タネ明かし

 紅龍を出た私は、ハナさんに連れられるまま表通りへとやってきた。

「立ち話もなんだし、どっか店入ろうよ。奢るからさ」

 ハナさんはそういって、近くにあった居酒屋へと入っていった。断る理由もないし、なにより訊きたい話がいくつもあったので、私は彼女に続いて入店した。


 四人がけの個室に案内され、ハナさんは聞いたこともない名前のカクテルを頼み、私はウーロン茶を頼んだ。

「ホントに呑まないの? せっかくだから付き合ってほしいなー?」

「呑みませんよ……それより、訊きたい話がたくさんあるんです」

 ハナさんはお通しの冷奴を箸で突きながら、ニヤリと笑った。

「いいよ。なんでも答えてあげちゃう」

 私は一番記憶に新しいあの手について、質問を始めた。

「――まず、最後の大三元についてです。あれはハナさんが仕組んでくれたものだったんですか?」

「そーだよ。タネはわかった?」

「いいえ……オール伏せ牌のなかどうやって三元牌を集めたのかもわからないし、サイコロの目がわからない上で私に三元牌が行くように積み込む方法だって、見当がつきません。まさか、対面の人がなんの目を出すのかがわかっていたんですか?」

「まさかまさか。あたしはエスパーじゃないよ」

「では、どのように?」

「あのとき、あたしは九が出たときにシロちゃんに三元牌が行くよう積んだの。ちなみにオール伏せ牌のなか三元牌を集めた方法はシンプルでね。混ぜるフリをして手のなかに隠してたんだよ」

 私は眉をひそめた。

「――待ってください。九が出たときに行くようにと仰いましたけど、あのときの出目は、五でしたよ?」

「うん。だから、山をズラしたの」

「ズラした?」

「五が出たときは、九のときと比較して四トン山がズレる。でも、山の右側の四トンを左側に持ってくればそのズレは解消される。他の出目でも一緒。ズレた分、山を動かして直せばいいだけ。今度やよいで暇なときに検証してみるといいよ。実際に牌を動かしながらやってみたほうがわかりやすいからさ」

「でも……山をズラす時間なんてなかったように思えます。いつ直したんですか?」

「覚えてる? あたし、膝を卓にぶつけたじゃん」

 そういえば、そんなこともあった。確かにあのとき、全員の視線はハナさんの牌山からこぼれた牌に集中した。

 ――いや、それではダメではないか。そこに集中していては、ハナさんが山をズラすのも見えてしまうハズだ。疑問に思っていると、ハナさんが続きを説明してくれた。

「そのあと、あたしはサイコロの目について言及した。その瞬間、全員の視線がサイコロに移った。あのときに、山を前に出す動作でごまかしながらズラしたんだよ」

「――確かに私も、あのときはサイコロを見ました。にしても、あんな一瞬の間に……?」

「あらかじめやることを決めていれば、案外手はすんなりと動いてくれるモンだよ。それ以上に、ああいうのは度胸のほうが大事かな」

「度胸――ですか」

 オウム返しに呟いたものの、別に感銘を受けたワケではなかった。確かに助けてもらったのは紛れもない事実であるが、やはりイカサマという行為に対してはこころよく首を縦に振れない。

 しかし、ハナさんの話は続いた。

「それとね。卓を蹴り上げたのは、みんなの視線を逸らすためだけじゃなかったんだよ?」

「どういうことです?」

「あの二人が山を積むところを見てなかった?」

「いいえ……」

「対面のおじいちゃんはそれなりの手つきだったけど、もう一人のおじさんはまだ粗が目立ってた。中途半端な腕前のバイニンさんだと、どんな積み込みをしてるのかっていうのがだいたい見ただけでわかっちゃうんだよ」

「わ、わかったんですか……?」

「おじいちゃんのほうは正確にはわからなかったけど、多分二人で協力しての天和積みだったと思う。おじさん側のほうは出目が六になったときに、萬子の二三四と筒子の⑨が二枚入るように積んでたからね。そんな積み方が使われるのは、天和積みくらいだもの」

 そこで、私はピンときた。その閃きをそのまま口にする。

「もしかして、それを阻止するために卓を蹴ってサイコロの目を変えたんですか?」

「そのとおり」

「――待ってください。というか、そもそもサイコロって狙った目を出せるものなんですか?」

「モノにもよるけどね。あの店で使われてる普通より一回り大きいタイプのものなら、あたしでも出せないこともないよ」

「へ、へぇ……」

 にわかには信じられない話だったが、冗談を言っているようにも見えなかった。

 そこで、もうひとつ疑問が浮かんだ。

「あの、ちなみにですけど、もしも対面の人がサイ振りを失敗して――例えば七とかが出ていたら、ハナさんの三元牌は配牌では配られず、無駄死にになってたってことですよね?」

「その場合は対局中のどっかでぶっこ抜いて、あたしが代わりに大三元をアガってたよ」

「ぶっこ抜くって……」

 聞いたことがあった。ぶっこ抜きとは、スリカエのことだ。

「隙さえ作れば簡単だよ。例えば、相手の足元にわざと牌を落としたりすれば、反射でその牌を見ちゃうでしょ? その隙に、さっとね」

 ハナさんはいたずらっぽい笑みを浮かべながら、右手で仮想の牌山から牌を抜き取る仕草をして見せた。

 私はウーロン茶を一口飲んでから、思わず溜め息を漏らした。

 さっき、感銘を受けたワケではない――とは言ったが、確かにハナさんや対戦相手であったあの二人の技術は目を見張るものがある。一朝一夕では到底辿りつけぬ境地なのであろう。

 しかし、やはりあんなものは麻雀ではない。言うなれば、麻雀牌を使った手品だ。私はそこに、どことなく怒りを感じていた。

 その考えが表情に表れていたのか、ハナさんがくすくすと笑いながら私にこう言った。

「やっぱり気に入らない? ああいう麻雀は」

「――私は、あんなの麻雀じゃないと思います」

「あはは。確かに、捉え方によっちゃそうとも言えるね。シロちゃんの言うとおり、本来の麻雀の楽しみ方ではないワケだし」

「質問をもうひとついいですか」

「どうぞ?」

「どうして私をあの店に連れていったんですか?」

「知ってほしかったの。麻雀を打つ人間全員が、シロちゃんみたいにまっすぐな思いだけで麻雀をやってるワケじゃないってことを」

 私はすぐには返答せず、考えてみたが、わからなかった。

「――どういうことです?」

「シロちゃんは、どうして麻雀をやってるの?」

 改まった様子で投げてきたその意外な質問に、私は少し戸惑ってしまう。

「どうして――ですか。えーと……」

「楽しいから? お金が賭かってるから? もしかして、麻雀で相手を打ち負かすことがなによりも好きだとか?」

「……そのどれでもない気がします」

「じゃあ、何故?」

 私は一番最初に心に浮かんだ答えを、そのまま言った。

「ハナさんや弥生さん、そして美琴さんのような方と、対等に打てるような麻雀打ちになりたいんです」

「あのときの面子だね」

「はい。あの麻雀で、私の価値観というものが変わった気がするんです」

「価値観?」

「なんていうか、私はただ麻雀を打ちたいだけじゃなくて、みなさんのように強い――それもただ強いだけじゃなくて、麻雀に対して本当に真剣な人っていうか、そういう人たちと打ちたいんだと思うようになったんです」

「ふふ……あたし、真剣に見える?」

 ハナさんは上目遣いで私を見ながら訊いてきた。私は不安な気持ちになって訊き返す。

「……真剣じゃないんですか?」

「あはは、訊いたのはあたしだよ? まぁとはいえ、シロちゃんの言う真剣ってのがどんな姿勢を表すのかはわからないけど、少なくともそこらへんにいる麻雀をただの暇つぶしだと捉えてる連中よりは、真剣に向き合ってると言えるんじゃないかな」

「……そうですか」

「あ、笑った。やっぱり笑ったほうが可愛いね、シロちゃんは」

「か、からかわないでください……」

「ふふ……ごめんごめん。でも本心だよ?」

「……もういいです」

 意識せずとも赤面してしまう私を見て、ハナさんは嬉しそうに笑っていた。


 それから、私たちはいろいろなことを話し合った。

 私の身の上話や、麻雀を知ったキッカケ、それ以外にも麻雀の好きな手役や初めてアガった役満はなにか――はたまた好きな食べ物の話など、実に脈絡のない会話であった。

 加えてハナさんは酒もよく進んでいたので、陽気な性格に拍車がかかっていた。私は改めて彼女のことを、裏社会で生きている人間とは思えぬほど明るい人だなと思った。

 気付けば、店内に残っている客は私たちだけとなっていた。同時に、現在時刻が既に夜中の二時だということを知って驚く。

「もうこんな時間――そろそろ出ますか?」

「そーだね。十分呑んだし、シロちゃんともお話できたし、満足したよ」

 ハナさんは立ち上がると、テーブルに置いてあった伝票を持って店の出口へと向かった。私は慌ててそれを追いかける。

「あの、ここは私に払わせてください。なにからなにまでお世話になりっぱなしでしたし……」

「だーめ。なにがあろうと絶対にシロちゃんには払わせないよ」

「な、なんで……?」

「だって、また今度麻雀やるときにシロちゃんからたくさんお金を貰っちゃうだろうしさ。申し訳ないのよ。だから恨まれないようにいまのうちに奢っといたげるの」

 ハナさんはいたずらっぽく笑いながら言った。からかわれた私は、表情をむっとさせて言い返す。

「――いつか、絶対奢ってやりますからね」

「ふふ……楽しみにしてるよ」

 ハナさんは私の頭に手を乗せ、宥めるようにぽんぽんと軽く叩いた。


「美琴のことなんだけどさ――」

やよいへと戻る道中、表通りから裏通りに入ったところで、ハナさんが不意にそう切り出した。

「最近のあいつの麻雀、見てて変に思うところはない?」

「変に――ですか? いいえ、いつも素晴らしい麻雀をなさってますけど」

「そっか。ならいいんだ」

 てっきり話が続くかと思っていたのだが、ハナさんは以降口を閉ざしてしまった。私はたまらず催促する。

「あの、どういうことですか? 美琴さんの麻雀が、なにか?」

「まぁ、ちょっとね。その……あいつって昔から、なにかあるとすぐ麻雀に出るんだよ」

「麻雀に?」

「普段はバランスの取れた負けない麻雀を打ってるでしょ? でも、嫌なこととかがあったときは雑で荒っぽい打ち方になるんだよね」

「荒っぽい打ち方って……」

「一言で言えば、トップかラスしか取らないような麻雀。いかなくていいときに変に突っ張って、逆にどうでもいいときにベタオリしてみたり」

「……どうしてそんなになっちゃうんですか?」

「さぁね。その状態のときは、頭を使うのが面倒臭くなっちゃってるんじゃない?」

「はぁ……意外ですね、あの美琴さんが……」

「それで、そういう日はだいたい早めに麻雀切り上げて呑みに行っちゃうの。そこで気絶するくらい呑みまくると、本人のなかでなにかがリセットされるのか、次の日にはケロっとしてたりしてさ。そんなこんなで、意外と面倒臭い奴だったりするんだよね」

「はぁ……」

 私は曖昧な表情でただただ相槌を打つだけ。正直言って、イメージが湧かなかった。一方的とはいえどことなく完璧なイメージを抱いていた美琴さんに、そんな一面があるとは。

 そこで、私は以前から彼女に訊こうと思っていたことを思い出した。

「あの、ハナさんと美琴さんって、どういったご関係なんですか?」

「うーん、なんだろ。強いていうなら、昔の友達って感じ?」

「友達――ですか?」

「そうそう。四年くらい前になるかな、ここ魅神楽町が、まだいまみたいに平和じゃなかった頃の話なんだけどね。美琴だけじゃなくて、あと二人、よくツルんでた奴がいてさ」

 私は以前、弥生さんから聞いた話を思い出した。

「もしかして、美琴さんの相棒だったって人ですか? 確か名前は――ユミさんでしたっけ」

「ああ、ユミちゃんはまた違うの。――って、その話もう知ってるんだ。姐さんから聞いたの?」

「はい。二週間前のあの麻雀のあとに。それと併せて、美琴さんの過去の話もいくつか」

「そっか。なら話は早いや。そのとき、美琴は二十歳で、あたしは十九だった。当然そんな歳でこの世界にいたら、お互いに意識をし合うワケ。それで、何度か全力で叩き合ってる内に、“なぁなぁ”の仲になっていってさ。私と美琴と、あともう二人の奴らと、時々場を作っては何日も通しで打ったりしてたんだ」

「そのもう二人というのは?」

「一人はまだこの町で生きてるよ。もう一人は、どっか行っちゃったまま一切の情報がなくてさ。死んだんじゃないかってことになってるの」

「し、死んだって……」

「この世界なら珍しいことじゃないよ。しばらく会ってないなと思ったときにはもう既に死んでたなんてザラにあるもの」

「……怖い話ですね」

「ふふ……他人事ひとごとじゃないよ? シロちゃんだって、この世界で生きていくんでしょ?」

「なるべく危ない目には遭わないよう尽力するつもりではありますが」

「あはは。まぁ確かに、避けられる危機ってのもあるからね。それはいい心がけだと思うよ」

「それで――」

 私は知られざる四人組の残りの面子について、どうしても気になった。

「生きているってほうの方は、なんていう名前の人なんですか?」

 しかし、ハナさんは不意に立ち止まり、こう言った。

「着いたよ。またね」

「え?」

 気が付けば、私たちはやよいの前にいた。ハナさんは店には入らず、すぐにまた歩き出して店を通り過ぎようとする。

「ちょ、ちょっと……ハナさん!」

「あたし、ちょっと用事があるからさ。ごめんだけど、これで行くね」

 ハナさんは歩みは止めずに振り返りながらそう言い、そのまま別の路地へと入っていこうとする。

 しかし姿が消える直後、彼女は不意に足を止め、私にこう言った。

「頑張ってよね。キミには期待してるんだから」

「……え?」

 なにやら意味深に思えたその言葉の意味を私が問う前に、ハナさんは最後ににっこりと笑ってから路地へと消えていった。

「……」

 私は彼女の様子を怪訝に思ったものの、本人がああ言っている以上追いかけるのは野暮だろうと思い、そのまま店に入っていった。

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