第二一話「欲望と夜の街」

ロードスターの隣で缶コーヒーを飲みながらタバコに火をつけたとき、ロータリーサウンドが夜の街に響いた。武史のRX-7だ。


「ひらめくん、ごめんね」


車から降りてきた武史は、申し訳なさそうに眉を下げた。


「いや、大丈夫っす。恭子ちゃん、何もなくてよかったっすよ」

「部屋に入れば?」

「いや、帰ろうかと出てきたんで・・・」


「まあ、いいじゃん。ちょっと寄っていきなよ」


武史に促され、渋々部屋に戻ると、そこにはすでに楽しそうにグラスを傾ける恭子と真央がいた。


「恭子ちゃん、だけどさん来たよ! 真央さん、そろそろおいとましよう・・・って.二人で美味そうなツマミまで用意してるじゃん。飲む気満々じゃん。武史さん、明日も仕事っすよね。真央さん、帰ろう。ご迷惑だよ」


僕が必死に、帰ろうとしてるのに、武史が笑いながら返した。


「俺、明日から休み。お店は若い子に任せて、恭子との夏休みを満喫する予定なんだ」


武史の言葉に、恭子は嬉しそうに微笑む。真央は、僕が帰りたがっていることに気づいて、心配そうな顔をした。


「ほら、真央さん。武史さん、恭子ちゃんちに泊まるって乳くり合うんだって。邪魔だから行こう」


「ひらめも飲めばいいじゃん」

「恭子ちゃん、俺、クルマなんだから飲んだら帰れないでしょ?」


恭子はニヤリと笑う。


「愛しの真央ちゃんは、恭子が預かる。後で電話するから迎えに来い。ひらめ、帰ってよし!」


「恭子ちゃん、俺ひとり帰っても何の意味もないし、後で迎えに来るんだったら、家でも飲めないし・・・」


「あー、そうか。ひらめ、お主もエロよのう。真央、帰ってあげたら?」


恭子の言葉に、真央は顔を赤くして僕を見た。


「おい、酔っ払い。ゲスな妄想してんだろ? その妄想通りなんだけど。真央さん、恭子ちゃんもああ言ってるから・・・行こう」


真央が言葉に詰まっていると、武史が口を挟んだ。


「恭子、俺もビールもらうよ。ひらめくんも飲む?」


「た、武史さん、今のやり取りをみてましたよね?俺、作務衣だし、頭こんなんだし、すごく焼き鳥くさいし、シャワー浴びたいから帰りますよ」


僕が丁寧に説明をすると、恭子が武史に提案した。


「武史さん、ひらめんちに一緒に行って、乗せて帰ってくればいいじゃん」

「そうだな。飲む前に、二台でひらめくんちに行って、一台で帰ってこよう。行こう」


「そうっすね・・・。飲みますか・・・」


僕は、武史の提案に、半ば呆れたように頷いた。

赤いロードスターと白いFDが、夜の街をランデブーする。


(まあ、しょうがない・・・今日はお預けだな)


武史を待たせているので、僕は急いでシャワーを浴びて着替えた。FDの助手席に乗り込む。


「おお、良いっすね。広い・・・」

「狭いでしょ?」


「いや、ロードスターに比べたら広いっす」

「確かに、ロードスターよりは広い」


武史は笑った。僕はロードスターとは比べ物にならないRX-7の心地よい加速に身を任せた。


「良かったっすね、恭子ちゃん。無事で」

「本当にごめんね。ひらめくんしか会社の人の電話番号知らなかったから」


「武史さん、めっちゃ恭子ちゃんのこと大切にしてるんすね」

「ひらめくんだって、真央ちゃんと急に連絡取れなかったら心配するでしょ?」


「まあ、心配しますね・・・」


僕は静かに頷いた。


「武史さん、俺と真央がいて大丈夫っすか? なんなら途中で帰りますよ」

「ひらめくんとゆっくり話したいと思っていたから、ちょうどいいよ」


武史の優しい言葉に、僕はまた少し劣等感を感じていた。彼は僕とは違う、成熟した大人の男だ。


「俺と恭子は、君たちが知り合う前から付き合ってる」

「はい・・・」


「でも、君と真央ちゃんと一緒にいるときの恭子は、今まで見たことがない 。心の底から楽しんでいるような気がする」

「はい・・・」


「悔しいけど、恭子は俺に気を使ってるんだよ。君たちには気を許しているのに、付き合っている俺には気を使っている」

「・・・」


僕は、恭子の言葉を思い出した。僕と恭子の「夫婦漫才」が、真央を不安にさせていること。そして、恭子の優しい眼差し。たぶん、口には出さないが、真央が抱いている不安と同じだ。


「なんか、武史さんって、面倒くさいね」


僕は、武史に少しだけイラッとした。


「俺は真央はもちろん、恭子ちゃんのことが好きだから、会っているときは一緒に楽しもうと思うし、困ってるなら助けてあげたいと思う。俺はあいつらが好きだから、バカにされても、褒められても、嫌われても、裏切られても、ちゃんと受け入れる。だって、好きなんだもん。それでいいんだよ。素直になればいい。難しく考える必要はない。欲望と感情を押し殺すことなんてないんだよ」

「・・・」


「武史さんが欲望や感情も押し殺して恭子ちゃんに接するから、恭子ちゃんも気を使うんだと思う。恭子ちゃんが俺に対する態度と武史さんに対する態度の差ってそこだと思う」

「・・・」


僕の言葉に、武史は何も言わない。ただ、静かにハンドルを握っている。


「大丈夫、恭子ちゃんを信じてあげてよ。良いじゃん、喧嘩しても・・・。絶対、仲直りできるって。本当のことを言うと俺も怖い。本音でぶつかるのって、マジで怖い。でも、真央と約束したんだ。お互い言いたいことを言おうって。それに、気を使って付き合ってたら、疲れるじゃん。俺は真央も恭子ちゃんも仲間だと思ってる。もちろん、武史さんも。だから、気を使いたくない」


武史は、僕の言葉を聞き終えると、小さく笑った。


「仲間か・・・。なんかガキくさいな、お前・・・」

「うん。ガキくさいんっすよ」


僕は、言いたいことを話し、武史の雰囲気が変わったことを感じた。武史との間にあった壁のようなモノがなくなったような気がした。


「そうだな。恭子を信じてみるよ」

「うん。信じてあげてください」


武史は、僕の肩を軽く叩いた。


「ひらめ、ありがとな」

「はい」


RX-7を駐車場に車を停め、武史と二人で恭子の部屋に戻ると、鍵は開いているのに明かりが消えていた。


「あれっ? 電気消えてる? いないのかな?」

「・・・」


武史が先に部屋に上がり、明かりを点ける。すると、部屋の隅で恭子と真央が体育座りをしながら笑いをこらえていた。


「「ぷっ、あはははは!」」


二人を見て、ひらめはすぐに状況を察した。


「真央さん、恭子ちゃんにしゃべったでしょ?」


ひらめが真央を睨むと、真央は涙を流し笑いながら謝ってきた。


「ごめん、ごめん。本当にごめん。氷穴の話をしてたら、つい・・・」


恭子も笑いすぎて、床に這いつくばっている。


「ひらめ、大丈夫。誰にも言わない・・・あはははは、おかしい・・・」


僕は暗いのが怖いわけではない。自分でどうしようもない状況が嫌なだけだ。別に暗くても逃げられるなら問題はない。


「全然、怖くないし?」


「恭子、強がってるけど、あいつ、ディズニーランドですら怖がっていたから、お化け屋敷とか、絶対無理だと思う。今度、連れて行ってみようよ」


「待て待て、真央さん。僕をいじめて何が楽しい?」

「どの口が言う? いつも真央をいじめているくせに」


「俺が真央さんをいつ、いじめた?」

「本栖湖のときだって・・・」


「真央、本栖湖で何かあったの? 聞いてないんだけど・・・」


恭子の問いかけに、真央が慌てる。僕はチャンスと見て攻勢をかける。


「恭子ちゃん、あのね。真央さんがね・・・」

「ひらめ、言ったら殺す・・・」


強い殺気を纏った視線で真央がひらめを睨む。真央に睨みつけられ、ひらめは黙るしか無かった。


「「お疲れ!」」


「やっと飲めたよ。旨い。真央さんの浴衣姿も、かわいかったけど、お風呂上がりの真央さんも艶っぽくて素敵だよ」

「うん、ありがと」


「ひらめ、お前恥ずかしげもなく、他人を褒められるな。それに慣れている真央・・・」

「恭子ちゃんも真央に負けないくらい、かわいいよ。黙っていればね・・・」


ひらめの軽口に、恭子は一瞬ムッとした。


「ひらめ〜。お前、最近、調子に乗ってんだろ?」

「恭子ちゃん。それだよそれ。おしとやかに・・・ね」


そんなやりとりをしながらも、ひらめは無心でつまみを口に運ぶ。


「よくよく考えてみたら、今日は朝からタバコとコーヒーと三ツ矢サイダーしか口に入れてなかった」

「納涼祭で何も食べなかったの? 真央は結構、差し入れもらって食べたけど・・・」


「ぼあ〜ぼぼば〜」

「ひらめ、口ん中に入れすぎて、何言ってるか分からないから」


ひらめが食べ物をボロボロこぼすと、真央はティッシュで片付けようとした。


「真央さん、そこはダメ・・・。変な気分になる」

「変態! じゃ自分でやってよ」


二人が戯れている傍らで、武史が恭子の手を握る。恭子は嬉しそうに武史に寄りかかった。


欲求不満のひらめは見逃さなかった。つかさず、二人にツッコミを入れる。


「おい、待て。お前らだけでいい雰囲気になろうなんて許さないからな」


ひらめは、恭子と武史の様子を見て、ねたように言った。


「ひらめ、何でそうなる? おいで。真央が抱っこしてあげるから」


真央が両手を広げ、ひらめをからかう。


「待て待て、真央さん。そもそも、俺は子供か? それとも、バカにしてる?」


恭子と武史が目を合わせ、笑う。


「恭子ちゃん、信じられる? 真央さん、俺のことバカにしすぎじゃない? 俺ってそんなにガキか?」

「「ガキじゃん」」


恭子と真央の声が、ぴたりと重なった。


「えっ? 満場一致?」


一同は声を上げて笑った。


「ひらめ、今日だって、ガキンチョと本気で遊んでるお前の姿を見て、うちの先輩方は、どう見ても会社員には見えない、と笑っておられたぞ」


真央の言葉に、ひらめは唇を尖らせた。


「恭子ちゃん、休み明けに、真央の職場に乗り込むぞ」

「何しに?」


「お前の仲間がバカにされてる。その先輩方をボコボコにしてこい」

「・・・」


四人の笑い声が、夜の部屋に響き渡った。

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