15.中川紗南

「何をどうしたらこんな事になるんだ」


二年一組の担任、中川なかがわ紗南さなは保健室の椅子に座る詩音達を目の前に項垂れている。

自分の教え子である生徒達が授業に参加していないと聞いて、しかも保健室にいると報告を受けた時には焦った。急いで保健室に向かえば、バツが悪そうな顔をしている二人がいたのだ。


「階段から落ちたんです…」


破れているのか、ワイシャツのボタンを閉めずに上半身を晒した状態の詩音が言う。


「私が転びそうになったのを一ノ瀬くんが庇ってくれて……」


その隣で気まずそうにしている乃慧琉の裾には、変色して少し茶色になった血がついている。あれは本人ではなく詩音の鼻血らしい。


「まぁ、何も怪我がないなら良かった」


一連の流れを聞いて、大した話では無かったと判断した紗南は溜息混じりに言った。


「すみません。何も言わずに抜けてしまって」


詩音が俯きながら呟く。素直に謝られると怒るに怒れない。

どちらかというと大人しく真面目な生徒の一ノ瀬詩音と、殆どの授業は眠っているor眠そうな高岡乃慧琉の組み合わせは珍しい。

仲が良いのはいいけれど、授業をサボったりクラスが不安定になってしまうのは担任として困る。


「高岡はなんで階段から落ちたんだ?」


紗南にそう聞かれた乃慧琉は、困ったように詩音の方に視線をやった。唇を軽く噛んだ詩音が乃慧琉の代わりに話し出す。


「眠たくて頭がボーッとしてたらしいです」


「なら今度から保健室で寝かしてもらいなさい」


優しそうな顔をしている養護教諭の先生と目配せをした紗南だったが、乃慧琉は詩音だけに分かる程度で不安そうな顔をしてみせる。


「高岡さんはいつも眠そうだけど授業をちゃんと聞いてる時も、多分…あります」


「そうかもしれないけど、また眠気が来たら今度こそ階段から落ちて怪我をするかもしれない」


「でもそれはどこに居ても同じだと思うんです」


「………うぅん」


一ノ瀬詩音はここまで自分の意見を言えるタイプだったのだろうか。紗南は、彼等には何かあるのかもしれないとつい二人を勘繰ろうとしたが、教師が無駄な邪推じゃすいをするのはやめようと思考を改める。

そのやりとりを見て、乃慧琉が手をモジモジとさせながら口を開いた。


「あの…中川先生、実は私、一ノ瀬くんと一緒に寝………」


何かを口走る乃慧琉。途端に半裸の詩音が慌てて乃慧琉の口を塞ぎに向かう。いつもは大人しい静かな生徒の見たことの無い素早さに、紗南と養護教諭の先生が不思議そうに詩音を見た。乃慧琉の前に立ち誇った詩音は、大袈裟なまでに大きく首を横に振る。


「一緒に、一緒に不眠を治す方法を探してるんです…それだけです!」


「わぁ、一ノ瀬さんは優しいのね〜」


それを聞いた養護教諭の先生はほんわかとした雰囲気で納得しているが、紗南はなんともスッキリしない気持ちで彼等を見ていた。


「途中からですけど、六時間目は出ます」


背中に変な汗をかきながらも詩音は声を張って言う。今一度溜息をついた紗南は腕時計を見たあと「一ノ瀬はいいが、高岡はベッドで寝てなさい」と、それだけ言って保健室を出て行った。残された詩音と乃慧琉は、まだ微かに切羽詰まった表情をしている。


「紗南ちゃ……中川先生が言うなら仕方ないね〜。好きなベッド使ってどうぞ〜」


そう言ったのは終始ゆるゆるの養護教諭の先生。彼女は詩音達が保健室に来た時も大して焦ってなかった。制服が破れた詩音と、制服に血を付けた乃慧琉を見ても冷静沈着。それが当たり前なのかもしれないし、ついでに担任の中川先生と友達なのかもしれない。

詩音はそんなことを思いながらも乃慧琉に目をやる。


「…今回は寝たほうがいいと思うよ」


この言葉にはいろんな意味が含まれていた。

乃慧琉は少しばかり不満そうにしたあと「そうします…」と頷く。そして顔を上げた。


「放課後、迎えに来てくれないかな」


「…わかった」


一瞬なにかしらの不安は過ったが、詩音は理由を探ることをやめ、とりあえず顔を縦に振って保健室を後にする。

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