殺人のすゝめ

桜木樹

第1話 Xデー 1

 天は人の上に人を作らず。人の下に人を作らず。人間は生まれたときは皆平等だ。だがその後の学びによって他者との間に差が生じる。上に行く者はどこまでも高みへ、引く手数多の存在となり重宝され、おおよそ生活に困ることはなくなる。

 一方落ちて行く者は奈落の底へ真っ逆さま。切り立った峰から滑落するように一度足を踏み外せばもう自力で這い上がることは不可能。社会から爪弾きにされる存在となる。

 元教師の肩書を持つ子門利人しもんとしひとはそのことを嫌というほど理解していた。教師時代に彼が受け持った教え子たちの中にも、手を貸さずともどんどんと成長していく生徒はいた。その逆、どんなに手を尽くそうとも落ちて行く者もいた。

 それを宿命と言ってしまえばそれまでだが、やはり天賦の才というものは存在する。


 10月31日。時刻はもうすぐ夜の8時を迎えようかという頃。街はハロウィーンという西洋の催事に興じる人間で溢れかえっていた。誰が呼びかけたわけでもない。皆が自発的にそこに集まり、その数は現在進行系で増加している。

 ここF県F市は、お世辞にも都会とはいい難い場所だ。市内で最も人口が集中する場所であっても、いつもはこんなに人が集まることはない。

 祭りに便乗し、ここぞとばかりに普段家を出ない者や他県から遠征してきた者たちが集まっているのだ。ここ数年でいろんな場所に規制が入って騒げる場所は格段に減った。そうして行き場を失った連中が騒げる場所を求めて集まった。有象無象は誘蛾灯に群がる羽虫と同じだ。そんなだからまったく統率がく取れていない。各々が銘々に行動する。「トリック・オア・トリート」を唱えるものは皆無。だがそれは今に始まったことじゃない。この国に輸入される海外の祭りはことごとくガラパゴス化して本来の意味が失われときに損なわれる。クリスマスがなんのための祭事なのか、ちゃんと答えられる人間がほとんどいないように。


 利人はその様子をすぐ側にあるビルの屋上から眺めていた。夜の風が利人のトレンチコートの裾をなびかせる。街の灯に照らされたいろとりどりの人間たちが徐々に密度を増していく様子をただ眺めていた。


「愚かなことだ」


 自分たちがいかに危険な行為を冒しているかなど毛ほども考えない。騒いではしゃぐ仮装した者たちと、その馬鹿騒ぎを間近で見ようと集まった者たちとで道路は埋め尽くされる。行く手を阻まれた車は邪魔だどけとクラクションを鳴らすが、周りはオマエ空気読めてねえなと運転手を晒し上げる。あるものはボンネットに、あるものは屋根の上によじ登り幼稚なクラブダンスを披露する。それを見て周囲の人間たちが下品な声を上げ笑う。誰かの悪ふざけは伝播し、街に並ぶ店の前の看板を勝手に運んでおもちゃにする者が現れる。ゴミ箱をひっくり返しても我感ぜず。植え込みの木の枝をへし折って頭に差し、嬉々とした笑みを浮かべ雀躍する。仮装した者たちの秩序を蹂躙する行進は、まさに妖怪のパレードにふさわしい光景だった。警察も出動しているがこの騒ぎはもう止められないところまで来ていた。


「まったくだ」


 利人は深い溜め息をついた。


 ここに集まった者たちは皆愚か者だ。教師になるために勉強漬けの学生時代を歩んできた利人と比べれば、間違いなく頭の出来は劣るだろう。しかし誰も彼もが楽しそうに笑い合い、フザケ合い、じゃれ合っている。


 ――この差はなんだ?


 利人はこの世に生を受けてからの35年のほとんどを学びに費やしてきた。幸せと呼べる時間もあるにはあったが、勉学に励んでいた時間と比べればほんの僅か程度しかない。


「それも今となってはまやかしだ」


 利人は嘆いた。


 真面目に勉強してきた自分がこんなにも惨めで、バカ騒ぎする愚者たちは幸せそうにしている。それが刹那的な今夜だけの事としても。そこに差を感じずにはいられなかった。『学問のすゝめ』にある言葉が本当なら、自分こそが豊かで幸福な人生を手にしているべきではないかと。


 だから利人は彼の誘いに乗った。どうせ死ぬなら他人を巻き込む。その相手は愚者たちにこそ相応しい。しかし本心は別のところにある。それは丸岡まるおかに復讐すること。そして利人の復讐相手が馬鹿騒ぎする有象無象の中にいるのだ。


 眼下の光景に目を細める利人のコートのポケットから着信を報せるメロディが流れる。利人はスマホを取り出し耳に当てた。


『今どこにいるんです?』


 スマホの向こうで彼――瓜生うりゅうが尋ねる。


「現場だよ。ハロウィンのね」


『巻き込まれますよ?』


「構わない。最初からそのつもりだったんだ」


『……そうですか』


 瓜生は利人の決意を止めようとはしなかった。


「きみこそいいのかい? なんの警戒もせずに動いていたようだが」


『それは問題ないです。ぼくはぼくで、最初から警察に捕まることを前提に動いていましたから』


 瓜生は言い切った。彼は聡明な青年だ。その彼が警察に捕まることを折り込みずみで動いていたということは、そこに彼なりの意図があることは明白だった。でも、


「そうか。きみの目的が叶うといいな」


 それを訊き出すことはせず激励を送った。


『ありがとうございます。――では、電話を切ってから10秒後に』


「ああ。わかった」


 利人は通話を切って目を閉じて黙考する。彼の心の中に良心の呵責がまったくないわけではなかった。ほんのわずか、これでよかったのだろうかと思う気持ちがあった。しかし、10秒という時間は懺悔するには短すぎた。

 ビルの下の大通りで巨大な爆発が起こった。地震のように足元がグラついて思わず手すりをつかむ。あまりの衝撃に、事前にわかっていた利人も目を剥いて驚く。爆心地はハロウィンに酔う有象無象の中心。熱風はビルの屋上にいた利人のもとまで届いた。


「こりゃすごい……」


 爆弾を使うとは聞いていたがここまでのものとは想定していなかった。爆発に気づいた者たちが我先に逃げようとするが、人がひしめき合う中では身動きが取れず思うように逃げられない。逆に状況を把握できていない者は新しいイベントが始まったのかと爆発があった方へと歩みを進めようとする。

 事情を知る者の「爆発があったんだ!」「事件だ!」「下がれ!」という必死の訴えも、その他の喧騒にかき消されて届かない。結果、互いの進行方向がぶつかり波と波が衝突するように大きなうねりができる。そこに追い打ちをかけるようにして別の場所で爆発が起こる。2発、3発と連鎖的に爆発が起こり、ようやく全体が状況を把握し始める。


 眼下の地獄絵図を見て利人は唖然とするばかり。爆発の音が止むと聞こえてくるのは阿鼻叫喚の声。爆発の影響でそこかしこで火の手が上がり黒煙が夜空の星々を覆う。

 また別の場所で爆発が起こる。利人は唖然としながらも溜飲が下がる思いだった。


 ――そうだ。何を臆することがある。これこそがこいつらの本来あるべき境遇のはずだ。


「いるか、丸岡! これが俺の復讐だよ!」


 利人は完全に吹っ切れた。そして笑った。何が楽しいわけでもなかったが自然と笑いが溢れてきた。また爆発が起こる。利人の立つビルのすぐ真下からだった。足元がぐらつきバランスを崩して倒れた。地面が傾いている。ビルが倒壊しているのだと気づいたときにはもう体勢を立て直すことができなくなっていた。利人はなす術なく倒壊するビルの屋上を擦り落ちる。そして次の爆発が起こる。


 あの世へ行ったら笑舞えまと会うことができるのだろうか。そう思えば死ぬのは怖くない。もしあちらの世界で笑舞に会えたならもう一度話がしたい。笑舞の真意を確かめたい。滑り落ちながら利人はそんな事を考える。そして、投げ出された体は新たに起こった爆発の衝撃と同時に上がった炎に巻かれた。

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