Xに投稿した奴。完全版。

独虎老人

第1話

 いいかい?

 歳の頃は十五、六の別嬪なお嬢さんの持つ肌の様な、透き通るように白くて盛りっと肌が盛り上がったような白身の魚がウメェんだよ。こいつを梅酢かなんかでやってみなよ、キューっとくらぁネェ。

 今日は処暑。

 暑さもようやっと落ち着いてきて、魚なんかが美味くなるってんで、昔から処暑には魚って決まってんで。

 ほら?どうだい?お一つ?


 ……昔、近所の魚屋で聞いた小咄を思い出す。勿論、素人落語なんだが、これが中々に上手い。

 仕草も堂にいっていて、俺は長い事「処暑には魚を食べるもの」と信じていた。

 隊の奴らに笑われて初めて、それがあの惚けたおっさんの嘘で在る、と気づいたのだ。


 …………何をやってんだろうな、俺は。

 村から離れて三年。飛び出して、兵隊になって得られたのは、雀の涙の給金と、撃たれて動かなくなった左脚だけだった。

 そうして兵隊稼業すら続けられなくなって、こうして家に帰る。

 ありきたりな負け犬だった。







 カンカンカンカンカンカンカンカン!

 丘を越えれば、もう村という所で、けたたましい警鐘が鳴り響いた。

 動かぬ左脚に叱咤をくれて、どうにか丘にはい登ると、故郷の村に南軍が襲いかかっていた。


 四、五人規模の騎馬集団が五隊ほど、村の貧弱な防御柵を打ち壊し、古びた、何処にでもある、特徴という特徴を何も持たない村に襲いかかっている。

 …………俺が生まれ育った故郷の村に。



「ヤメろぉーー!ヤメろ!!」

 いまの自分に許される精一杯の速度で駆け下りていく。村人たちは向こうからこちらへ逃げ始めている。


 駆け下りてどうするのだろう?

 兵隊稼業で使っていた小銃は、もう返してしまった。今ほど必要な時は他にないのに。

 自分の身体は満足に動かない。今ほど自分が必要な時は他にないのに。


 いいさ、どうせ俺にはもう何もない。

 この身一つあれば、誰かの身代わりにくらいはなれるだろう。

 この上、母親の身に何かあれば…………


 そう思った時、ふと、母親がもう……していたら、俺はこの村に居られるんだろうか、と不安がもたげ、


 自分に反吐が吐きたくなった。





 村人たちは行き違っていく。

 誰もが必死だ。

 こちらに逃げろと言ってくれる人もいた。

 俺は耳を貸さなかった。

 何故なのかは、今では分からない。


 やがて最後尾に辿り着いた。

 泣き喚く赤子を抱いた、色の白い若い母親が必死になって逃げている。父親の姿はなぜか無い。

 

 …………その後ろのすぐ近くまで、一騎の騎馬兵が追いついてきていた。


「ウオオオォォォォォォォオオォォオオオ!!」

 どう考えても間に合わない事を悟ると、俺は両手をあげて、雄叫びを挙げた。

 敵騎馬兵がこちらに気付く。


 そうだ、こっちの方が面白いぞ。そのまま、俺をりに来い。

 しかし、奴はニヤリと笑うと、

 曲刀を手回ししながら、若い母親をるコースに入った。



 野郎っ!

 再び走り出す。

 どう考えても間に合わない。

 しかし、敵騎馬兵クソ野郎が追いついて、曲刀を振り下ろした時、近くの木の影からひょっこり飛び出した小さな影が、 若い母子を庇って、代わりに斬られた。


 チッ

 舌打ちして、敵騎馬兵は去っていく。

 俺は三人に近付いて行った。



 いいんだ、いいんだ。

 私はあの兄さんに肩ぁ貸してもらうから、若後家さんは先にお行きなさいな。

 何度も何度も頭を下げて、若後家は避難所の方に去っていった。



 うずくまる、小さな影に近寄る。

 記憶にある姿と比べると大分と老けて縮んだ、でも、それは確かにあの魚屋のおっさんだった。

 

「いや、私はこう見えて昔、南軍の将軍だったのだよ、だからこういう時にはどうしても英雄的行動をとってしまうのだ…………」

 それは俺でも知っている、このおっさんの鉄板ネタ大与太話だった。大体、アンタを斬ったのが、その南軍だ。

 おっさんはこっちの呟きが聞こえたのか聞こえないのか、いつも通りに与太を飛ばし続けている。


 肩を貸してくれ、とは言わない。

 そんな事はもう無駄なのだ、と流れる血の量が教えてくれた。


 一通りのネタを話し終えて、ホッとしたのか、おっさんが本音をふと漏らした。

 私には子がない。カカァには先立たれたし、特に思い残す事も無いが、村に一軒の魚屋がなくなったら、みんな困るんじゃないか…………こんな事なら将軍なんてカッコつけるんじゃなかった……

 そして、俺を急に思い出したように。

「今のは村のみんなには内緒にしておくれよ」

 と言った。


 そんな事してもしなくても、村のみんなは先刻ご承知だし、

「将軍なんかじゃなくても、アンタは立派に村のヒーローだよ」

 と、俺は言った。

 そうかぁ、ソイツはまいったなぁ。

 何度も嬉しそうに、そうか、そうかぁと呟きながら、おっさんは眠るように息を引き取った。




 近くの避難所にいた見知ったおじさんに、母親は地蔵山の方にいる、と教えてもらった。

 あの日、襲いかかった南軍はすぐ近くにいた北軍の部隊に追い払われている。

 あの日の戦いは北軍の敗北に終わったが、既に戦線が遠く離れて、外の世界の出来事になっていた。


 動かない左脚に叱咤しながら、地蔵山を登る。

 村の避難小屋に近づくと記憶にある姿が、幾分か痩せて小さくなったひとが駆け出してきた。

「おっカァ、ゴメン。俺……ゴメン……」

 母はいつまでも俺を抱きしめてくれた。


 結局、この村で英雄犠牲になったのは、あのおっさんだけだった。

 あの丘の上で、今も眠っている。



 村に帰ってきて、騒動も落ち着いてきた頃。

 通りを歩いていると、子供たちの声が聞こえてきた。周りの大人たちを困らせている。

「ねぇ、オッチャンは?与太のオッチャンは?」

 子供たちが集まっている場所に見覚えがある。


 ……あの魚屋だった。



 …………っシャァねぇ。俺がやるかぁぁ。

 あの親父の惚けた表情。仕草の一つ一つを思い出しながら、始める。


 いいかい?

 歳の頃は十五、六の別嬪なお嬢さんの持つ肌の様な、透き通るように白くて盛りっと肌が盛り上がったような白身の魚がウメェんだよ……

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