第12話 決意

 ◇◇◇


「まさか、俺は——」


『そう。そのまさか、だよ。……本当は、向こうで生きている魂をそのままコピーする気はなかったんだけどね』


 ことばが終わるのと同時に、胸の奥がガクリと落ちた。足場の感覚は無い白の空間で、ただ支えが抜ける感じだけがはっきり残る。


 ◇◇


「……そうか。俺は、コピーなのか」


 自分の声は薄い紙片みたいに軽く、口から離れてすぐ白に溶けていった。観測者の言葉を反芻するたび、脳の奥で何かがカチリカチリと位置を変える。


 コピーがここにいて、“オリジナル”はあっちで、いつもどおりの明日を続けていく——理屈のうえでは、そういうことだ。


 なのに、実感が遠い。まるで他人事だ。同時に分かる。俺は思ったより元の世界に未練がない。いつの間にか居場所をなくし、暗い部屋で“シミュラクル”に沈んでいった日々。空のカップ麺、鳴らないスマホ、夜明け前の静けさ——あの景色にしがみつく指は、もう痺れていたのかもしれない。


 それでも——心配してくれる両親がいた。日曜の朝、慣れないエプロンで焼いた焦げたトーストの匂い。帰省のたび増える母の小言と、減らない父の「まあまあ」。


「父さん母さん……」


 そして、俺をリーダーと慕ってくれたクランのメンバー達。討伐前の円陣、VC越しの笑い声、失敗しても「次いこ」の一言で切り替える空気。


「ルチア……。すまない。お前との約束も、いつの間にか反故にしちまったみたいだ」


 いや、俺はもう“彼”じゃない。あっちの俺は、あっちで続きを生きる。俺の明日は向こうの彼が引き継いでくれる。なら俺は、ここで新しい生を得て、生きていく。ただ彼の願いがまた見つかる日が来ることを、ここから祈ればいい。


 そう思った途端、荒れていた鼓動がすっと落ち着いた。白の温度が、少しだけ人肌に寄る。


 ◇◇


 観測者は、俺の呼吸が整うのを待ってから、静かに告げる。


『ごめん。はっきり言えば、そう。元の世界の君は、まだあのアパートで眠っていて、目を覚ましたら昨日の続き——普通の生活を送るだろう。だから、あっちには君の魂を受け入れるアバターは、もう無いんだ』


 軽い口調のまま、言葉だけ重い。白い床もない空間なのに、確かに一段沈んだ感覚が来る。


『ただし——地球には戻せないけれど、望むように転生させることならできる。あくまでこの“シミュラクル”の中で、ね』


「……死んだらどうなる」


 さっきの熱い腹、皮膚の下でぶくぶく膨らむ熱を思い出す。あれはゲームの痛覚スライダーの味じゃない。


『ん? 君は、たった今“死んだ”じゃないか』


「あれはゲームの死じゃない。となると、俺は——」


『ここに戻ってくる。狭間に、ね』


「その後は」


『君次第さ』


「生き返らせることは、できるのか」


『できるとも言えるし、できないとも言える』


「……続けてくれ」


『元いた世界には戻れない。時間は進むからね。観測は最後まで続ける必要があるし、例外は基本的に無い。君だけの都合で世界を凍結することはできない』


「じゃあ——転生はあと何回できる」


『いまは、あと561回。さっきのでひとつ、世界が消失したから』


「……そうか。俺のアカウントの時間は、学園都市のダンジョンの転移門をくぐった時点で止めてある。——そういう理解でいいな」


『うんうん。そうだよ。君はほとんどのアバターをそのタイミングで凍結していた。……あ、そういえばひとつだけ、だいぶレベルを上げたアバターがあったね。あれは——』


(ああ……あれも。“ゼロ”も、転生先として選べるのか)


「待て。……いや、そいつはしばらくそのままで頼む」


『ふぅん。面白そうだけど、深掘りはしないよ。要するに、パイロット不在のアバター乗り物があと561個。君は死ぬたびにひとつ選び直して乗り換えられる。そんな仕様だ』


「……ほう」


 数字だけは冷たく正確で、逆に安心する。選択肢がある、という感触は、いい。


『にしても、どうしてそんなに沢山作ったのさ』


 興味半分、からかい半分の声音。白光の縁がいたずらっぽくまたたいた。


「メアリの“パートナー”になりたかったからだ」


 即答。迷いは一滴も混じらない。


『ああ、メアリ。あの子か。——たしかに、彼女に“パートナー”として選ばれるハードルは高い。唯一じゃないかな。観測史上たった一つ』


「だろ。だから燃えた。2年だ。ゲーム内時間にして千年以上、学園で過ごした」


 廊下の陽だまり、訓練場の砂埃、図書塔の油紙の匂い——長い、けれど一つも無駄じゃない時間。


『ふむふむ。君のアバター以外にも、こちらは観測したい世界が山ほどある。——だから、急がなくていい』


「分かった。ありがとう」


『なぁに、君を作ったのは私みたいなものだ。サービスぐらいはするさ。さて、早速メアリのもとへ転生する?』


「待ってくれ。会いたいのは本当だ。けど——即死は困る」


『冗談だ。さっきも言ったけど、それは本当におすすめしない。』


 ケラケラ、と軽い笑い。白の温度が少し戻る。


「本命は、転生直後にまた災厄と出くわしても確実に対処できるだけの経験と自信をつけてからだ」


『同意。転生のたびに能力もスキルもリセットされる前提なら、ああいう連中ディノケンタウルフは荷が重い』


「災厄は、そっちで何とかできないのか」


『無理だね。イベントごとコピーしたから。災厄だけ切り離すなんて芸当はできない。それに、アップデートで入った新システムは、災厄を含めてすべて有害とも言い切れない。——なかったことには、できないさ』


「つまり、あれは“シミュラクル”にとっての異物イレギュラーじゃない」


『その通り。理解が早い。外からの介入じゃないから、私が外からいじるのは手間がかかるし、観測者として好ましくない。——だから、手強いけど、頑張って』


「……ああ。何とかやる」


 目標は、昔も今も変わらない。狙いは遠くて、道は険しい。けれど、選んだのは俺だ。


 ——俺は、諦めが悪い。

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