十四 昔語(むかしがたり)───かつていたひと
燦々と降り注ぐ陽射しに明るい店内には、
「むむ。この抹茶のフィナンシェ美味いな。抹茶って苦いイメージしかなかったけど、バターの豊かな風味とコクが絶妙にマッチしてる……あとしっとり生地最高」
「それ、お店の人気商品らしいよ。頂きものなんだけど良かった」
小上がりでもぐもぐと味わう統理に、
答えたのは春依だが、今日は偶々しとせ屋三兄妹の姿が揃っていた。
「此処、よく美味しいお菓子が出てくるけど、貰うのって多いの?」
「代価で頂くこともあるんだけど、最近は退魔師の子からの……差し入れ? みたいな」
「あー、退魔師って、前に……。常連さん、だっけ?」
「最近そうなった、て感じだね。とある件で関わってから、度々寄って来てくれるようになって……。その際に頂くことが多くて。元々仕事終わりに使い魔のコとお菓子食べるのが好きなんだって」
「へぇ~……」
退魔師って、一体どういう人が
暁生がはっきり溜息を落として、
「うちは本当に神様が来ても何が来ても変わらんな……」
すかさず春依。
「神様が来ても何が来ても変わらないのは暁生の態度だろ」
「「 確かに 」」
統理と透雨の声が重なった。統理まで応えたからか、「ああ?」と暁生が睨んでくるのを、春依が「柄が悪い」と続ける。
その間に統理はフィナンシェ。食べ終わったところに透雨の淹れた冷たい麦茶のグラスを傾ける。夏と氷の浮かべた麦茶ってどうしてこんなにも特別感あるんだろう。
「
そこの部分を掻きながら、彼は苦笑を返した。
と──その時だった。
何かがぴょーーんと店の中に入ってきた。
いや何かって、……
あの大きさだともう……なんていうか……うわぁ。
若葉色の蛙は慌てた様子で口を開け、
「イキツキ様!」
一瞬、聞き間違いかと思った。
しかし蛙はもう一度言う。
「イキツキ様! ──ひぃ~大変だ大変だ」
そう騒ぎながら跳びついた先は暁生である。
猫ほども大きな蛙が暁生のエプロンにしがみついている……。
「あぁ~イキツキ様大変なんですよぉ! 大変で大変で──」
「だーっうるせえ! お前さっきから何が大変なのか分かんねーよ!」
べりっという感じで引き剥がしながら(よく掴めるな)、暁生が声を上げる。
「俺は先代じゃねぇっつーの!」
──聞き流しかけた。
慌てて麦茶のグラスを置き、
「先代? ──此処、先代がいるの? え、実は代々続く店だったり……」
春依が苦笑しながらかぶりを振った。
「いやいや、俺達と、その前の先代だけだよ。先代っていうのはつまり──父さんのこと」
「……ああ」
その横で、
「──あ、こりゃ失礼。暁生様でしたな。いやぁ目つきの悪さっぷりがどうにもそう見えて……」
「……色々と突っ込みたいことはあるがとりあえず何が大変なのか具体的に話せ」
「あぁそうです、邪気が! 邪気がわたしの身体に憑いてるんですよぉ! 喰われる!」
「喰われねぇから一旦落ち着け」
暁生が
「もう何年も前に亡くなったけれどね」
「……そっか」
もしや踏み込んだことを訊いてしまっただろうかと思ったが、春依は穏やかに目を細める。
「元々父さんが始めた店なんだよ。俺達が勝手に引き継いだんだ。うん、勝手に」
そして、そうだなぁ、と暁生の方を見つめる。その先では。
「いやしかし、暑いですなぁ。干からびちまいそうです」
「お前ふつうの蛙じゃねーだろ」
「蛙は蛙です。あっ、取れましたか!? ではこれで」
「っておい……!」
身を翻す蛙を急いで捕らえようとする暁生だが、跳ねる動きにそれは難しかったようだ。空振り、蛙はたちまちいなくなってしまう。……でも、蛙から得られる代価っていったい?
春依が暁生を指差した。
「暁生みたいな感じかな。……まあ父さんは金髪じゃないし、ピアスもしてないけど」
「……ほっとけ」
仕方なさそうに諦めの溜息を
「どんな客に対しても無愛想な態度のところは父さん似だね」
「お前の代価取りの雑さは親父譲りだな」
暁生が言い返す。
「……どっちも似てる」
とは透雨の呟きだ。
それを聞いた二人は──互いの顔を見遣り、互いに怪訝そうな顔つきで、揃って首をひねる。
つまるところ、暁生みたいな口調や性格の先代なのだろうか……。
首をひねりっぱなしの暁生をよそに、春依は優しい笑顔で続ける。
「父さんは人嫌いでね。決して社交的ではないし、かといってあやかしに対しても同じ態度だし、家でも店でも変わらない感じかな。喧嘩じゃないけど暁生よく言い合ってたよな? 笑った顔は憶えてない……というか見たことないかも。うーん写真も嫌いだったからわかる物ひとつもないんだよなぁ」
「それは……気難しそうな人だな……」
悪く言いたい訳ではないのだが、なんと言っていいか分からず、そんな言葉になる。
初めて聞く話だった。
俺が聞いていいのかなという思いも最初はあったけれど、春依は話せることが嬉しいという表情だった。
「そうでもないよ?」と。どこか楽しげな笑みで、「俺達のことは勿論ちゃんとみてくれたし、父さんの御飯美味しかったなぁ。おやつも作ってくれて……」
「お母さんが台所に立つと爆発するからね……」
透雨が、深刻げな声色で頷いた。
あ。「お母さん」のことを聞いたのも初めてだな。
「
フォローするかのように手を振る。
「でも、父さんは凄いんだよ。俺達が持ってる能力は、元々ぜんぶ父さんが持ってたものでね」
「あっ、そうなんだ」
「うん。見事に三等分されたけど。母さんはふつうの人間のひと。父さんは俺達とは違って能力を使う上でのトラブルも失敗も全然なくて、いろんなあやかし達から頼りにされてた。
ああ……と、先程の蛙もどきを思い出す。暁生との見間違いはあったのかもしれないけれど、確かに〝先代〟を思って来たのだろう。
「それに、悪いものが無闇に入って来れないよう、店の戸に結界の役割を施したのも父さんだし──帳ノ宮を普段隠してるのも父さんの結界」
「えっ!? そうなの!?」
麦茶を噴き出しかけた。
よく分からんが──それって氏神さまに相当する凄さなのでは!?
帳ノ宮の「隠してる」を実感──体験とも言う──したことのある統理はぎょっとするが、春依はけろりとしている。
「あ、流石に人嫌いが理由で結界張った訳じゃないよ。そのお陰で、あやかしも人も悪いものから守られるようになったんだ」
「……それは、氏神さまに頼まれて、とか?」
しかし、春依は大きく首を傾けた。
「いやぁ……それは聞いたことないかな……」
そして暁生を振り向くも、彼も眉を寄せて首を振る。……ど、独断で?
「まぁ、そうやって能力を完璧に扱ってたのは父さんだけだったからさ。……透雨のことは特に心配してたんだよね」
最後の方は囁きのように小さかった。そっと、テーブルの上の整理に戻っている彼女を見遣る。
つられてそちらを見た統理は、思い出す。
初めてしとせ屋を訪れた時のこと。
ほとんど無意識に口を開いたその時──
「こんにちはー、しとせ屋さん」
新たなお客様が現れた。見ると、鮮やかな緋色の着物を着た十代と思しき少女……だが、姿がやや透けている辺り、人間ではないのだろう。
「いらっしゃいませ。……ごめん、話は……他にも聞きたいならまた今度話そうか?」
「あ、いいよ」そろそろ暁生にも怒られかねない。「話してくれて有難う」
会話相手の春依は行ってしまい、透雨はいつの間にか暁生の背後(に、隠れている)なので、ここはお茶とお菓子にひたることにした。
食べ切ったら怒られるよなぁと思いつつ、もう一個ぐらい、と手を伸ばす。個包装を開封しながら、店内を眺めた。
統理が初めて此処に来てから、常に三人の姿しか見ていない。
次の日。
十時頃のしとせ屋を統理が訪れると、なんと店の中は賑わっていた(という言い方はちょっと悪いのだが)。
混んでいるのとは少し違って、三兄妹みんながお客さんの応対にあたっている。
親子連れの妖狐のお客には春依が、足下の透けた男の人(統理には幽霊にしか見えない)を暁生が、そしてさしもの透雨も、猫……二又の化け猫?と、何やら話し込んでいる。
皆手が空いていない状態だ。珍しい……としみじみ眺めていたら(という言い方はちょっと悪いのだが)、
『おや? 奇妙なくらい繁盛してるじゃねえか』
更にストレートな物言いで、氏神さままでが来店しなすった。
音も無く……。統理の後ろから入って来たことに驚いて固まっていると、
「あ? 奇妙とか余計だ!」
「わあ、〝
春依がやって来た……のは、統理の前。
肩に手を置かれた。
「──ごめん、ちょっと今忙しいから〝桜風〟さんの相手しててくれない?」
ええーっ!?
『──おっ、こりゃ美味いな』
「もっちもち……」
ところかわって、統理と氏神さまの姿は店前のベンチにあった。
そして春依が頼むついでに渡したみたらし団子を頬張っているところである。
ほど良い弾力のお団子と、甘く香ばしいたれを堪能しながら。
……なんだろう、この状況……。
ふと我に返る心地の統理だった。……氏神さまと並んで和菓子を食べている……。
人生の中で、神さまとお茶の席を共にするなんてことを誰が想像できるだろうか。考える筈もない。
……でもみたらし団子と、これまた渡された抹茶入り煎茶を口にしていたら、なんかちょっとどうでもよくなってきた。
同じようにお茶を飲む氏神さまは、前に会った時と変わらない姿だった。
思い出すのは、先程の店内。
子どもの妖狐が、「あー! 〝さくらの神さま〟ー!」と顔を輝かせると、父親は「え?」と驚いていた。
父親の方はまったくといっていいほど見えていなかったのだ。
──強い陽射しと、湿気を孕んだ風。時折さわさわと葉擦れが響く。
此処、蝉の音がしないな。
「──あ。そういや……訊いていいのか、分かんないんすけど……」
暑さにボーッとしそうな気の
「昨日、此処の先代のこと聞いて……」
今日も今日とて特別な用事のない統理。浮かんだ話題がそれしかなかったのだ。
……
が、それを聞いた氏神さまの顔に、ぱっと笑みが広がった。
『ああ、イキツキのことか?』
その口調は、なんだかとても気安い響きだ。
まるで長い付き合いのある友人のことを話しているような。
「……イキツキ……って、名前ですよね」
『おう。生命の「生」に月日の「月」で
さらりと明け透けに言うので、いいのだろうかとちょっと心配になる。
『おれの姿も視えていたし、ひと目で〝何であるか〟も分かっていた。あれ程の奴はいねえよ。──ん、あぁいやいや、三兄妹もよくやっていると思うぞ』
「
『ああ、そうだな。目つきの悪さ辺りもよく似ているが、主に内面の方がな。普段からほとんど愛想のねえところとか、表情の変わらなさとか。いや、態度にはっきり出すぶん、暁生の方がまだ感情豊かか。
「ほ、ほぅ……」
と頷きかけたが、氏神さまはかるく笑った。
『だから誤解を受けやすい奴なんだよ』
……その口調の優しさに、驚いた。
『まぁ、あえて言うならば、例外が家族だろうな。言葉にはしていなかったが、きっと悔いに違いない』
「……悔い、ですか」
春依や氏神さまの話と、いまいちその言葉が結びつかなかった。
だが、統理の目をしっかりと覗き込んだ氏神さまが言う。
『悔いだろうさ。あいつは家族を生きがいのように想ってたからな。確かに誰にでも好かれるような奴じゃないし、決してとっつき易い人間でもないだろう。当人だって進んで他人と関わる奴じゃなかった。だけどこれだけははっきり言える、あいつは何よりも家族が大切だった』
ほんの僅かに、視線を店内へ送る素振りを見せると、
『それも、唯一最も理解者であろう最愛の人と、子どもを三人ものこしておいていくんだ。心残りがない訳ないだろうよ。……特に
「────えっ」
目を
さっきよりも明確に小さい声を意識して、
「……それは……、あの、病気とか……何かがあって……とか?」
氏神さまは首を傾ける。
『……さぁなあ。詳しいことは聞いていないが、別段おおごとがあった訳ではない様だぞ』
「……」
お茶のグラスを手に取った氏神さまは、もう前に向き直っていた。
『あいつの印象は冷たく見えるだろうけど、そう見えるだけだ。口は悪くても暴言は言わねえし、害を為す者でなければどんな客も受け入れる。おれの〝名前〟をつけたのもあいつだしな。まあ勝手に頼んだんだが。そういう奴なんだよ』
「……」
さあさあと、風が吹き抜けるにまかせ、お茶を飲んだ。
「……でも、それだったら、俺が会えば今頃出禁になってたかもしれないですねぇ」
それこそ暁生のように。
だが。ふとこちらを振り向いた氏神さまは、顎に手を遣りながら首をひねった。
『……いや、案外……?』
「えっ?」
しとせ屋 虚城ハル @Utsushiro_hr
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