第2話

 俺を揺さぶったのは、げらげら嗤う耳障りな声。

いつの間にか森の上を飛んでいた。

(喰われるのか?こんな所で? ……嫌だ!!まだ死にたくない!!)

必死に暴れるが、襟を掴む力は強く振りほどけない。

その時、襟首を掴んでいた力が急に失くなった。

何が起きたかわからず、鬼の絶叫を聞きながら落ちていく。

と、枝が俺めがけて伸びてきた。折れるはずのそれが、網のように柔らかく撓り気づいた時には、地に足をつけていた。

力が抜けへたり込む。がくがく膝が震えている。

辺りは太い木が無数に生え、落ち葉が積もっていた。

木々に遮られ、僅かに見える星明かり。薄暗い中、時折何かの鳴き声がする。

誰の姿もなく人里に繋がる道もわからない。目頭が熱くなってきた。

「おい泣くな」

「っ!?」

突然の声に体が跳ねた。見ると少し離れた所に、淡緑色の狩衣を纏った男が立っている。 

暗い中でよく目立つ雪より白い髪。恐ろしい程整っている顔立ち。

柘榴色の目が俺をじっと見ていた。

と、その顔が綻んだ。

「怪我はないか?大丈夫か?」

そう言って近づいてくる男。正体は龍だ。

(どうしよう逃げられない。俺、喰われる?)

目を瞑った時、体が宙に浮いた。

不思議に思い再び目を開くと、男の顔がすぐ近くあった。どうやら抱き上げられたらしい。

「怖かったな。もう大丈夫だぞ」

優しく響く声に悪意はない。

「た、助けて下さりありがとうございます」

「よい、よい。人の子を守るは役目だからな。さて人の子よ。俺が良いと言うまで目を瞑ってられるか?」

頷き言われた通りにした途端、風の轟々唸る声が俺を包んだ。

「いいぞ」

声を掛けられるまでは、一瞬だったように思う。

瞼を押し上げるとそこは、山の中だった。真正面には、茅葺き屋根の一軒家。

川が流れ、水車が回っている。

中に入ると、一人の男が囲炉裏端にいた。

首元で括られたぬばたま色の髪。火を写し、煌めく髪と同色の瞳。

すっと通った鼻筋に、椿色の薄い唇。

日に焼けた少し茶色い肌をし、紺の単衣をまとった長身痩躯なその人。

龍を見て俺に気づくと、口をぽかんとさせた。

「翠その子は」

「拾った」

「拾ったってお前……」

「お前なら守れるだろ」

「ちょ、ちょっと待て翠!俺は」

いきなり放るように渡された俺を、抱き止め彼は口を開いた。

それより一瞬早く翠が、声を発した。

「俺が育てても良いんだが、そうしたらさらに変わってしまうだろ」

男は何か呟いた。途端、狼に似た獣が目前にいた。

黒い体表に、白い斑点が星のように散っている。

開いた口から覗く鋭い牙と、血色の舌。

思わず男にかじりついた。

「怖がらなくていい。こいつは俺の式神で君を傷つけない」

男は凪という名で陰陽師だと言う。

曰く俺には強い見鬼の才があり、悪しきもの共にとっては極上の餌となってしまう。

「陰陽師になれば、襲われる事は少なくなるぞ」

「翠、本気で言ってるのか?そんなに良いものではない。この子には」

「知ってるさ。嫌なものを見ようが喰われるよりは良いだろ?なぁお前はどうしたい?」

「俺、俺は……なります。陰陽師に。教えて下さい」

「……そうか。わかったまずは風呂だな」


連れて行かれた先は小さな部屋。木で出来た床と繋がっている大きな四角い桶。

その中には、白い煙が立ち昇っている水があった。

二人は傍にいない。俺に服を脱ぐよう言ってどこかに行ってしまった。

そっと指を入れてみると、じんとする。

「服脱げたか?」

慌てて振り返ると、大きな布を持って戻ってきた凪がぎょっと目を見張っていた。

(勝手な事をしたから殴られる)

近づいてくる凪と共に頭に浮かんだ予感。

咄嗟に、顔を庇うように両手を上げた。

いくら経っても衝撃が来ない。恐る恐る見ると、凪は哀しげな目をしていた。

と、いきなり抱きしめてきた。

「痛かったな。辛かったな。よく、よく生きててくれた。頑張ったな」

優しい声に何かが解け、それは雫となって滴り落ちる。

凪にしがみつき声を上げ続けた。


やっと涙が止まった時、喉はしゃくりをあげ目は痛かった。

そんな状態の俺に水を飲ませ、湯で洗い傷に薬をつけてくれた。

部屋の中は、囲炉裏の熱で暖かく二人の話す声が遠く聞こえた。

眠気がすうっとやってくる。







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