就職のはずが徴兵されました

 学校や関連施設を見学に来ませんか?

 費用はタダです。 


 美奈代の元に送られてきた封筒の中には、大量の書類に混ざって、一通の便せんが入っていた。

 神崎という男からだ。

 まさか入社する会社への見学を辞退する馬鹿もいないだろう。

 美奈代はそう思い、承諾の返事を送った。


 卒業式まであと少し。

 そういう、微妙な日だった。


 「ねぇ。美奈代」

 クラスメートが美奈代に訊ねてきた。

 田倉律たのくら・りつ

 情報通の女の子だ。

 どこのお菓子が美味しいとか、どこの誰が付き合いだしたとか、そんな話は大抵、律から入ってくる。

 だから美奈代は律の存在を重宝していた。

 

 「何?」


 「就職先決まったって?」

 

 「うん」

 美奈代は答えた。

 「一応ね」 


「でさ」 

 律は興味津々。という顔で訊ねた。

「軍隊って本当?」


「なんか、悪い?」


「ええ?厳しいんじゃないの?」


「イヤなら辞めるし」

 美奈代はきっぱりと言い切った。

「なんか、もう、こういう通知も来ているし」


 美奈代は封筒に入っていた得体の知れない通知を律にみせた。


「えっ」

 それを見た律の顔が青ざめた。

「美奈代……それって」


「何?」


「令状じゃん」


「何、それ」


「教育召集礼状とか“白紙”とかいうけど」

 律は美奈代の前の椅子に座った。

 その顔は真顔だ。

「軍隊からの呼出状」


「呼出状?」


「死んだお兄ちゃんがもらったから知っているんだ。それ、無くしたら大変だよ?」


 召集令状は、それ自体が交通切符の代わりになる。

 改札で令状を見せて判子をもらう必要があったり、利用する交通機関が指定されているから遅れることが出来ない面倒はあるが、そこまで文句は言えない。

 

 国からすれば、便宜は図ってやる。そのかわり――。


 逃げるなよ?


 そう言われているのだ。


 まず、召集令状は軍から対象者の住所にある警察署に送付され、警察から役場に回された後、役場の担当者が対象者かその家族に交付する仕組みになっている。

 このため、警察は対象者が何処の誰で、いつ出発するのかを全て知っている。

 当然、役場も関与しているから、住民票の異動で逃げることは出来ない。


「来たらアウト。そういうもの」

 律はどこか哀れむような顔で言った。

「志願で入るなら、令状なんてこないと思っていたんだけどねぇ」


「……その、もしも断ったら」

 美奈代は訊ねた。

「あれになるのか……その」


「そう。徴兵忌避者」

 

 徴兵忌避者。

 文字通り、徴兵を拒絶する者のこと。

 世人は、昔ほど厳しくなくなったというけど、徴兵忌避への罰則がものすごく厳しいことは、この世では子供でも知っている。

 どの位?

 その答えを、美奈代達は、一つの“時代”を経験することによって骨身で味わった。


 戦争だ。


 しかも、全世界を巻き込むほどの大戦争。

 30年も続いたことから「三十年戦争」と呼ばれる巨大な戦争。

 2つの世代をまたいで続き、実に30億人を死に至らしめた戦争。


 美奈代達はその中で生まれ育った。

 美奈代達の日常生活の中には戦争があった。

 子供の頃、学校で戦争がなんだから知らず、ただ「兵隊さんありがとう」と作文を書かされたり、「出征」する誰だから知らない「近所のヒト」の見送りのために手作りの日の丸の旗を振ってみたかと思えば、白い布に包まれた箱を首から提げた行列に頭を下げてみたりと、それが戦争とどう関係しているか、何も知らなくても、毎日の中に、戦争は確実に


 誰かが戦死した。

 名誉の戦死だ。


 律が知る限り、そう言う大人達が陰でコソコソ囁きあったのが、名誉とは正反対の話。


 主に徴兵逃れについだ。


 死にたくない。

 戦争はイヤだ。


 様々な理由で徴兵を拒む人々がいるのは当たり前だと思う。

 誰だって死にたくない。

 だからといって……。


 行方をくらませる。

 わざと指を切断して障害者になる。

 大金を積んでニセの診断書を医者に書いてもらう。

 戦争に行かずに済むならばと、違法な薬物から新興宗教にまで、あらゆる手段にすがる。


 そんなことをする人が実際にいたのだ。

 しかもたくさん。

 

 国家が彼らをどれ程に憎んだかは、その追求ぶりからもわかる。


 「ははっ。私も逃げようかな」

 美奈代としては冗談だった。

 でも――


「ダメよ!」

 律は身を乗り出し、そして言った。

「徴兵から逃げたら!」


 律の顔は真顔だった。


「殺されるよ!?」


 普段はヘラヘラしてばかりの、律が真顔だったから、聞いたときはさすがに驚いた。 


「お母ちゃんから聞いたんだ」

 律は周囲を気にしながら言った。

「戦争中、近所の引きこもりの兄ちゃんが令状受け取って姿を消したんだ。兵隊がイヤで逃げたんだよ。でも、すぐに見つかって警察に捕まる時に暴れてさ。ピストルで撃ち殺されたって」

 パンッ。

 律は銃を撃つまねをした。

「しかも、徴兵忌避すると、社会的制裁として、家族の社会保険とか年金とかも止められるんだって。なんとか働こうとしても、警察や公安が来るから職場でも立場なくなってさ。病気になっても保険が利かないから、最後は一家で首くくるしかない。その引きこもりの兄ちゃん家も、最後は夫婦そろってガス自殺だったんだよ」

 

「……まぁ」

 口から言葉が出てくるまで、長い時間が必要だった。

「私、死にたくて行くんじゃ無くて、生活費稼ぐために行くんだから」

 そういうのが、美奈代の精一杯だった。


「誰だってそうだよ」

 律は言った。

「死にたくて軍隊入る人なんていないよ……ごめんね。変なこと言って」




 それから一週間後。

 美奈代は駅のホームに立っていた。

 田舎のどこにでもある古ぼけた駅のホーム。

 いつも使っている、単なる駅。

 

 ホームに立ち、美奈代はしみじみと思った。

 ああ。

 そう遠くないうちに、この駅を“故郷の駅”と呼ぶようになるんだろうなぁ。


 線路は単線。

 その向こう側、古ぼけた木の壁の向こうで背を伸ばした桜から飛んできたのは薄紅の花びら。

 一枚の花びらがコンクリート製の床に張り付いているのをぼんやり眺めていたら、急にコーヒーが飲みたくなった。

 改札口のガラスの向こうでは駅員が暇そうにあくびをしている。

 一声かけて改札を抜けようかな。

 ホームの大きな時計には「故障中」と書かれた黄色く変色した紙が貼り付けられている。

 美奈代が高校に入学した頃から誰も直してない。

 腕時計を伸ばした袖から引っ張り出す。

 高校入学以来の相棒が教えてくれた時刻は――10時ジャスト。

 ペンキが剥げかかった柱に貼り付けられた時刻表によると、発車予定は10時3分。

 ああ、惜しいなぁ……。


 線路の向こう側、空き店舗ばかり目立つ商店街。

 その一角にパトカーが止まっていた。

 警官が二人、車内からじっとこっちを見ている。

 

 その理由は知っている。

 彼らは誰かを探しているんじゃない。

 見張っているんだ。


 誰を?


 美奈代を。


 ……そう。


 彼らは、美奈代がちゃんと電車に乗るかを見張っているんだ。


 踏切でカンカンと警報が鳴り出す。

 パトカーから視線を遮断機へ向けると、二両編成の電車が駅に入ってくるところだった。

 美奈代は黙って電車に乗った。

 警官達は、無機質な目でじっと電車が動き出すまで美奈代を見つめていた。



 電車を乗り継ぎ、数時間かけてやってきたのは静岡県の某駅。

 学校は富士山の近くだというから、まぁ、そうなるだろうな。

 そんな事を考えるつつ美奈代は駅へ降り立った。


「やぁ」

 親しげに声をかけてきたのは、あの神崎という男だった。

「来てくれたんだね」


「お久しぶりです」

 美奈代はぺこりと挨拶した。

「今日はよろしくお願いします」


「いやいや。こちらこそ――」

 神崎はいろいろと喋りながら駅の改札を通り、駅前の駐車場に止めていた黒塗りの車へと美奈代を誘った。


 車に揺られること30分。


 到着したのは巨大な工場のような施設だった。

 思い切り見上げなければてっぺんが見えないほど天井が高い。

 美奈代がぽかんとして見ているのに気づいたんだろう。

「ああ。学校はすぐ隣なんだけどさ」

 神崎は車から降りながら言った。

「先に、君を知りたいって人たちがいてね」


「……はぁ」


「こっちへ」

 神崎はそう言うと、巨大な施設へと歩き始めた。

 美奈代は慌ててその後を追った。

 何分歩いたか忘れた先。

 美奈代が通されたのは、真っ白で清潔な、そして広い部屋だった。


真ん中に、得体の知れない、巨大な卵のような機械が鎮座している。


「最初に君にお願いしたいのは、この機械に乗ってほしい。それだけだ」


「乗ればいいんですか?」


「その通り。ああ、その前に」

 神崎は言った。

「そこの女性が更衣室に案内してくれるから、渡された服に着替えてね」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る