買収

「それはわかっておる。だが、ワシも肝が太いふりをしているが、これでなかなかの小心者でな。ここでキミに愚痴を言ったことくらいは覚えておいて欲しい」


 構わんかな。総理は、神三郎にそう断ってから煙草を咥えた。秘書がライターの炎を手で隠すようにしながら火をつける。

 彼は煙草をゆっくりとくゆらせながら目を閉じ、顎を持ち上げた。何度か美味そうに吸い、煙を吐き出す。


「実は、キミにはもうひとつ渡したいものがあってな。おい。すまんが、あれを出してくれんか」


 総理は火のついたままの煙草を灰皿の縁に置いてから、秘書に指示した。男はお茶をテーブルの端に寄せ、持参した黒いスーツケースを置く。

 小さな鍵を回すと、カチャリと音がした。中身が神三郎から見えるように、おもむろに蓋を開けていく。

 そこには聖徳太子の肖像が入った札束が、帯のついたまま綺麗に並んでいた。ひと束が百万円として全部で五千万円。こんなものを持って出歩く度胸があって、小心者とはよく言う。


「これで神三郎様を買収するつもりか」


「そんなにつまらん男と思われるのは心外だな。ワシはただ、九十九君に正当な報酬を払うべきだと思っておるんだ。九十九君は、今までに十三体の鬼神を狩ったと聞いておる。鬼神殺しの手当は、一体で百万円だ。それを国で雇った陰陽師が勝手に横取りをしとったワケだ。つまり日本国として、神三郎君に千三百万円は払わんといかんことになる」


 総理は百万円の束を無造作につかむと、それを積み上げ始めた。五束積み上げると横へ。それを十三束。最後にもう二束を載せて、五百万円の山を三つにする。


「足したのは必要経費と利息だ。納めてくれ。これからも国のために働いてくれるなら、残りの金も置いていく。どうだ。ワシのことはいい。もらってくれんか」


 札束が神三郎を見ている。金銭には淡白な神三郎も少しは心が動いた。

 それにしても抜け目がない。千五百万円の理屈はわかる。だが、国のために働くなら残りをくれるというのがミソだ。

 うっかり受け取れば、神三郎は三千五百万円で総理大臣に雇われたことになる。どうやら金にも、使い方の上手い下手があるらしい。そういう意味では、この男は天才だ。


 ふと、神三郎は午前中に佑子が来たことを思い出した。

 そうだ。あれがちょうどいい。

「では、最初の千三百万円だけ、いただきましょう。紫苑、机の上にメモがある。取ってきてくれないか」


 紫苑はうなずいて立ち上がった。


「少し、動きがぎこちないようだが。ケガでもしておるのか。あの小さな体で、鬼と戦うのだろう」


「紫苑には足がありません。左腕も、腰から下の胴体もありません。残りは作り物です。最初はまともに歩けずに床を這っていました。お茶を淹れられるようになったのも、つい最近のことです」


「神三郎様、これで良いか」


「ありがとう」


「たやすいことじゃ」

 紫苑は神三郎が礼を言うと、本当に嬉しそうな顔をする。それが人よりも、鬼よりも美しい。


「僕の妹が医者をしていましてね。その知り合いで、いい義手や義足を作る工房があるんです。経営が悪化したとかで援助を頼まれたんですが、僕にもそれほどの余裕があるわけじゃありません。だからそのお金をそのまま、その紙に書いてある口座に振り込んでください。それならあなたの顔も立つでしょう。僕も妹にいい顔ができます」


「バカモノ、そんなことがワシにできるか」

 総理は突然、席を立った。興奮したように喋りながら唾を飛ばす。


「それはキミのやることじゃない。優秀な技術者を援助するのは政治家の仕事だ。わかった、その工房の経営が成り立つように手を回そう。その金も、受け取れないならワシが預かっておく。キミは何も気にせんでいい。ワシの負けだ。

 おい、金をしまって帰るぞ。それと、これはワシの名刺だ。キミの名前は秘書に覚えさせておく。困ったことがあったら、いつでも訪ねて来なさい」


 違う。負けたのは自分だ。

 神三郎にはわかっていた。目的が神三郎を買収して味方につけることなら、この男は十分にその目的を果たしたことになる。どこまでが本気で、どこまでが演技なのかわからない。だが、神三郎はこの男に何かを感じてしまった。この短時間で、それも見せ金だけで、神三郎はこの金権政治家と噂される男に負けた。


「ちょっと待ってください。僕も陰陽師です。頂いたお酒のお礼に、あなたのことをひとつ、占ってさしあげます」


 神三郎は自分のデスクまで歩いて、引き出しから筮竹ぜいちくの入った筒を取り出した。占いに使う細く削った五十本の竹の束だ。神三郎の物は九十九の父から受け継いだ年代物で、全部に漆が塗ってある。

 まず一本を横に置いて奇数にし、それをさっと分け、また混ぜる。そしてそれを、何回か繰り返す。


「前にワシが見た易者とは使い方が違うな。それは、どういう理屈なんだ」


「総理はダウジングというものをご存知ですか。外国では水脈なんかを掘り当てるのに、実際に使われています。曲げた針金を手で持って歩き、その動きで水脈のある場所を探るそうです。人間には誰にでも特殊な気の流れや未来を知る能力があります。でも、それを普段は意識できない。だからそれをわずかな感覚の差で形にする。筮竹を使うのもそれと同じ理屈です」


 筮竹を扱っている時は余計なことは考えない。気の流れに集中して、ただ単純に作業を続ける。そして最後に残った本数を自分のイメージと照らし合わせて、総合的に判断する。


「何を占ってくれるのかね」


「総理の未来です。近い将来に一番気をつけるべきことは何か。詳しい予言は無理ですが、ヒントくらいにはなると思います」

 神三郎は筮竹を筒に戻した。テーブルの上でトントンと叩いて揃える。これも九十九の父がしていた仕草だ。


「それで、どう出たのかね」


「飛行機です。飛行機に注意してください。それが、総理の命取りになるかもしれません」


 小柄な総理大臣は笑いながら首を振った。

「それはできんな。ワシは国を預かる政治家だ。外国との付き合いもある。飛行機が怖くて外交もできんようなら、死んだ方がマシだ。だが、気には留めておこう。感謝する。お嬢ちゃん、お茶をありがとうな」


 総理大臣は紫苑に手を振りながら事務所を出て行った。総理の乗った大型車は路地をそのままバックして、商店街の方に出て行く。


「お嬢ちゃんなんて呼ばれたのに、よく怒らなかったな」


「面白い男じゃったからな。神三郎様もそう思ったのであろう。だが、そのせいでまた心配事が増えたな」


 その通りだ。紫苑は鋭い。

 神三郎は佑子に電話をするためにデスクに戻った。義手の工房の事は本当だ。佑子も知り合いを駆け回っている。国から援助を取り付けたことを教えてやらないといけない。

 神三郎は久し振りに義手をつけようかと思っていた。形だけでも腕があると紫苑が喜ぶ。そのことを神三郎は思い出していた。

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