『追憶(二)』

 北方のとある農村の外れに周辺の家々の数倍の広さの土地を有した区画があった。

 

 その上空には、四つのひづめから炎を吹き上げた白馬が悠然と浮遊している。

 

「あの家に、お前の主人がいるのか?」

 

 白馬にまたがるは龍を模した面を着けた若者である。龍面の若者に尋ねられた白馬は軽くいなないて返事をする。

 

 龍面の若者————玄龍ゲンリュウは再び下方を見やった。

 

 時刻は夜間にも関わらず家屋には灯りがともっておらず空き家のようだが、白馬はここで間違いないと言っているようである。どうやら白馬の主人は何者かのとりこになっているらしい。

 

「待った。星河セイガ、ここで降りちゃダメだ。村の入り口まで戻ってくれるか」

 

 中庭に降りようとする白馬————星河に玄龍が待ったを掛けると、星河は無言でうなずき、村の入り口まで旋回して行った。

 

 

 ゆっくりと着地した星河の背から降りると、玄龍はたてがみを撫でながら優しく話し掛ける。

 

「いいか、星河。お前の主人は必ず助けてやるから、お前はここで待ってるんだ。俺が合図するまで動いちゃいけないぞ?」

 

 星河は頼んだぞと言わんばかりに顔を玄龍の身体に擦り付ける。玄龍は龍面の下で薄く笑みを浮かべると、独り駆け出した。

 

 

 先ほどの空き家へ向かう途中、視界に流れて来る風景に玄龍は奇妙な感覚を覚え脚を止めた。

 

(……この風景、俺はどこかで……)

 

 どこか見覚えのある通りに遭遇した玄龍は思わず感慨にふけっていたが、ブンブンと頭を振って走り出し、ほどなくして先ほど上空から見下ろしていた区画に辿り着いた。

 

 周囲の民家よりも一際大きな塀に囲まれた姿を眼にした瞬間、何とも形容し難い感情に玄龍の胸は締め付けられた。

 

(俺は以前、この家に来たことがある————)

 

 当初は自分になついてくる白馬への気まぐれのようなつもりだったが、この家はおのれと関係が深い場所であると玄龍は確信した。

 

 玄龍は静かに呼吸を整えると、塀を乗り越え中庭へと降り立った。

 

 音も無く着地した先には家屋の他は池や庭園などは存在せず、眼につく物と言えば塀の周りに十数本の松の樹が植えられているだけの殺風景なものである。その松も数年ほど手入れがされていないようでボサボサと伸び放題になってしまっていた。その有様から、空き家となって久しいと見える。

 

(ここは何かの道場のようだ……)

 

 玄龍の感じた印象の通り、中庭の大部分は丁寧に石を取り除かれただだっ広い空間が広がっており、眼を閉じれば規則正しく整列した門人たちの掛け声が聞こえて来るかのようである。

 

 しかし実際には人の姿は無く、所々に穿たれた地面の穴や、無残に折れた松の枝、塀に飛び散った黒く変色した血糊などが、ここで確かに起こった激闘を鮮明に物語っていた。

 

「————ッ!」

 

 不意に鋭い頭痛と共に再び記憶の断片が脳裏に蘇ってきた。

 

 先程の猛虎のような男が、よく見知った顔と激闘を演じている。

 

(あれは師父だ……! 師父と闘っている人は誰なんだ……⁉︎)

 

 師父である崔玄舟サイゲンシュウと打ち合っている男は後ろ姿ばかりで、その面相はやはり窺い知ることが出来ない。

 

 玄龍は男の顔を知ることに躍起になっていたがその内、二人の達人の立ち合いに眼を奪われ始めた。

 

(凄い……! 師父はあんなに強かったのか……!)

 

 玄龍にとって師父とは言っても、玄舟は内功の修練を誤ったせいで身体の自由が利かないと聞いており、直接指導を受けたことは無い。技を教えてくれたのはもっぱ兄弟子あにでし玄狼ゲンロウである。その為、玄舟が闘う姿を眼にしたのは初めてのことだった。

 

 当初、玄龍は玄舟の動きばかりを追っていたが、徐々に相対あいたいする男のほうを注視するようになっていった。

 

(……本当にあの男の人は何者なんだ……? 師父も玄狼師兄を優に上回る腕前なのに、その師父を相手に段々と優勢になってきている……!)

 

 玄龍の見立て通り始めは拮抗していた二人の闘いだったが、徐々に男が優位に立ってきており、このままではあと数合ののちに玄舟は一敗地にまみれることになると思われた。その様子を見ながら、玄龍の胸中は不思議な感情に包まれていた。

 

(このままだと師父は負けてしまう。でも、俺は師父の敗北を願っている…? あの男の人に勝って欲しいと思っているのか……?)

 

 その時、突然場面が切り替わり、雪のような真白い装束を纏った女がうずくまっている姿が眼に映った。

 

(この女の人もさっき見た————、いったいあなたたちは誰なんだ————!)

 

「……よう、おめえか。よく此処ここが分かったな」

 

 出し抜けに聞き覚えのある男の声が耳朶じだを打ち、記憶の断片は霧散してしまった。

 

 もう少しで大切な何かを思い出せそうだったところを邪魔された玄龍は、声のした方へキッと鋭い視線を送った。

 

「……やはり、あなたでしたか……!」

 

 母屋の戸口でお決まりの下卑た笑みを浮かべているのは、もう一人の兄弟子、玄貂ゲンチョウであった。

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