第六話「ロードスターと本音」
「・・・よかったら、乗ってみる?」
僕の言葉に、佐倉は少し驚いたように僕を見つめた。しかし、次の瞬間、彼女は満面の笑みを浮かべ、助手席のドアを開けた。
屋根を開けると、夏の夜風が僕たちの頬を撫でる。街の光が流れ、僕たちの心を溶かしていくようだった。僕の車は、ただの鉄の塊ではない。それは、僕が誰にも見せない「僕だけの世界」そのものだ。その場所に、今・・・佐倉がいる。
高速道路を抜け、夜の街を後にする。向かう先は、郊外にある大きな公園だった。車を走らせながら、僕たちは何も話さなかった。ただ、風の音と、エンジンの鼓動だけが、僕たちを包んでいた。
公園の駐車場に着くと、佐倉は車から飛び出した。
「わあ!風が気持ちいい!」
彼女は両手を広げ、満面の笑みを浮かべた。その笑顔は、会社で見る完璧な笑顔とは違っていた。それは、何の計算もない、心の底から楽しんでいる、素直な笑顔だった。
彼女は、周りの目を気にせず、ただただ、この瞬間を楽しんでいた。その姿を見て、僕は笑ってしまった。僕が、これまで誰にも見せなかった、心の底から楽しんでいる、僕自身の笑顔。
(かわいいな・・・)
僕は、そう思った。彼女の
車に戻ると、二人の間には、先ほどまでの気まずさはもうなかった。
「ねぇ、一つだけ聞きたいことがあるんだけど」
佐倉が、真剣な顔で僕を見つめた。
「…やっぱり、真央は君と本音で話したい。君と話していると、自分が完璧じゃなくてもいいって、思える気がするの」
佐倉の真剣な眼差しに、僕はもう、逃げることはできないと悟った。僕は、ゆっくりと頷いた。
「・・・わかったよ。本音で話す」
僕の言葉に、佐倉は少しだけ、安心したような表情を浮かべた。
「本音で言うと、僕は佐倉さんが苦手・・・」
僕の言葉に、彼女の表情が固まる。僕は続けた。
「佐倉さんは、僕が一番なりたい僕だから。だから、佐倉さんの隣にいると、変われない僕が情けなくて、
佐倉は、僕の言葉を、ただ静かに聞いていた。そして、彼女は、微笑んだ。
「大丈夫。真央は、あなたの全てを受け入れるから。だから、遠慮しないで、全部話して。真央は、君の弱さも、劣等感も、全部受け止めるから」
佐倉の言葉は、まるで魔法のようだった。僕の心に、閉じ込めていた何かが、少しだけ、溶けていくのを感じた。
佐倉の「大丈夫。真央は全てを受け入れる」という言葉は、僕の心を覆っていた硬い殻に、小さなヒビを入れた。僕が誰にも見せたくなかった、情けないほどに弱い部分を、彼女は真正面から受け止めてくれた。
「・・・僕の高校の時のあだ名、知ってるよね。ひらめ」
僕は、彼女の瞳から逃げないように、ゆっくりと話し始めた。
「僕、ラグビー部だったんだ。高校時代、ずっと。体は小さいし、力もなかったんだけど、仲間も監督もみんなが期待してくれた」
佐倉は、ただ静かに僕の言葉に耳を傾けていた。彼女の存在が、僕が吐き出す言葉を、一つひとつ受け止めてくれているのが分かった。
「でも、最後の試合、僕のせいで負けたんだ・・・。パスミスして、トライを献上して。みんな、僕に期待して、僕を信じてくれてたのに、僕はその期待に応えられなかった」
僕は、心の中に閉じ込めていた痛みを、少しずつ言葉に変えていった。
「頑張るって、怖いじゃん・・・。期待された分だけ、裏切ったときの痛みというか・・・。だから、僕は決めたんだ。もう、誰も僕に期待されないように、生きるって・・・」
「どうしようもない男を演じていれば、誰も僕に期待しない。そうすれば、僕はもう、誰かを失望させることも、自分自身を傷つけることもない。それが、僕にとっての安全な場所なんだ」
僕が、長年抱え続けていた重い荷物を下ろすと、佐倉は、そっと僕の手を握った。彼女の手は、温かかった。
「・・・ありがとう。話してくれて、ありがとう」
佐倉の声は、優しく、震えていた。
「真央も、ずっと怖かった。完璧じゃない私を、誰も受け入れてくれないんじゃないかって」
佐倉は、そう言って、涙を流した。僕が彼女の涙を見たのは、これが初めてだった。
「でも、ひらめは、真央の弱いところを、全部受け入れてくれた。だから、真央も、ひらめの弱いところを、全部受け止める。私たちは、もう一人じゃないから」
佐倉の言葉が、僕の心の中に、静かに光を灯す。僕の心を覆っていた分厚い氷が、少しずつ溶けていくのを感じた。
僕は、ずっと一人だと思っていた。誰も僕の本当の姿なんて見ないし、僕も誰の本当の姿も見たくない、そう思っていた。でも、真央は違った。彼女は、僕の
僕たちの間に、もう偽りはなかった。ただ、二人の心が、静かに、深く、繋がっているのを感じた。
ーーー
真央に過去の全てを打ち明けてから、僕たちの関係は大きく変わった。
これまで避けていた真央の隣は、僕にとって最も安らげる場所になった。僕が演じていた「チャラい」キャラクターは、真央の前ではなりを潜め、臆病で、不器用な僕が顔を出すようになった。
真央は、そんな僕を否定しなかった。以前のような軽蔑の色はもうない。僕の弱さを知った上で、それを許してくれている、そんな温かさがあった。
そして、真央も僕にだけ、本当の性格を見せてくれるようになった。甘えてくれることもあるし、愚痴もいう・・・いつもの真央とは違い、守りたくなる可愛い女子の一面を見せてくれる。
真央の言葉は、以前の僕が恐れていた「期待」とは違う。それは、突き放すようでいて、僕の背中をそっと押してくれる、そんな優しさだった。
僕の心の中には、真央に対する「恋心」が芽生えていた。
彼女の笑顔が見たい。彼女と二人で過ごす時間を、もっと増やしたい。
でも、真央は僕の気持ちに気づいているのか、気づいていないのか、常に一定の距離を保っていた。
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