第九話「怒りと抱擁」
年末の同期会は、熱気と喧騒に包まれていた。僕は、テーブルに置かれたグラスを眺めながら、自分がいかに場違いな場所にいるかを感じていた。
石田さんの助けもあって、実力以上の大きなプロジェクトを任された。でも、それは僕にとって、褒められたいからやったことじゃない。ただ、目の前のやるべきことをやっていただけだ。
そして、そんな僕に嫉妬する人間がいることも、なんとなくは知っていた。
「ひらめさん。お疲れっ!」
いつもは上座から動かない奴が珍しく、僕の目の前に移動をしてきた。
「うん。お疲れ」
ひらめは、面倒くさいと思いながらも対応をする。
「なんか、大変なプロジェクトを任されたらしいですね」
「大変かは知らんけど、やってるよ」
「上手く行きそうなんですか?」
「まあ、順調だよ」
「プロジェクトリーダーって大変ですよね?」
「そんなことはない。というか、こっちは仕事の話禁止。酒が
「なんか、冷たいっすね。仕事ができる男は違うっていうか・・・」
「・・・何、お前、喧嘩売ってんの?」
僕の声は、自分で思っていた以上に冷たかった。一瞬にして、場の空気が凍りつく。怒りが、僕の胸の中でマグマのように煮えたぎる。僕は、絡みつく恭子の腕をそっと解く。いつでも飛びつける体勢を整える。
「待てよっ! 表でろよ!」
感情を制御できず、僕は男に向かって叫んだ。その瞬間、背後から温かいものが僕を包み込んだ。真央だ。
「ひらめ、イライラしないっ!」
「だって、あいつが・・・」
真央は、僕の背中にしがみつくように羽交い締めにして、僕の体を落ち着かせようとしてくれた。
「良いから、ねっ」
真央の声は、僕の耳に直接届いた。その声が、僕の熱くなった頭を、少しだけ冷やしてくれた。
「恭子! ひらめを連れて出るから、あと、よろしく!」
恭子は、そんな僕たちを見て、少し驚いた顔をした後、すぐに事態を察し、絡んできた男を連れて上座に戻っていった。僕は、真央に引っ張られるように、店の外に出た。
冷たい冬の夜風が、火照った僕の頬を撫でる。
「・・・大丈夫?」
真央は、僕の腕を掴んだまま、僕の顔を覗き込んだ。その瞳には、心配と、そして少しの悲しみが宿っていた。
「からんできたの向こうだし・・・。クソガキが・・・。マジでムカつく・・・」
「ひらめ、落ち着けっ!!」
僕は、自分の心の中にある、どうしようもない劣等感を、また誰かに見られてしまうのが怖かった。
真央は、何も言わず、ただ、僕の腕を強く握った。そして、静かに言った。
「・・・君は、本当は、誰よりも真面目だもんね」
真央の言葉が、僕の心に刺さる。僕の「チャラい」仮面の下にある、真面目さ、努力、そして成果を、彼女はちゃんと見ていてくれた。
「・・・馬鹿なふりをして、適当に生きてるように見せかけて、でも、誰よりも一生懸命にやってる」
真央は、僕の目をまっすぐ見て言った。
「・・・知ってるよ。ひらめが、どれだけ頑張って、この成果を出したか。だから、悔しかったんでしょ。頑張ったことを、馬鹿にされて、悔しかったんでしょ」
僕は、何も言い返すことができなかった。真央の言葉は、僕が必死で隠そうとしていた、本当の感情を、全て言い当てていた。
「大丈夫。私は、ひらめの頑張りを、ちゃんと知ってるから」
真央は、そう言って、僕を抱きしめた。僕は真央の胸の中で反省をした。
「ごめん・・・。ガキくさかったね・・・。もう大丈夫。落ち着いた・・・」
真央のケータイが震えた。恭子からの着信だ。
「ひらめ、ステイ! 動くなよっ!」
真央が恭子の声色を真似て、僕をたしなめる。僕は
「もしもし。うん、こっちは落ち着いた・・・」
真央は僕から少し離れたところで、恭子と話している。僕が喧嘩に巻き込まれたことを、彼女が一番心配しているのが分かった。
「・・・うん、うん、分かった。うん・・・。じゃあね」
電話を切った真央が、僕に振り返る。まるで、忠犬『ひらめ』にご褒美を与えるかのように、その表情には優しさが満ちていた。
「恭子たちは、これから二次会だって。行くよ」
僕は、行くべきかどうか迷っていた。先ほどの喧嘩のせいで、僕の気分は最悪だった。しかし、真央が僕を連れ出そうとしている。その意図を汲み取り、僕は無言で頷いた。
二人が店に着くと、恭子をはじめ、飲み会に参加していた女子たち、そして下座のメンバーのほとんどが集まっていた。彼らは、僕が喧嘩を売られた一部始終を見ていた。その彼らが、僕の様子を伺うように、そっと視線を向けてくる。
「あれっ? なんで腕組んでるの? できてる?」
恭子が、ゲスな質問をしてくる。真央は焦ったように、僕の腕から離れた。
「ひらめが暴走しないように捕まえていただけだよ」
真央は、そう言って笑ったが、恭子は眉をひそめる。
「なんか、怪しいんだよな・・・」
恭子の勘は、いつになく冴えている。僕は、彼女の鋭い視線から逃げるように、別の話題を振った。
「恭子ちゃん、知らなかった? 実は、二人は結婚を前提に付き合っているんだよ」
僕が冗談めかして言うと、真央は僕の腕を軽く叩いた。
「あはははは。ないない。まあ良いや。座って」
恭子は僕たちの冗談を笑い飛ばし、席を促した。
「その前に・・・」
僕は、真央に言われた通り、一度深く息を吸い込んだ。
「本当にごめん。楽しい飲み会だったのに、クソガキみたいな行動、言動を行い、皆様に多大なご迷惑をお掛けしました。心から反省しています。申し訳ありませんでした」
真央に言われた通り、僕は頭を下げ、全員に謝罪した。
「ということで、今日はひらめの
恭子の言葉に、僕は思わず真央を見た。
「待て待て。真央さん、何人いると思ってる?」
真央は、僕の顔を見て笑った。
「冗談だよ」
恭子は、事の
ことの成り行きを見ていた下座のメンバーと恭子が、空気を読まずに、男たちのメンツを丸潰れにする一言を放った。
「一生懸命頑張って結果を出せない男たちが、自分より下に見ていた男が結果を出してるからって、嫉妬して盛り上がっているのってダサくない?」
恭子の言葉に、男たちのテンションは急降下した。さらに、一部始終を見ていた女子たちが加担し、男子たちを口撃する。
「彼らのメンツを潰しちゃダメだよ・・・。メンツにこだわって生きている男たちなのに・・・」
真央は、そう言って苦笑いを浮かべた。男は女子が思う以上に、メンツを大事にしていて、それを女子たちに総攻撃されたときの男子たちの気持ちが分からなくない。
「だって、ひらめくん。悪くないじゃん? あれは明らかにあおっていたよ」
あきが、僕を
「ありがと。でも、あきちゃん。彼らの前で、傷口をえぐるような発言はしない方が良いよ。
僕がそう言うと、真央はいつになく厳しい表情で言った。
「そうだよ、あき。ひらめを
(真央さん、いつになく厳しくないですかっ?)
男という生き物は、くだらないメンツを大切にしていて、自分より弱い立場の人間には『強い人間だ』と思われていたいし、女子の前ではカッコいい男だと思われていたい生き物なんだよ。
僕は、そう思いながら、真央の隣に座り、ビールを飲んだ。彼女は、僕の隣で、相変わらず完璧な笑顔を張り付けていた。
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