ヴァルキリーズストーム~元女子高生、ロボットに乗ったら鬼とか白い悪魔とか呼ばれます。
綿屋伊織
序章 和泉美奈代
悪魔の契約書にサインしました
さて?
この一言に何の問題があるのだろう。
そう。
騎士って何?
問題はそこだ。
この世界において、その言葉の指す所は、甲冑を着て馬に乗って戦う“職業”ではない。
騎士は、殴れば鉄板を貫き、動けば弾丸を避ける驚異的身体能力を持つ“超人”のことだ。
歴史上、騎士の名は栄光と血にまみれている。
騎士。
それは力。
力こそが全ての、生きた戦闘兵器。
これだけなら、和泉美奈代は物凄く格好良い存在に思えてくるが、彼女は刃物なんて包丁ぐらいしか握ったことがない。鉄板なんて殴ったら痛いだけという普通の女の子だ。
そんな美奈代が人生の岐路に立ったのは高校三年の春。
進路相談の席上、「どんな仕事に就きたいか」と訊ねられ、美奈代は真顔でこう答えた。
とにかく楽したい。
難しいことしたくない。
定時に帰りたい。
残業代とボーナスはしっかり欲しい。
「人生と苦労の価値について」と題した担任と進路指導の教諭の説教を一時間喰らった後、
「答えに最も近い」
担任から勧められたのは市役所の職員だった。
少なくとも定年まで勤めたら恩給が付く。
恩給。
それがいくらだか知らないが、金がもらえるならいい。
その帰りに本屋で採用試験の問題集を購入。自らの進路を「公務員」と定めた。
後は、試験に合格して、市役所で働いて、結婚でもして、静かに死ぬ。
それで自分の人生は終わると美奈代は思った。
だが、人生の転機はすぐに起きた。
騎士能力測定検査。
高校生に義務付けられた、騎士の素質を調べる検査を受けたのが全ての発端となった。
検査の存在を知った時の美奈代の感想は、一言で足りる。
どうでもいい。
私に騎士としての能力があるはずがない。
大切なのは、市役所採用試験に合格することだ。
くだらない学校行事と割り切って受けた検査の結果は、簡単かつ意外なモノだった。
再検査。
「面倒くさいからイヤです」
美奈代は職員室で担任に言った。
「私、騎士なんて興味ないです」
「うるさいダマレ」
担任は、うんざりという顔で答えた。
「検査は義務だ。権利より先に義務を果たせ」
再検査は脱走を懸念し、早朝、アパートまで押しかけてきた担任の監視付きで送られた。
指定された検査場所は東京の某大学付属病院。
担任が付いてこなければ、絶対に行かなかっただろう。
新幹線の中で“銘菓ひよ*”と“東京バ*ナ”を生まれて初めて食べたのはいい思い出だが、その時は、まさかその後、再検査で何度も東京へ送られるとは考えもしなかった。
検査の度に立派というか、巨大な建物の中をたらい回しにされ、あっちで検査、あっちでレントゲン、あっちで採血……こんなことを何度もやらされれば誰だってうんざりする。
検査終了後に「おみやげ」と称してもらうクッキーやケーキだけが唯一の慰み。それをつまみながら、市役所採用試験の問題集を読みふけることが数度。
検査は検査。
どうせ、ロクな結果にはならない。
そう割り切っていた。
読みは正しかった。
確かに、ロクな結果にならなかった。
検査日は市役所職員採用試験と同じ日。
それを知った時の美奈代の絶望感は、言葉に表せるものではない。
理由の如何を問わず、検査日の変更は出来ません。
検査は法律で義務づけられています。
検査を受けないと、刑法犯として処罰されます。
変更の申請は、そんな無慈悲な返答で潰された。
刑法犯に問われるより、就職浪人の方がマシ。
担任に説得された美奈代は公務員の道を断念、生まれて初めて自分の血を泣いて恨んだ。
しかも……。
涙で乗り越えた検査結果は、何時まで経っても来なかった。
結果なんて見たくもないっ!
本気でそう思いこむ程、恨み辛みが重なった挙句、ヤケクソになって進路指導室の壁に貼られた求人を眺める頃には、すでに秋も過ぎ去ろうとしていた。
企業の採用活動が一段落したこの季節、めぼしい求人は見あたらない。
一緒に市役所を目指した友達は、市役所に見事合格。免許をとるために教習場に通い出したせいで、ちょっとだけ疎遠になったのがさみしい。
卒業式。
HRでそんな話が出た日、美奈代に校内放送で呼び出しがかかった。
場所は校長室。
私、何かしたか?
戦々恐々として部屋に入った美奈代を待っていたのは、いかにも「お堅い仕事をしてます」という感じの、スーツ姿の男達だった。
神崎。
その中の一人、寸分の狂いもない七三分けの中年男は、イヤに親しげな口調で自らをそう名乗って、やたら高そうな革のケースから名刺を取り出した。
生まれて初めて名刺をもらった美奈代が見たその肩書きは、
近衛軍人事局採用本部部長
そう、書かれていた。
近衛軍?
軍隊が何の用だ?
……ああ。
美奈代は唯一、ピンと来るモノがあった。
「それで」
緊張した顔の校長や教頭が見つめる前で、勧められるままにソファーに座った美奈代は、ハンカチを取り出して、名刺をその上に置いた。
「義父について―――何か?」
「……ああ」
最初、神崎は、何を言われたのかわからない。そんな表情を浮かべ、少しの間視線を宙にさまよわせた後、
「お父上は、2年程前にアフリカ戦線で未帰還。規定により戦死認定されたのでしたね」
「はい」
「残念ですが、今回、私がうかがったのは、お義父上に関してではありません」
「では?」
怪訝そうな顔の美奈代に、神崎は言った。
「突然ですが、我々は、あなたに強い関心をもっています」
冗談。
美奈代は思った。
私は就職浪人して来年こそ市役所職員になるんだ。
あんた達の事なんて、知ったことか。
本気でそう思っていたから。
「それにしても」
美奈代を置き去りにしたまま、神崎はテーブルに書類を並べ始めた。
その声は楽しげだ。
「私も長年こんな仕事してるけど、キミのような“マスターピース”をスカウトするのは初めてだねぇ」
マスターピース。
その言葉を美奈代は知らない。
小首をかしげる美奈代の仕草で、それに気づいたのだろう。
神崎は騎士能力について説明を始めた。
騎士の能力は、基本的に魔法で測定する。
その測定結果は、「騎士ランク」と呼ばれる。
単純なものだ。
騎士の能力を、
メサイア
この3つだけで測定する。
社会的な地位はともかくも、騎士個人としての“素質”、そして“価値”は、この騎士ランク(特に肉体能力)によって決まる。
生まれもっての“素質”は、マンガやアニメのように、地道な訓練ではひっくり返せないほど、決定的な意味を持つ。
最高ランクはFL《フローレス》。
最低ランクはDマイナス。
平均値はC前後。
Bの評価を受ければレベルが“高い”とされ、Aともなれば“稀少品”扱いされる。
神崎の説明によると、美奈代はメサイア
AAAともなれば、それだけでも“超”がいくつもつく貴重品だ。
しかも、それだけではない。
特別称号である“マスターピース”というおまけつきだ。
“マスターピース”。
それは、ランク測定では計りかねる潜在能力を持つを示す特別な称号。
ここまで聞けば、普通なら理解するだろう。
自分がそんな存在なら、騎士を管理する組織が黙っていないと。
ところが……。
だからどうした?
私は騎士に生まれたらしい。
だけど、騎士として生きるつもりなんてないぞ?
美奈代は本気でそう思って、事態を理解しようとしなかった。というか、出来ずにいた。
神崎は、そんな美奈代にお構いなしに話を進める。
「就職をお考えだとか。どこか内定を?」
決まっているなら進路指導室に毎日通うはずもないし、どうせ校長あたりから説明されているだろうに。
見透かされたような質問は面白くない。
「ちなみに、我々が提示出来る雇用条件はこうなりますが」
差し出された書面。その一部を神崎は指さした。
“初任給”
どう断ろうか考えつつのぞき込んだその額に、美奈代は目を見張った。
その横に並んでいた数字は、求人票で見慣れたそれとは一線を画していたからだ。
※提示する金額は、あくまで参考にすぎません。
書類の下に埋もれた、そんな“契約上、一番大切な言葉”に全く気づかない美奈代は、しばらく固まったまま動かない。
就職を希望する心がはやし立てる。
一方で絶対やめろと、何かが足掻く。
「こことここにサインを」
額に脂汗を浮かべる美奈代を相手に楽しげに微笑んだ神崎が万年筆を差し出した。
パーカーのやたら高い万年筆を掴むなり、美奈代の手はゆっくりと、必要事項を記入し始めた。
―――詳細は後日云々。
そんな言葉さえ、美奈代はほとんど聞き流した。
毎月、これだけもらって、これに遺族年金も入れば……。
そんな金勘定ばかりが頭を駆けめぐる。
これで義父さんにも面子が立つだろうなぁ。ちょっとした親孝行かなぁ。なんて、センチなことが脳裏に浮かんだのも確かだ。
でも……。
人生でやらなきゃよかったと後悔している事は?
そう遠くない未来、そんな質問を受けたら、美奈代は絶対にいの一番でここでサインした事と答える。
初任給と提示されたその額は、各種手当てに残業だけで月100時間を超過したことを前提に算定されていたことなんて、知らなかったのだ。
だまされた。
そう気づいたのは、就職を理由に遺族年金の支払を停止する趣旨の通知を受け取った後のこと。
安易な決断を呪うにしても遅すぎた。
アパートの退去日まで一ヶ月ない。
通帳残高は、次の部屋を見付けるには少なすぎた。
もう、前に進むしかなかった。
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