第36話
昆虫レースとは、つまり昆虫のレースだった。
ガラス屋根で封じられた長テーブルに虫を走らせ着順を当てる。ただそれだけの事である。
「面白いのかそれ」
改めて説明されても、そんな感想しか出てこなかったが。
「このカジノでは一番人気ですわ」
ラビーニャは得意げに言ってくる。
「なんか子供の遊びって感じっすね」
「吾輩も小さい頃に村の子供達とやった覚えがあるのである」
正直言ってイメージしていたカジノらしくはない。
不満とまでは言わないが、疑うような態度のライズ達に、ラビーニャは嘲笑うように鼻を鳴らす。
「分かってませんわね。子供がやって楽しいような事は、大人がやっても楽しいのですわ」
そう言われればそんな気もするが――と思わず信じてしまいそうになるのがラビーニャの話術の怖い所である。
「それに、これくらいシンプルでないとあなた達では遊べないでしょう? 駆け引きが必要な賭け事をやらせた所で、カモられて終わりですし」
「ま、それもそうか」
というわけで、とりあえずやってみる事にする。
「一応言っておくと、一着を当てる単勝の他に、一着と二着を当てる虫連、一着と二着を順番通りに当てる虫単、一着から三着まで当てる三連複、一着から三着までを順番通りに当てる三連単というのもありますわ。当然ですけど、難しい当て方程配当金の倍率は高くなります」
「なんか似たようなのがあってよくわかんないっすけど」
難しい顔をしてペコが聞く。馬鹿にされそうなので黙っていたが、ライズも今一つ理解出来なかった。
「虫連と三連複は着順を当てる必要がありませんわ。一番と二番の虫に賭けたとしたら、どちらが一着でどちらが二着でも配当金が入ります。虫単と三連単は着順まできっちり当てなければいけませんわ。一番が一着、二番が二着と賭けたのなら、その逆では配当金は入りません」
「つまり、そっちの方が倍率が高いって事か」
「そういう事ですわ。場合によっては、賭けたお金が何万倍にもなって返ってくる事もあります」
「何万倍であるか!?」
キッシュが飛び上がるが。
「流石にそれは嘘だろ」
唆しの気配を感じてライズが釘をさす。
ラビーニャは小馬鹿にするように笑うだけだが。
「それが本当だから面白いのですわ。中にはたった一度の大勝ちで億万長者になった者もいます。それこそ、わたくしの借金なんか百回返してもお釣りがくるような額ですわ」
その言葉に、思わずライズは喉を鳴らした。
それが狙いだったかのように、ラビーニャは悪魔的な笑みを浮かべてくる。
「ね? 面白くなってきたでしょう?」
「……はっ! そんだけ倍率が高いって事は、当てるのも難しいって事だろ? 生憎俺は自分の運を信じてないんでね。手堅くやらせて貰うぜ」
「自分は億万長者目指すっす!」
「むぅ……難しいので、吾輩は気に入った虫さんに賭けるのである」
「と、人によって賭け方が違うのも昆虫レースの面白さですわね。みんなで遊ぶにはうってつけでしょう?」
当てつけではないのだろうが――これ見よがしに言われて、ライズは小さく降参のポーズを取った。
「わかったよ。確かにこいつは面白そうだ」
「まさか、面白いのはここからですわ」
お道化るように肩を揺すると、ラビーニャは幾つかの補足を加えた。
と言っても難しい話ではないが。
各レースの配当倍率はカジノ側によっておおよその目安が付けられている。こちらは予想倍率と言って、倍率が低ければそれだけ当たる確率も高い――と、予想されている。
そういうわけなので、とりあえず予想倍率を参考に賭ければいいという話だ。
ただし、予想倍率は参加者の掛け方によってある程度変動し、実際の確定倍率と同じである事はまずない。
説明が一段落すると、銀のトレーに金細工や水晶細工の虫籠を乗せたバニーガール――とバニーボーイも――がやってきた。
お披露目からレース開始まで暫く時間がある。その間に参加する虫の様子を確認しておくようにとの事らしいが。
「……いや、これ、おかしくねぇか?」
煌びやかな虫籠を指さしてラビーニャに言う。
「確かに、虫ケラを入れておくには勿体ない代物ですわね」
「じゃなくて! 並んでる虫がてんでバラバラじゃねぇか!」
それぞれの虫籠には、クワガタにカブト虫、バッタに蜘蛛にムカデにアリとめちゃくちゃである。中にはサソリやカタツムリまで入っている。
「だから、昆虫レースですわよ?」
なにを馬鹿な事を言っているんだ? というような顔をされては言い返せない。
なんだかなぁと思いつつ、ライズは一番人気のバッタに賭けた。
「そんなつまらない賭け方じゃ愉しめませんわよ?」
(そんな事言ってるから勝てねぇんだろ)
と思うが、流石に意地悪なので口には出さない。
「勝てなきゃ本も子もないだろ」
言い換えても、さして違いはなかったかもしれないが。
「なにも分かってませんわね」
そんなライズを、ラビーニャは呆れたように鼻で笑った。
暫くして、豪華な虫籠がコースの端に並んだ。
客達が息を飲んで賭け札を握りしめる中、道化の恰好をした司会役が、いかにもな言葉で場を盛り上げ、一斉に籠が開く。
怒鳴り声ともつかない声援が轟き、客達が盛り上がる――が、その割にレースは呆気なかった。予想通りにバッタが飛び跳ね、悠々一着を攫って行く。その後に、ムカデに追われて蟻が滑り込み、追いかけるムカデが三着となった。
(……こんなもんか)
別に面白くもない。正直に言って期待外れだ。
たんに、ギャンブル好きの気持ちなど理解出来ないというだけの事かもしれないが。
それとなく、仲間の様子を確認する。
「うぎー! あそこでサソリが邪魔しなかったらワンチャンあったっす!」
「蟻さん惜しかったのである! あんなに小さいのに一生懸命走ったのである!」
予想に反して、ペコとキッシュは白熱しているようだった。
「負けたのにどうしてと思っているのでしょう?」
見透かすと、ラビーニャがほくそ笑んだ。
「……思ってねぇよ」
「そうかしら? その割には、つまらなそうな顔をしてますけど」
「んな事ねぇし! 一着を当てていい気分だっての!」
「あらそう。だったら、無くさない内に換金して来たらいかがかしら」
ラビーニャは皮肉と意地悪を混ぜ合わせたような薄笑いを浮かべて、奥の換金場に視線を向ける。
「は! 言われなくてもそうするぜ! 幾らになるか楽しみだ!」
どうにも良いように操られているような気がして、ライズは息継ぎをするような心地でそちらへと向かった。
上等な愛想笑いを貼り付けたバニーガールに換金を頼むと、配当金が戻って来る。
「これだけか?」
きょとんとして聞き返す。戻ってきた金は賭け金とほとんど同額だ。
「単勝の一番人気ならこんなもんですよー」
そう言われては返す言葉もない。後ろも詰まっており、弾かれるように列を抜ける。それでも納得出来ず、間違いを見直すような心地で張り出された確定倍率を確認する。
「……そういう事か」
それでようやくラビーニャの言葉の意味が理解出来た。
今回のレースでは、一番人気の単勝の確定倍率は一、一倍だった。
これでは勝った所で大した儲けにはならない。勝ちが決まっているようなものだから、勝った所で面白いはずもない。だから、つまらない賭け方と言われたのだろう。
「どうでした?」
ライズが戻ると、性悪らしく分かりきった事を聞いてくる。
「試合に勝って勝負に負けたって所だな。ヘタレな性格を見透かされたみたいでバツが悪い」
たかが賭け事のはずだったのだが――しかも昆虫レースだ――色々と思い知らされた気がする。
「そこまでは言いませんけど。あれで負けていれば、それはそれで面白かったでしょうし」
敗者を嬲る趣味はないという事なのか、珍しく慰めるような事を言ってくる。
「なんだか、負ける為にギャンブルをやってるような口ぶりだな」
皮肉ではなく、純粋に気になって尋ねた。
「まさか。そんな趣味はありませんわ」
ラビーニャは一蹴し、遠い所に置いてきた物を見るような目をして告げた。
「思い通りにはならないから、という事はありますけど」
「似たようなもんにも聞こえるな」
「似ているからといって同じわけではないでしょう?」
「仰る通りで」
珍しく聖女らしく見えたラビーニャに、ライズは道化を真似てお辞儀をした。
「ライズさん! なにしてんすか! 次のレースはじまるっすよ!」
「一人だけ勝ってズルいのである! 次は吾輩も勝ちたいのである!」
別に一度で終わりと決めたわけでもなかったが――二度、三度で終わるようにも見えなかった。
「すっかりしてやられたわけだ」
苦笑いが込み上げる。
「心配しなくても、帰りに財布が軽くなっている事に気づけば、正気に戻りますわ」
「なら今は狂ってんのか?」
「熱狂という意味では」
一々的確な事を言われては、肩をすくめる他ない。
(つまりこいつは、熱く狂えるものを求めてるわけか)
それがギャンブルであり、聖女なのだろう。
魔王を倒す理由はペコと似たようなものだと思っていたが。
ラビーニャの言葉を借りるなら、似ているだけで同じではないらしい。
こちらの気も知らず、無意味な勝ちを羨むチビ共にせっつかれ、ライズは賭場に戻った。
(さて次は、どいつに賭けるかね)
と、一応悩んだふりはしてみたが、答えは既に決まっていた。
「うは! ライズさん、大きく出たっすね!?」
「もし当たったら、借金が返せるのである!」
その程度には、無茶な賭けという事だ。
「流石にそれは無謀じゃないかしら?」
言葉とは裏腹に、ラビーニャの口元は笑っていた。いかにも意地の悪そうな、悪魔の笑みではあったが。
(つまり俺も、唆されたわけだ)
自覚しつつも、悪い気はしない。
「面白くなけりゃ、賭ける意味もないからな」
悪魔に言わされたような気もしないではないが。
ライズは大穴に賭けてみる事にした。
勿論外して、帰る頃には後悔したが。
(まぁ、思ったよりも楽しかったな)
財布は軽いが、全くの手ぶらというわけでもないのだった。
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