第二話「嘘と本音」
入社から一カ月、部署を超えた新人研修が始まった。僕はシステム開発部門に配属されたが、他人と深く関わらずに済む場所は快適だった。しかし、研修はそうはいかない。
でも僕は、恭子という最高の相棒を手に入れていた。
「えー、それってマジで言ってる?」
「うむ。恭子ちゃん、これは日本の七不思議のひとつだよ・・・」
「いや、そんな話・・・聞いたことないわ」
僕と恭子は、二人でいると、周りから見れば本当に楽しそうに見えるはずだ。僕のどうしようもない冗談に、恭子は大きな声で笑い、そして的確なツッコミを入れる。
僕らはたちまち、同期の間で「名物コンビ」として知られるようになった。僕のチャラチャラしたキャラと、恭子の面倒見のいい姉御肌な性格。夫婦漫才と称された二人の関係は、周りの人間を和ませる潤滑油になっていた。
これでいい。みんなが僕に求めるのは、この「面白くて、気楽なやつ」というキャラクターだ。誰も僕に、真剣な期待をしない。僕はその気楽さに、安堵していた。
一方、あのショートカットの娘は、研修やOJTを通して、着実にできるオンナとして認められ始めていた。
発表の場では、
休憩時間、僕が恭子とふざけ合って笑っていると、遠くであの娘が、尊敬の眼差しを向ける同期たちに囲まれているのが見えた。
「相変わらず、すごいよね・・・。あの娘」
僕がそう言うと、恭子は少し羨ましそうに、「さくらさんね。なんか、見てると元気もらえるっていうか、ああいう風になりたいって思っちゃうよね」と
「いやいや、無理っしょ。疲れるだけだって」
僕は軽薄に笑い飛ばした。あの娘のように生きることは、常に期待に応え続けなければならない。僕はそんなプレッシャーに耐えられない。僕の生き方の方が、ずっと楽で、ずっとマシだ。そう自分に言い聞かせた。
仕事に
僕もあの娘も、お互いを意識している。お互いの考え方も理解している。だけど、どちらもそれを認めることはなかった。
ひねくれた僕と、完璧主義な娘。
僕の道は僕の道。彼女の道は彼女の道。
そうやって、二人の距離は、一カ月前よりもさらに開いていった。
ーーー
仕事帰り、僕の教育係をしてくれている先輩に連れられ、居酒屋の
システム開発部門の先輩である石田さんは、のんびりした雰囲気の僕を気にかけてくれる、数少ない先輩だ。
上司から「あいつはやる気がないのか」と文句を言われるたびに「もう少し待ってほしい。キッカケがあればできる奴です」と
「ま、気にすんなって。最初のうちは誰だって怒られるもんだからさ」
そう言って笑う石田さんの言葉に、僕は少しだけ心が軽くなった。今日、小さなミスで上司に怒鳴られたことなど、どうでもいいと思えた。
席に着くと、すでに二人の女性がいた。一人には見覚えがあった。石田さんの恋人だと聞いていた、ふんわりとした雰囲気の琴音さんだ。そして、その隣には――。
「えっ・・・?」
僕の声は、情けないほどに裏返った。
「佐倉です。よろしくお願いします」
あの娘は佐倉と名乗り、石田さんに挨拶をして、僕には、親しげに「おう」と手を挙げてきた。僕は首だけで会釈をする。
「もちろん、二人って知り合いだよね?」
琴音さんの可愛らしい声に、僕は思わず、佐倉と目を合わせた。僕は、この状況をすぐに理解した。
先輩たちは、僕らが同期で研修を一緒に受けているから仲が良いと思っている。僕の苦手意識も、佐倉の軽蔑も、この場では封印しなければならない。
「はい!もう、佐倉さんのツッコミが厳しくて、僕はタジタジですよ!」
僕は、恭子と話す時のような「チャラい」キャラを演じ、冗談めかして言った。
佐倉は、そんな僕の言葉に、完璧な笑顔を張り付けて応じた。
「まさか!彼のユーモアのセンスにはいつも
佐倉もまた、僕に合わせた演技をしていた。僕の「チャラさ」をユーモアと言い換える、彼女の冷静な対応に内心舌を巻く。僕たちは、先輩たちの期待に応え、あたかも仲の良い同期であるかのように振る舞った。
乾杯の後、石田さんは僕を励まし、琴音さんは佐倉と楽しそうに話していた。佐倉は、琴音さんの天然な話に優しく相槌を打ち、笑顔を絶やさない。
その完璧な振る舞いを間近で見ていると、改めて実感した。この人は、僕とは根本的に違う人間だと。
僕は、彼女のできるオンナという仮面の下に、どんな苦悩や
でも、それでも、この人は僕には理解できない。なぜそこまでして、完璧を演じるのだろう。その完璧さが、僕の「変われない自分」をこれでもかと刺激する。飲み会の最中、僕は何度も心の中で思った。
(ああ、やっぱり苦手だ・・・)
二時間ほど経ち、飲み会はお開きになった。石田さんが「じゃ、俺たちはこれで」と僕と佐倉に告げ、琴音さんの肩を抱いて二人で去っていく。二人とも、満足そうな顔をしていた。
「今日は楽しかったな。なんか、二人が仲良さそうで安心したよ」
石田さんの言葉が、夜の闇に吸い込まれていく。
残されたのは、僕と佐倉だけだった。
「・・・楽しかったな、だってさ」
僕が皮肉を込めて
昼間の賑やかさとは打って変わり、静まり返った駅前のロータリー。僕たちの間には、先ほどまでの偽りの笑顔はもうなかった。
「・・・今日は、お疲れ様でした」
佐倉の声は、僕の知らない、冷たい響きを持っていた。僕は、彼女の隣で、ただただ気まずい時間を過ごすしかなかった。
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