに、先程から体調がおかしい。

 腹の底がキュウウと、締め付けられるような感覚だ。


「人間の肉体維持に必要なエネルギー量と、その種類だ。検索、検索、検索……ん?」


 ニュースポータルでは今日も、世界中の情報が飛び交っていた。

 切り取られ、加工され、装飾されたニュースたち。

 そのどれもが、全く自分の興味を引かない。

 僕にあるのは、受けた命令とその実行、それだけだからだ。

 だが、それでも立体映像が流れる中へと手を伸べる。実際にアイコンに触れることで、それは小さく浮かび上がって音声と動画を再生し始めた。


『今日、正式な終戦協定が調印される東京では、静かな鎮魂ちんこんの祈りが満ちています』


 ニュースキャスターは、平べったい言葉をさらに引き伸ばすように話す。淡々とした声音の背景には、雨に煙る異国の大都市が映っていた。

 確か、極東の島国日本の首都だ。

 僕はまだ行ったことがないし、行けと言われればあの景色は失われてしまうだろう。


「そうか、戦争は……やっぱり終わったのか。まあいいさ、それより急いでエネルギー補給だ」


 丁度世界も、僕を……僕たちを必要としない時代になったらしい。

 そのことにも全く動揺はないし、安堵も悲観もありはしない。

 基本的な焼付プログラム、自己保全のために僕は忙しかった。

 それというのも、今朝のジェザドが全て悪いのだ。






 突然の目覚めと、全てが豹変してしまった僕。

 酷い目に合わせてくれたジェザドは、何度も僕を検査した。

 パラメータの数値化と表示がなくても、僕にも自分が健康体ということはわかった。少し運動不足と栄養不足というのも、理由意外は把握できた。

 そして最後に、その片方を補う作業が始まったんだ。


「さ、座って。ナナオちゃん、お腹空いたでしょ?」

「これは……なんの真似だ?」


 目覚めたあの部屋に戻ってきたら、テーブルが運び込まれていた。そこには、湯気をくゆらす食事が並んでいる。漂ってくる臭気が、嗅覚を不思議な柔らかさで包んだ。


「なんの真似って、ご飯だよ? さ、座って座って」

「栄養補給か、それは助かるね。でも、無駄に趣味的じゃないか」


 僕だってバカじゃない、戦闘情報の他にも今はいくばくかの予備知識を有している。

 パンはこんがりと焼かれて、ほどよく表面が小麦色だ。これではもう、長期保存はできない。マグカップの中身は温めたミルク。軍ではアレルギー等を考慮して、あまり支給されないものだな。

 真ん中には鳥類の卵を中身だけ混ぜて焼いたものがある。

 なんてことはない、平々凡々な料理の数々だ。


「これを僕に摂取しろというのかい? ……非効率的だ」

「あ、お米の方が好きだったかい? だよねえ、母親は日本人だし」

「この身体の母体か?」

「そう、私が愛した人のことだよ」


 なんでこう、人間は回りくどい言い回しを使いたがるのだろう。意思伝達に結論を迂回うかつする意味を僕は持ち得ない。

 ようするに、僕を封じ込めた不自由なこの肉体は、ジェザドの子供らしい。

 フン、と鼻を鳴らして僕は腕組みふんぞりかえる。

 なんとなくだが、ジェザドが僕をおとしいれた理由が見えてき始めた。


「そうか、わかったぞ。ジェザド、お前は僕を使って死んだ娘とのコミュニュケーションを試みようというのだな?」

「いんや? 微妙に違うけど。ささ、料理が冷めちゃうよ?」

「では、なんなのだ! どうして僕をこんな目に……僕の全ては軍の財産だし、軍事機密だ! しかも、貴重なデータが詰まった頭脳をこんな入れ物に」

「……わかったヨ。話すから座って。あと、食べなきゃ」


 あくまでジェザドは、穏やかに着席をうながす。

 笑顔で。

 でも、僕はその時初めて気付いた。

 人間の笑みというのには、多彩なバリエーションがあるらしい。

 僕はただ、壁に寄りかかって顎をしゃくるだけだった。

 そして、ジェザドはやれやれと話し出す。


「まず、死んだ娘と言ってたけどねえ……逆だよ、逆。僕の愛娘は命を取り留めたんだ。君、色々検査されてわかったでしょ? 健康な乙女そのものだよ」

「では、何故その中に僕をインストールしたんだい?」

「娘は難病をわずらわっていた。そして、手術は無理だったのさ。無理に強行すれば、耐えきれずに死んでしまう。そこで、だ!」


 パン! と勢いよく手を叩き、ジェザドはテーブルに身を乗り出した。

 瞳が見開かれて、瞳孔に輝きが増す。


「手術すれば死んでしまうなら……

「……本末転倒では?」

「死ぬといっても仮死状態だよ。そして、手術は無事に完了した。病巣は全て取り払われた。けど、一つだけ問題があってネ」

「肉体の中身の話か。それで僕を?」

「うん。しばらく娘の肉体を維持するのに協力してほしい」


 ようするに、本来の持ち主にメンテナンスし終わった肉体を届ける、それまでの仮の維持システムが僕らしい。

 勿論、軍からの正式な指揮系統を通った命令ではない。

 僕にジェザドの頼みを聞いてやる義理なんてなかった。

 それに、さっきから頭の奥がギリギリする。


「お断りだね。身勝手だとは思わないのかい?」

「いやあ、人間なんて身勝手なのさ。誰に対してとか、どれくらい身勝手かを問題にしてほしいね」

あきれた奴だ。悪いけど、親子ごっこなら別のAIとやってくれたまえ。その相手が見つかるまでだけ、肉体の維持に務めよう」






 それだけ行って、僕は部屋を出てきた。

 今は病院の演算室で端末を拝借している。

 人間の健康に必要な補給物資について調べているのだ。


「カロリーはこれくらいで、タンパク質と糖分、各種ビタミンと……」

「やあ、ナナオちゃん。やっと見つけたよ」

「看護師に許可は取っている。……よし、これで全部だな」


 僕は、現れたジェザドを見もせずに作業を続ける。

 人間の肉体というのは、なんと複雑で、それでいて脆弱にできているのだろう。数え切れない栄養素を適時補給しなければ、生きていけないのだ。

 僕は、ネフェリムは違う。

 バッテリーに電力が供給されるだけでいいのだ。

 僕は端末をシャットダウンすると、椅子を蹴るようにして立ち上がる。


「全て完全に把握した。あとは、必要な栄養分を薬剤で摂取すればOKだ」

「ありゃま、味気ないねえ」

「フン、どうして僕が食事などという非効率な作業を……あ、あれ?」

「ん? どしたの、ナナオちゃん」


 おかしい。

 というか、不便で不自由だ。

 これが人間……僕たちを生み出した万物の霊長だって?

 信じられないよ!


「さっき調べた内容の大半を忘れつつある! ビタミンの種類も、必要カロリーの数字も! どうしてだ!」

「いやあ、ナナオちゃん。どうしてって言われてもねえ。若いからまだマシなんだと思うけど」

「ちゃんと精査し記憶したはずのデータが、勝手に消えるだと? どういう構造してるのだ!」

「物忘れ、って言うんだよ。メモとか取らなかったの?」

「メモ帳? ネフェリムにそんなアプリケーションは実装されていない」

「いや、そうじゃなくて……手でペンを持って、紙にメモだよん」

「……信じられない。これが、人間。これが、忘却ぼうきゃく……!?」


 ショックだ。普段なら、一度触れたデータは完璧に保存できたし、半永久的に共有できる筈だった。

 そんな僕に追い打ちをかけるように、再びお腹がキュクルルー、と鳴る。

 大きな溜息が自然と出て、その仕草も不可解だったが……やむを得ず僕は、ジェザドとの会食に応じることになるのだった。

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