第四章

第1話「見守る姉とお茶会を開きたい妹」

「ふぅ」


 一心不乱にペンを走らせていた私は、自分の吐息を合図に集中を解く。

 まるでそれが合図であるかのように、人の気配が自室の前にいきなり現れた。

 控えめなノックと共に、扉が開く。


「お疲れ様でございますクリスタ様。お茶をお持ちしました」

「ありがとうメイザ」


 私の専属メイドであるメイザだ。


「相変わらずね。本当に気配が分からないわ」

「恐縮です」


 メイザは必要のない時には気配ごと姿を消している。

 僅かでも私の集中力を削ぎたくない、とのことらしい。

 そこまでしなくても――と思うこともあるけれど、今回のように集中しないといけない時などは本当に助かっている。


「書類は伝書鳩にてニクス所長様と聖女マリア様にそれぞれ手配いたします」

「ありがと」


 優れたメイドは一言ったことを十にして行動してくれる。

 けれどメイザは一すら言わずに十にして行動してくれる。


 湯気の立つ紅茶の香りが疲れた身体に染み渡り、私は思わず顔を綻ばせた。


「助かるわメイザ。ルビィの警護も安心して任せられるし」

「いえ、私は警護人としては失格です」


 メイザは無表情のまま、少しだけ俯いた。

 どうやらルビィをルトンジェラに送り出したことを悔やんでいるらしい。


「落ち込まないで。あれは私の言い方が悪かっただけだから」


 メイザはルトンジェラ行きを止めるか否か、最後まで悩んでくれていた。

 けれど直前に私が「ルビィのやることは極力叶えてあげて」と言ったばかりに、その意を汲んで送り出したのだ。

 ……まあつまり、ルビィのルトンジェラ行きは間接的に私のせいということになる。


 だからメイザが気に病む必要は全くない。


「ルビィも良い経験になったって喜んでいたし。終わり良ければ全て良し、でしょ?」

「はい。ありがとうございます」


 元気になってくれたのか、それとも落ち込んだままなのかが分からない。

 人の感情の機微に疎い私に、メイザの無表情は難易度が高すぎた。


「それでは失礼いたします」


 足音もなく、メイザは一礼して部屋を後にした。


 ▼


 現在、私はエレオノーラ家に滞在している。

 魔物の恐怖は人によっては一生残ることもあるという。

 ルトンジェラの一件で心に傷ができていないかを見極めるため、無理を言って実家に長期滞在している。


「ルトンジェラの事件から、もう二ヶ月も経つのね」


 ルビィの様子は変わりない。

 最近は紅茶やコーヒーの入れ方を学んでいるようで、たまにメイザに変わって飲み物を入れてくれたりもする。


「そろそろ戻らないとマズいわね」


 離れていてもできる仕事はあるとはいえ、やっぱりできないことの方が多い。

 近ければ数分の会話で済む仕事が、離れているせいで書類にしなければいけない。

 このままここにずっと滞在したいのはやまやまだけれど、書き物はもちろん、それ以外の仕事も溜まりに溜まっている。

 同僚にある程度の処理は頼んでいるけれど、さすがに限界だろう。


 机に積み上げられた書類の山。

 これを出発までにできるだけ片付ければ、王都での修羅場もそこまで酷いものにはならない……はず。


「あー、頭痛がするわ」

「お姉様、いらっしゃいますか?」

「ええ、いるわよ」

「失礼します」


 入ってきたのは、世界で一番可愛い妹のルビィだ。

 ふわりとした笑みに、ずきずきとしていた頭痛が一瞬で消えた。

 ルビィの笑顔には万物を癒す力があるに違いない。


「どうしたの?」

「お姉様、あとどのくらいここにいらっしゃいますか?」

「来週には出ようと思っているわ」

「そうなんですか……」


 私がそう言うと、ルビィはしゅんと俯いた。

 ルビィに悲しい顔をさせてしまい、私の胸はマリアに杖で殴られた時以上の痛みに支配された。


(うぅ……ごめんなさいルビイィィィィ)


 私だって、いられるのならずっとここにいたい。

 けれど、それはルビィのためにならない。

 溺愛しているからこそ、時には離れなければならないのだ。


 胸中で血の涙を流していると、ルビィはおずおずと提案してきた。


「あの、もしお忙しいならまたの機会でも大丈夫なんですけど……出発の前にお茶会をしませんか?」

「する」


 私は即答した。


「えっと……本当に大丈夫なんですか?」


 ちらり、とルビィは机の上の書類に目をやった。

 来週までに片付けなければならない仕事ものだ。


「ああこれ? 平気よ。たったいま終わった仕事ことだから」


 それらをルビィの視界から隠すように前に出る。


「そうなんですね。良かった」


 ぱぁ、と花が開くような笑みを浮かべるルビィ。

 この笑顔を見られるのなら、私はどんな修羅場だろうと喜んで受け入れよう。

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