第十五章

『取引(一)』

 ————一方、青龍派の本拠『敖光洞ごうこうどう』では、掌門・黄龍悟コウリュウゴの身体を包み込む氷塊をかそうと、掌門夫人・李慶リケイたちが躍起になっていた。

 

「さあ、もう一度呼吸を合わせて合力するわよ!」

「はい!」

「はっ!」

 

 しかし、李慶とその姪・凌凰蘭リョウオウランや門人・柳正剛リュウセイゴウがどれだけ真氣を送り込んでも、龍悟を閉じ込める氷の檻は一向に融けだす様子は無い。

 

「…………もう、いいわ……。手を離しなさい」

「おばさま⁉︎」

「何を言われるのです、師娘(師父の妻)‼︎」

 

 諦めたような慶の言葉に凰蘭と正剛が同時に声を上げた。

 

「このままいたずらに続けていても、あなたたちの真氣を消耗してしまうだけだわ……」

「おばさま、そんなこと構いません!」

「そうです! 俺たちだけで足りないのなら、他の門人を呼んで————」

「————しなさい!」

 

 慶の一喝により、戸口へ向かった正剛の足が止まった。

 

「……これは、人を増やしてどうこう出来る類のものではないことが分かったわ。それに掌門がこのような姿になってしまわれたことが伝わると、門人たちが動揺してしまうでしょう」

「しかし、師娘!」

「聞き入れて頂戴……! きっと掌門もご自分のことで、あなたたちが消耗することは望まれていないはずよ」

「…………ッ!」

 

 正剛は歯噛みして慶に眼を向けた。その表情はいつものように取り澄まされていたが、拳が小刻みに揺れて鮮血がしたたり落ちている。師娘も断腸の思いで命令を下しているのだと思うと、正剛はおのれの不甲斐なさに膝を折った。

 

「……正剛、戻ってきたら掌門が伝えることがあると言っていたでしょう……?」

 

 重い空気が漂う中、突然慶が口を開いた。その口ぶりに思わず正剛と凰蘭は顔を見合わせる。

 

「……はい……」

「掌門がこのようなことになってしまわれたからには、私の口から伝えましょう」

「…………」

 

 正剛が無言で顔を上げると、慶は深呼吸をして、その眼を真っ直ぐに見つめた。

 

「————お前の叔父・柳怜震リュウレイシン師兄は病死とされていたけれど、本当は前掌門・黄志龍コウシリュウ師父の手によって命を落とされたのです」

「…………何故、なのですか……⁉︎」

「当時、師父は妖怪に心を乗っ取られていて不安定な状態でした。それで、おいさめになった柳師兄を……!」

「…………ッ‼︎」

 

 尊敬してまない叔父の最期を聞かされた正剛の眼が暗く濁った。

 

「……私に黙っていたのは何故ですか……⁉︎」

「掌門はすぐにでもお前に伝えるつもりでしたが、幼かったお前に告げることを私が反対したのです。恨むのなら、私のことも恨みなさい」

「…………‼︎」

 

 ここまで話すと、慶は憤怒の形相の正剛の前にひざまずいた。

 

「し、師娘……!」

「おばさま⁉︎」

 

 師娘が弟子に対し、ひざまずくなどあり得ないことである。正剛と凰蘭は驚きを隠せない。

 

「……掌門はお父上の所行の責任を自らの命であがなうとおっしゃっていました。どうか、この痛ましいお姿に免じて掌門をゆるしてあげてもらえませんか……!」

 

 慶は念じるようにゆっくりと叩頭した。

 

 しかし正剛はスッと立ち上がり、慶に背を向けた。

 

「……師娘、申し訳ありませんが、その叩頭は受けられません」

「…………」

「柳兄さま……」

「私は、師父の口から直接当時のことを聞きたいと思います」

 

 振り返った正剛の眼は澄んだ色に戻っていた。

 

「————師娘、私に師父を治す方法を探すための外出許可を下さい……!」

「正剛……!」

「おばさま! 私も行きます! 龍珠リュウジュも連れ戻してあげないと!」

「……凰蘭……ッ」

 

 正剛と凰蘭の言葉に慶は堪え切れずに嗚咽を漏らし始めた。その姿は掌門夫人ではなく、ただの妻であり、子の母であった。

 

「おばさま、泣かないで。おじさまと龍珠のことは私たちに任せて下さい」

「……でも、どうやってあの子を見つけるの……? 何か手掛かりはあるの……?」

星河セイガが龍珠の匂いを覚えているの。近くに行けば、きっと分かると思います」

「————それでは、足りんな」

 

 その時、どこからか男の低い声が響いて来た。

 

「————誰っ!」

「…………」

 

 凰蘭の甲高い声と同時に、柱の陰から男が無言で姿を現した。その姿を眼にするなり、今度は正剛が叫び声を上げる。

 

「貴様ッ!」

 

 ————男は玄冥派の二番弟子・玄狼ゲンロウであった。

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