処女の血
神三郎が咳払いをした。
「僕から説明させてくれ。僕は自分の左腕を犠牲にして紫苑を呼び出した。でも、片腕だけじゃあ、重さだってたかが知れてる。結局呼び出せたのは、紫苑の首から上だけだった。
紫苑は強い鬼神だから、自分の体に触れている物なら自由に動かせる。だから輸入品の、できるだけ丈夫で精巧な人形を買ったんだ。紫苑が子どもの姿なのは、人形の方に体を合わせているからだ。鬼神はある程度なら自分の姿を変えられる。あの時、涼子くんも見たんだろう」
涼子は頷いた。忘れるわけがない。志穂が鬼神に変わっていくあの瞬間が、頭の中で鮮明に甦る。
「ちょっと待ってちょうだい。兄さんはお金を出しただけでしょう。それを考えて手配してあげたのは私よ。人形を使いやすいように調整したのも私。自分は不器用で、何もできない癖に」
「ふん。作り物の体をくれたくらいで偉そうに」
いつの間にか、紫苑が戻って来ていた。口許をレースのハンカチで押さえている。
「どうせ買うならばもっと、大きな人形を買えば良かったのじゃ。こんな姿では、神三郎様と寄り添うて歩くこともできぬ」
「ほんと、お気楽ね。この人形がいったい、いくらしたと思ってるの。二百万円よ、二百万。それに大人の女性の生首が人形の上に載って歩いていたら、周りの人にはどう見えると思う。私たちじゃあ、とても隠しきれないわ。少女の姿くらいがちょうどいいの」
神三郎はもう一度、咳払いをした。
「紫苑も僕も、他人を犠牲にするつもりはなかった。他に、どうにか体を取り戻す手段がないかと試していたら……」
「だから試したのは私よ。自分の手柄みたいに言わないで。見栄っ張りの三十男は嫌われるわよ。ぐずぐずそんなことを考えてるより、手っ取り早く私を食べればいいって言ったのに。この人たちは強情だから。
さんざん試してようやく見つけたの。でもまあ、それがよりにもよって、処女の生き血だとは思わなかったけどね。仕方がないから、たまにこうして血をあげにきているの。それと、紫苑の体のメンテナンスもね。体が戻った分だけ人形の部分を削らないといけないから、結構手間がかかるのよ。まったく、そのせいで男遊びもできやしない。いっそのこと、鬼にでも喰われた方がマシだわ」
「もしかして私にして欲しいことって、それですか?」
涼子は確認するように神三郎を見た。
「ああ、ごめん。最初から、ちゃんと説明するつもりだった。もちろん無理のない量でいい。献血くらいの感じで、卒業するまでってことでどうかな。そうしてくれたら感謝する。君の頼みなら、多少無理なことでも力になる」
涼子はほっとした。命を取られるわけでも、体を売られるわけでもないらしい。
「いくらでも血を吸ってください。体力になら自信があります。生きていられるだけ残っていればいいです」
「ほうら、新しい
「そういう風に、
美しい鬼神の少女は言い返そうとして、言葉に詰まって飲み込んだ。この人は凄い。紫苑が完全に押されている。
佑子が自分に向かって頭を下げた。
「涼子さん。私からもお願いするわ。ただの血ならそうでもないけど、処女の生き血っていうと、結構ハードルが高いのよ。下にスナックがあるでしょう。そこの女の子にお金を渡して、ちょっとだけ血をいただいたことがあるけど。効果はサッパリだったわ。進歩的な女性としては悔しいところだけど。処女とか、今でも価値があるのね」
「余計なことを長々と語るでない。時間がないのであろう。さっさと妾に血を吸われて帰れ」
「お食事を待てない女の子は、男性に嫌われるわよ。でもまあ、時間がないのは本当だから、従ってあげる。不器用な兄の代わりに、戻った体の調整もしないといけないものね」
それから紫苑はソファーの上に直接、膝をついた。そうしないと首筋まで届かない。佑子はボタンをいくつか外してから指先で襟元を開くと、目を閉じて小さくうなずいた。それが合図だったのだろう。紫苑が口を開くと鋭い牙のような犬歯がのぞき、そして乳のように白い肌にゆっくりと埋まった。
「あの、どうしても。そうやって吸わないといけないんですか。もし献血みたいに注射針とかでも良かったら、友達にも頼めるかもしれません。その、つまり。口の固い人だけ……」
「私は医者よ」
佑子は目を閉じたまま答えた。
「もちろん試してみたわ。そのために医者になったようなものだもの。でも結果は全部同じ。人を殺さずに鬼神の体を取り戻す方法はこれしかないわ」
「痛くないですか」
「痛いのが、怖い?」
佑子は口もとを緩ませた。
「口は悪いけど、紫苑は上手なのよ。ほとんど何も感じないわ」
それを聞いて紫苑が睨んだが、口が塞がっているから言い返せない。二分ほど経ってから、紫苑はゆっくりと佑子の首筋から離れた。
「もういいの? 今日は少ないんじゃない」
「いつもと同じじゃ。妾は間違わぬ。さあ、涼子。次はそなたじゃ。覚悟はよいか」
どきりとした。とにかく慌ててうなずく。
「お願いします」
「怯えずともよい。痛くないように吸うてやる。それも吸うのは、ほんの少しだけじゃ」
小柄な紫苑が立ったまま涼子の肩をつかんだ。木製の手が冷たい。思わず目を閉じてしまう。
つ……。チクリと感じたのは、ほんの一瞬だった。
後は何も感じなかった。もう吸っているのだろうか。聞いてみようかとも思ったが、無駄なことだと思い直した。どうせ紫苑は、血を吸っている間は話せない。
紫苑は自分の体のほとんどを向こうの世界に置いてきたといった。そして一人で、この世界にいる。心細いだろう。自分なら絶対に耐えられない。
そして今、自分の体を少しでも取り戻そうと、自分の血を吸っている。
涼子はまるで、赤子に乳を与えているような気持ちになった。不思議な幸福感が涼子を包んでいく。鬼に血を吸われている。現実はただそれだけなのに。自分を分け与えることが嬉しくてたまらない。
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