18
その後、メジャックの路地裏から葉空駅まで歩いている最中に、長浦芽衣が「あ!」と、何かを思い付いて聞いた。
「もしかして、生徒会長さんの性格がガラッと変わったのも、眼鏡に対する憎しみを消したから?」
「え? ……ああ、うん、そうだよ」
「だからかぁ。すごい変化だったもんね!」
「……そうだね……」
コウは何とも居心地の悪い思いをしていた。というのも、確かにコウは嘘は言っていないが、真実を言った訳でもないからだ。
然う斯うする内に、二人は葉空駅に着いた。
「本当にもう、大丈夫?」
「大丈夫だって! 心配性だなぁ。でも、ありがと!」
先程あんな事があったばかりなので、心配するコウに対して、長浦芽衣は笑顔で答えた。
「じゃあまた、明日!」
「うん、気をつけて」
手を振る長浦芽衣に、コウも手を振り返す。
改札の向こうへ消えて行く長浦芽衣を見送ると、コウ自身もラボへ帰るため歩き出した。
歩きながら、コウは先程、生徒会長――東枇杷島舞子の変化に関して長浦芽衣に質問されたことを思い出していた。
(まぁ、眼鏡に対する憎しみの除去も嘘じゃないんだけどね……)
東枇杷島舞子に対して施した処置を論ずるためには、まずは先程の風属性デビルコンタクトの男に関して詳細を述べなければいけない。
男に対して『眼鏡に対する憎しみを消す』ことが再犯防止の重要な要素であることは間違い無い。が、実はもう一つ再犯防止を決定的なものにする副作用があった。それは、先ほども出て来た『トラウマ』だ。
コウがデビルコンタクトを倒す際、コンタクトを破壊するために、正面から両目を眼鏡剣で斬って破壊する必要がある。一見すると脳まで刃が届くこの攻撃は、対象の命を刈り取る行為に他ならないと思われがちだが、実際は違う。
ナノテクノロジーを駆使した眼鏡剣による『眼鏡斬』は、一旦原子レベルにまで眼鏡剣を分解した上で放たれる技なので、コンタクトは破壊し、脳へ干渉して『眼鏡に対する憎しみを消す』ものの、顔面にも眼球にも脳にも直接損傷を与えることは決してない。
が、剣によって正面から両目を突き刺され、剰え脳まで貫通させられるという、普通に生きていたらまず経験することは無い恐ろしい経験によって、深い恐怖が心に刻み込まれる。
その結果、デビルコンタクトは『眼鏡に対する憎しみを消される』と同時に、『心を支配する深いトラウマを植えつけられる』事により、日常生活に支障を来すようになるのだ。
男のデビルコンタクトに対しては、それで良いとコウは思っていた。罪もない眼鏡を掛けた人々を傷付け、殺して来たのだ。それくらいの報いがあって然るべきだろう。
だが、女性に関しては、コウは多少甘かった。
世界で一番尊敬し、大切である姉が女性であるから、というのが一番の、そして唯一の理由だ。
東枇杷島舞子は女性であるため、コウはトラウマは植えつけないでおこうと思った(ちなみに、東枇杷島舞子は厳密には街中で眼鏡の人々を襲うデビルコンタクトでは無かったが、学園内だろうが眼鏡の人々を襲った(または襲わせた)時点で、コウにとっては大差ないため、倒すかどうかと逡巡することは有り得ない)。
そのためにコウが取れる手段は、一つしかない。眼鏡剣は博士が開発した物であり、唯一の目的である『デビルコンタクトを倒す』ためには汎用性が高いが、本来倒すべき対象を救おうとするとなると、その方策が限られて来るのだ。
唯一用意された方法というのが、対象の脳に『快楽物質を分泌させる』という物だった。
それにより、トラウマを抱えることは無くなる。
だが、これにも副作用がある。
それは、深いトラウマを塗り潰して感じさせなくする程の快楽物質を分泌させることで、一種の媚薬的な効果が表れてしまうことだ。
深い快楽を感じたのは、青塚に会った際。よって、青塚に会う度、もしくは青塚のことを思い出す度に条件反射で『気持ち良かった記憶』が甦ってドキドキしてしまう。
現在、東枇杷島舞子は青塚に惚れている。が、それは快楽物質の過剰分泌によるものだ。
尚、コウはそれを仕方が無いことだと思っているが、実はそうでも無い。
ある日のこと。博士は研究所のモニターの画面を見ながら千夏と話をしていた(コウは博士と千夏がきちんとコミュニケーションを取っているのだろうかと心配していたが、実は彼らは一日に一回情報交換と称して会っている。無論情報交換だけなら会わなくとも出来るが、千夏の両親が殺されたこともあり、二人だけの家族になってしまったので、コミュニケーションを取るためにそのようにしているのだ)。
「あ」
「どうしたの、お爺ちゃん?」
「いや、まぁ、大したことではないのじゃが」
「何が?」
「快楽物質をちょびっと多めにし過ぎたのじゃ。相手が女性の場合、眼鏡剣で『眼鏡に対する憎しみ』を取ってしまうと、両目を貫かれる恐怖心によるトラウマを防ぐために与える快楽物質が多過ぎて……」
「多過ぎて……?」
「コウに会う度またはコウを思う度に胸が高鳴って、惚れてしまうのじゃ」
「いや、お爺ちゃんそれ……完全にアウトでしょ……」
このような会話がなされたことを、コウは知らなかった。
ちなみに、この会話の後、千夏が自分の仕事部屋――PCルームに戻った後、ピンク髪のツーサイドアップを振り乱して、
「なんでライバル増やすのよ~! しかもお爺ちゃんがって! 身内のせいって! まさか背中から刺されるとは思わなかったわよ~!」
と叫んだことなど、知る由も無かった。
余談だが、東枇杷島舞子――女性の標的を倒す際に相手に眼鏡が掛けられるのは、『眼鏡斬を使うことで消えた身体の部位を、眼鏡の女性を見て取り戻すため』の眼鏡剣の仕様であると共に、『女性には眼鏡を掛けていて欲しい』というコウの趣味でもある。
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