16. 上を向いて歩こう
大晦日。久し振りにしっかりとした休みをとることが出来、家の大掃除にとりかかる。
今は娘の咲樹が家事を仕切ってくれていて、手伝う形になってしまった。
「お父さん、久し振りの休みなんだから、ゆっくりしてて良いよ。掃除機はロボット家電がやってくれるから。」
最近の家電はハイテクで、反対に足手まといになってしまった。仕方ないので自分の部屋の掃除にとりかかる。寝に帰るだけなのでほとんど散らかっていないが、寝具のメンテナンスを行った。
封が開いていない給料明細や、学校関連のプリントがたまっていたので、机の引き出しも整理する。
久し振りに開けた一番上の引き出しには二通の手紙が入っている。ずいぶん長いこと見ていなかったので、久し振りに開いてみることにした。
『亮介さん あなたの優しさに甘えて、ここを発ちます。朔と咲樹には本当に酷なことをしてしまうことはわかっています。このままでは私は、あの子達にもっと酷いことをしてしまうという不安が拭えません。あなたのことは愛しているし、こどもたちと離れることも辛いです。
お義母さんにも感謝しています。でも、私にはこうすることしか出来ません。本当にごめんなさい。百香』
妻からの置き手紙だった。ちょうどこれくらいの季節だった。もう一通は、母からの手紙だ。入院中に書いたと思われる手紙で、荷物を引き上げるときに出てきた。
『亮介 朔ちゃん 咲樹ちゃん 今までありがとう。朔ちゃんと咲樹ちゃんは、本当に良い子達に育ちました。お婆ちゃんが、あなたたちをお母さんのいない子どもにしてしまいました。少しもの償いだと思って、お母さんの代わりをしてきたつもりですが、お母さんにはなれません。
亮介、ごめんなさい。百香さん、本当にごめんなさい。許して欲しいとは言いません。あなたたちの幸せを願っています。佐倉千恵子』
朔と咲樹が大人になったら読ませようと思ってしまっている。母親がいないことを彼らはどう思っているのだろうか。
小さいときから彼らは気を使って母親の話をしないようにしている。そろそろ話しても良い頃かもしれないが、多感な時期だ。高校は卒業してからのほうが良いと思った。
手紙を元に戻し、書類を片付けてリビングに移動する。朔が珍しく新聞を読んでいた。何の記事を読んでるのか覗くと、テレビの番組表だ。
「父さん、夜は見たい番組ある?俺たちは紅白歌合戦か笑ってはいけない、かなー。その後はCDTV見たいんだけど。あ、今日は、香月が泊まりに来るから。」
最近は軽音楽部でバンド活動をしていて、音楽が気になるのだろう。この前、学校の公式動画チャンネルに上がっている息子達の姿を見て驚いた。この子達にあんな才能があるとは。病院の同僚たちに、自慢して回ってしまった。
テレビ番組は何でも良いし、一緒に見ることを伝えると、朔は笑顔で「珍しいじゃん。」と言った。もう高校生だが、少し残るあどけない表情に、小さい頃のかわいさが甦る。
咲樹はお昼ご飯の準備をしている。年越し蕎麦だ。咲樹はだんだん、母親の百香に似てきて、びっくりするときがある。笹蔵くんを見ているときの優しい表情が特に似ている。きっと咲樹は、笹蔵くんに恋をしているのだと思う。
笹蔵くんは、まだ少ししか話をしたことがないが、なかなかの好青年だ。良いお友達が出来て良かった。そんなことを思っていると、笹蔵くんがやって来た。しっかりと挨拶をしてきて、親に持たされたという手土産を受け取った。
「あとこれ、母が執筆した来年の運勢です。」
四柱推命。笹蔵くんのお母さんは占い師だと知った。
「これ、俺と咲樹は全く同じ運勢になるな。」
朔がそう言いながらも熟読している。自分も一応読んでみる。『懐かしい人と出合う』と書いてあった。昔診た患者にもう一度会うことは良くある。
「お父さんは、お休みはいつまでですか?」
笹蔵くんが聞いてきてくれたので、明日の昼までなんだと、残念な気持ちで答えた。
子どもたちは年越しそばを食べて、今年はどうだったとか、来年はどうするとか話をしている。不意に「お父さんは?」と話を振られて考える。
「今年はみんなのお陰で思いっきり仕事できたかな。来年は、ワークライフバランスを向上させたい。」と答えると、「お父さんらしい。応援してる。」と咲樹が言ってくれた。
母さんも言っていたが、本当に良い子達に育ったなとしみじみ思った。
夜。朔たちが見たいアーティストが出ているときは「紅白歌合戦」、そうじゃないときは「笑ってはいけない」を見ながら夜は更けていく。笹蔵くんにどういう子どもだったのかを聞くと話が盛り上がった。
「え、どういう子どもだったか、ですか?仲の良い友達は特にいなかったですね。友達はポケモン、みたいな子どもでした。
僕が小学三年生の時に父親が白血病で亡くなったんですけど、それから料理に目覚めたかな。」
朔が「え、そうだったの?」と初めて聞いたようだった。
「姉がほんとに料理できないんですよ。まず、分量を計るのを面倒くさがるし、レシピ見ないんでヤバイ見た目と味になるんですよ。そんなの食べたくないじゃないですか。自然に身に付きましたね。」
笹蔵くんに感心する。小さいのに自然にお姉さんのフォローを買って出ている。
「あとは、ずっとヴァイオリン弾いてました。早弾きとか。」
咲樹が「早弾き聴きたい!」とねだり、明日ね、と会話している。三人の仲の良い様子を見て和んでいると、外から大きな音が聞こえた。
「なんか車がぶつかったような音しなかった?」
朔の言葉を待たずして、上着を羽織り、スマホを持ってスニーカーで玄関を出る。子どもたちもついてきた。
家を出て音の方に少し走ると、横転した軽自動車が見えた。トラックと衝突したらしい。
少し野次馬も集まってきている。近所の男性数人で、車を通常の向きに動かし、中にいた人を外へ出す。救急車は呼んだようだった。
運転席にいた男性は頭を打っていて出血していたが意識はあった。
「同乗者はいませんか?」
「・・・後部座席に、子どもが、ひとり、乗っています・・・。」
息も絶え絶えで発せられた言葉に、後部座席を覗く。シートに挟まっているこどもの足が見えた。救急車はまだ来ない。
近所の人が持ってきたジャッキやバールでドアをこじ開け、子どもを引きずり出す。出血はひどくないが、挟まって血流が止まったことによる心肺停止状態だった。
「朔!やおはちでAED借りてきて。咲樹は時間測って。笹蔵くんはあっちの患者に名前とか聞いといて。」
指示を出して心臓マッサージを開始する。まだ幼稚園年中ぐらいだろうか。これからまだまだ楽しい人生が待ってる。
「戻ってこい!・・・戻ってこい!咲樹、何分たった?」
咲樹が「一分」と答える。心肺停止から時間が経つほど蘇生率は下がる。朔がAEDを持ってきた。
「蓋開けて。子どもモードにセット。ハサミ取り出して、この子の胸が出るように切って。」
一旦マッサージを中断し、朔が服を切り、胸部を露出させたタイミングでパッドをセットすると、心電図解析が始まった。電気ショックが行われたが、まだ蘇生しない。引き続き心臓マッサージを行う。
救急車の音が小さく聞こえてきた。大晦日の道路は混んでいたかもしれないし、別の出動で遅くなったのかもしれない。
回数を数えながらマッサージを続けていると、呻き声が聞こえた。直ちにマッサージを中断し、呼吸を確認する。
少し弱いが、胸が上がっている。笹蔵くんに子どもの名前を確認する。
「りくくん、りくくん、わかるか?」
呼び掛けると少し目を開けた。戻ってきた。ほっとして額に手を当てると、汗だくだった。
救急車が到着し、救急隊員に引き渡す。
「あれ、佐倉先生。家この辺ですか?」
ええ、まあ。と言って状況を説明する。挟まれていたところも内出血が心配だ。
「年の瀬だからか、要請が多いです。オンコール入るかもしれないですね。」
そう言って救急車は病院へ向かった。
汗だくの朔と私は先に家に帰ってシャワーを浴びることにした。咲樹と笹蔵くんはやおはちにAEDを返しに行ってくれた。
「父さん、かっこ良かった。」
朔は年頃の高校生なのに、こういうことをちゃんと言ってくれる。
照れ隠しに朔の頭をガシガシと撫で、「走れメロスもかっこ良かったぞ。」と言うと、朔は家まで走っていった。
家に入るとテレビをつけっぱなしだった。紅白歌合戦も中盤になっている。
途中で日本の名曲特集が流れる。朔がシャワーを浴びている間に見ていると、咲樹と笹蔵くんが帰ってきた。
「お帰り。お疲れ様でした。」
「お父さんも、お疲れ様でした。かっこ良かったです!」
笹蔵くんがそう言ってくれて、ちょっと照れる。
「いや、本業だしね。」と言うと、笹蔵くんに熱が入る。
「あの子、りくくんの未来に対する願いとかが、心臓マッサージをするお父さんの手に込められてて、戻ってこいって導いてる感じがして、凄かったです。尊敬です!」
熱い笹蔵くんに圧倒されていると、テレビから坂本九の『上を向いて歩こう』が流れてきた。
「この曲、私が研修医の時によく聞いたな。」
咲樹が、どんなシチュエーションで聴いていたのか知りたがる。
「やっぱり、患者さんがみんな助かる訳じゃない。患者が亡くなるのは、医療現場にいればそれは日常だけれど、医療従事者だって人間だから、悲しい。そういうときに聴いてたな。音楽は良いね。癒される。」
朔が風呂から出たので入れ替りで入る。『上を向いて歩こう』の鼻唄を歌って、さっきの『りくくん』が、後遺症もなく回復することを願った。
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