『取引(三)』

 ケイの放った飛刀によって蜂の巣になったと思われた玄狼ゲンロウだが、刃は全て身体の表面で止まっており、『芯』には届いていなかった。その様子に慶の眼が見開かれる。

 

「————『霜甲練氣功そうこうれんきこう』!」

 

 玄狼は呼吸を整えると両腕を身体の前で交差させた。すると周囲に冷気が立ち込め始める。

 

『あれは————』

 

 凰蘭オウラン正剛セイゴウが同時に声を上げた時には、すでに玄狼の魔性の腕が振るわれた後だった。絶技『玄冥氷掌げんめいひょうしょう』は瞬時に慶の氣糸を氷結せしめ、その硬度と弾力を奪ってしまった。

 

「肝を冷やしましたぞ……! さらば————」

 

 言うが早いか玄狼は玄冥氷掌を振るい、糸を断ち切りながら戸口へと駆け出した。

 

「待てっ!」

「待ちなさい!」

 

 正剛と凰蘭が怒りの声を上げるが、慶の氣糸が立ちはだかり追いかけることが出来ない。そのかたわらで慶が再び飛刀を放つ。刃は玄狼の後頭部へと命中したが、玄狼は意に介さず振り返ることもなく掌門のを出て行ってしまった。

 

「……やられたわ」

「師娘(師父の妻)! 糸を消してください、俺が追いかけて奴を————」

「————無駄です。あの者の軽功はお前よりも上でしょう。それに…………」

 

 慶は言葉を区切って、再び口を開く。

 

「先ほどあの者が見せた硬氣功は玄武派に伝わる霜甲練氣功です。さらに、あの恐るべき掌法……いくらお前でも、何の策も無ければ返り討ちに遭うでしょう」

「くっ……」

 

 口惜しそうに正剛は拳を握った。

 

「……玄冥派と言いましたね、まさか玄武派が名を変えて青龍派をまとに……⁉︎」

「おばさま、恐らくそれは違うと思います」

 

 思案する慶に凰蘭が口を挟んだ。

 

「何故そう思うの、凰蘭?」

「はい、私が玄狼の仲間の玄貂ゲンチョウという男に囚われた時のことです。記憶が戻る前の龍珠リュウジュに助けられたのですが、玄貂は龍珠から玄武牌を手に入れてとても嬉しそうにしていました」

「龍珠が……!」

 

 最愛の息子の話になると、再び慶の顔に悲愴感が漂った。

 

「おばさま、霜甲練氣功とはどういった技なんでしょうか?」

「……硬氣功を超える硬氣功と言われる技です。青龍派の門人にとって天敵と言えましょう。ただ、玄武派の中でも指折りの者しか使えぬはずですが……」

「奴らが玄武派の流れを汲むのは確かだと言うことですね。師娘、何か破る手立てはありましょうか……?」

 

 正剛が問いかけるが、慶は首を横に振った。

 

「……無いわね。掌門は何か考えがあるようだったけれど、玄武派と敵対する気は無いからと言って結局教えてはくれなかったわ」

「師父が……」

 

 三人は氷漬けになった龍悟リュウゴへと眼を向けた。突然、凰蘭が何か思い出したかのように口を開いた。

 

「————おばさま、そういえば龍珠の『あの眼』をご覧になりました……?」

「…………ええ……」

「眼? 龍珠さまの眼がどうかしたのか?」

「……金色の光を放っていたの……。それに瞳孔の形が、まるで龍のような……!」

「何だって……⁉︎」

 

 正剛が訊き返すと、慶が静かに口を開く。

 

「あれは恐らく『龍眼』よ……」

『————龍眼?』

 

 初めて聞いた言葉に凰蘭と正剛が同時に繰り返した。

 

「……先ほど話したでしょう、前掌門が妖怪に心を乗っ取られていたと。正確に言えば、師父の精神こころに巣食っていたのは妖怪ではなく、『原初の仙人』と呼ばれる存在だったのよ」

「原初の仙人とは何なのですか……?」

「この神州の地を造ったとされる超絶の存在らしいわ。そして、彼らの因子は全ての神州人に多かれ少なかれ組み込まれているそうよ」

『…………‼︎』

 

 突然の、そして衝撃の事実に凰蘭と正剛は顔を見合わせた。

 

「……私もじかに見た訳ではないけれど、師父の眼も金色こんじきに光っていたらしいわ……!」

「————それじゃあ……!」

 

 思わず凰蘭が口を覆うと、慶がゆっくりとうなずいた。

 

「……恐らく、隔世遺伝によって龍珠の身に原初の仙人の能力ちからが現れたのだと思うわ……!」

「そんなことって……!」

 

 重苦しい雰囲気が掌門の間を包む中、それを吹き飛ばすように正剛が口を開く。

 

「師娘! こうしてはいられません! 私が龍珠さまを連れ戻して参ります! それに玄狼を捕えれば師父を治す方法も分かるやも————」

「————それはなりません」

 

 威勢よく声を上げる正剛を慶が押しとどめた。

 

「師娘……、何故ですか……ッ」

「……夫や息子のためにお前を外につかわすのではありません。お前の使命はあくまでも玄冥派を討ち、迅雄ジンユウ秀芳シュウホウの魂をなぐさめることです。それを忘れてはなりませんよ……?」

「師娘……!」

 

 慶の言わんとすることを察した正剛は叩頭をって応えた。慶はその肩に手を掛けて穏やかに助言する。

 

「……正剛、霜甲練氣功とて決して万能ではありません。真氣の消耗が激しいという欠点もあります。正面からぶつかるだけが正道ではないこと覚えておきなさい」

「————はッ」

 

 正剛は再び叩頭し、今度は龍悟へと向き直って強く叩頭した。

 

「行って参ります、師父……‼︎」

 

 決意を秘めた瞳で立ち上がった正剛の顔に迷いの色は微塵も見られない。

 

「おばさま、私も行きます。止めたって無駄ですよ? 星河セイガを乗りこなせるのは私だけですもの!」

「……凰蘭……!」

 

 慶は力強く拳を握る姪に歩み寄り、優しく抱きしめた。

 

「……もう止めませんよ。でも、龍珠たちのことは二の次で良いのです。お前は存分に父さまと母さまを捜しなさい……!」

「おばさま……ッ!」

 

 凰蘭は涙を浮かべて慶の身体をかきいだいた。

 

「さあ、行きなさい。私は掌門の代わりに門派をまとめなければなりません」

「はい!」

「はッ!」

 

 凰蘭と正剛は元気よく返事をして掌門の間を後にした。

 

 一人残された慶は、夫を閉じ込める氷にそっと手を触れた。

 

「……あなた、あの子たちが無事戻って来られるよう祈っていてください……!」


  ———— 第十六章に続く ————

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