第一幕/出立 [家出]第1話‐2

 グレイヴが執務室を出ていった後、ラファエルは指令の事を考えながらも執務をこなしていた。・・・とはいっても殆どが簡単な事務業務であって、ラファエルは眠たそうにPCの画面を眺めつつ、本日6杯目のコーヒーを口に運んでいた。

宇宙〝軍〟といっても、宇宙空間での戦闘を想定した演習や訓練を行うわけではなく、開発された新型の宙間航空機のトライアルテストが主〝だった〟。設立当初は待遇もそれなりに良く、新型機のテストも行っていたのだが、宇宙運用のコストを考えるにあたり、たかだか一国家の軍事費ではテストの実施数も限られてきてしまった。それに対し国際機関である[UNSDB]は各国からの援助もあって資金、さらには専門家も集まってくることから人脈面でも潤沢しており、今ではテストの殆どが[UNSDB]主導で行われている。さらに追い打ちをかける様に技州国国家元首が逝去した影響で、技州国単体では宙間航空機の開発が滞ってしまっている。そういった事情で、現在では業務の殆どが宇宙関連の書類やデータ処理等の事務作業になってしまった。故に、宇宙軍に配属されたらほぼ左遷と言われる程落ちぶれてしまい、ラファエルが陸軍や空軍に用事で顔を出した際でも、そういった言葉が密語で聞こえてきたり、周囲から蔑みや憐みが籠った眼差しを向けられたりしている。そんな状況でも、ラファエルは「平和なんだから、どこも同じようなもんだと思うんだが」と笑いながら軽口を叩く。

今日の分の仕事が終了し、ラファエルは大欠伸をしながら腕時計を見る。午後六時四十五分。

約束の時間まで後二時間と十五分。終業時間には少し早いが、大した仕事も無いし早めに帰宅している人もいるだろう。ラファエルはコーヒーを飲み干し、「よっ」と椅子から立ち上がる。上着掛けに掛かっていた鞄と上着を手に取り執務室から出て廊下に出た。誰も居ない、閑散とした廊下。周囲は静かで不気味ともいえる程の寒々しさを覚える。周囲は静かだ。恐らく殆どの人がラファエルより先に帰ったのだろう。

宇宙軍の基地には併設している兵舎はなく、強いて言うなら専用のアパートがある程度だ。そのアパートもセキュリティが緩く、偶に軍属以外の友人を連れ込み、朝までどんちゃん騒ぎを起こしていたという噂をラファエルは‐呆れつつ‐耳にしたことがある。

ラファエルは無言で、人気のない、静まり返った廊下を進みエレベーターへ辿り着く。下へ向かうボタンを押し、手に持っていた鞄を置いて腕に掛けていた上着を羽織る。丁度両腕に袖を通したところで「ポンッ」とエレベーターの到着音が鳴り、ドアが開いた。当然の如く誰も乗っていない。ラファエルは置いていた鞄を持ち、エレベーターへと乗り込んで1階へのボタンを押した。閉まるドア。体に掛かる軽い重力を感じつつ、やってきた情報局のグレイヴと、彼から言い渡された指令の事について考えを巡らせた。情報局の人間が持ってきた、緊急性且つ秘匿性の高い指令。しかも、場所と時間のみ指定して目的については一切話さない。せいぜい知っている事と言えば、ラファエルも含め相当な人数が集められているらしい。情報局自体には、悪い噂等は特に聞いた事がないが、グレイヴのあの笑顔や元来のイメージで、きな臭さを感じる。そもそも大人数を集めているのにも関わらず、秘匿性が高いとはどういうことだ?誰かがその指令の事をポロリと外部に漏らしてしまう危険性が高いのでは?「ポンッ」とエレベーターの到着音が鳴り響き、ドアが開く。ボタン上部の液晶ディスプレイには「1F」と表示されている。

‐厄介な事に巻き込まれなければいいんだが・・・‐

ラファエルは深く息を吐きながら、エレベーターを降り、基地のロビーの方向へ進む。セキュリティゲートで自身のIDカードを翳し、アームが降りるのを確認してからロビーへ入ると、受付の下士官が一人、携帯端末を弄っていた。下士官はラファエルに気づくと急いで携帯端末をしまい、敬礼する。

「お疲れ様です。少佐!・・・って少佐?どうしたんですか?なんか難しそうな顔して。大丈夫ですか?」

ラファエルはハッとし、しきりに自分の顔を触る。

‐そんなに顔に出ていたのか?‐

ラファエルは軽く自分の頬を叩き、笑顔を作る。

「いや・・・少し考え事を。何、別に気にすることじゃないさ。」

「ハハハ」と笑いつつ、下士官に向かって敬礼をする。

「じゃ、俺は帰るわ。受付業務ご苦労さん。」

士官に後ろ手を振りながら、ラファエルはその場を後にした。

‐気を付けないと。まぁ、考えたって仕方ないことではあるのだがな‐

ロビーから自動ドアを通って外へ出たラファエルは、付近に居る警備兵に敬礼しながら駐車場へ向かった。受付の下士官も、もう間もなく帰るだろう。警備兵は暫く残ってはいるが、九時ぐらいには荷物をまとめて帰宅するはずだ。そこまで守るようなモノも、情報も、この宇宙軍にはない。駐車場に着いたラファエルは、足早に自分の車の所に向かい、ドアを開けて乗り込んだ。鞄を助手席に置き、シートベルトを締めてエンジンを掛ける。腕時計を確認する。午後六時五十七分。施設は自宅のアパートと同じ方向にあるが、時間的に自宅に寄る暇はなさそうだ。ラファエルは車の液晶画面を操作し、お気に入りのラジオ番組にチャンネルを合わせる。心地よいサックスの音色。ジャズが流れ始めた。ラファエルはジャズに合わせて鼻歌を歌いつつ、アクセルをゆっくりと踏み込んだ。

 宇宙軍基地周辺は、車道や道は整理されているものも、低木や雑草だらけで荒れ放題となっている。できたばかりの時は花壇が設置されており車道を彩っていたが、今では何処にあるかが分からない状態にまで雑草が伸びきっている。十数分行った先にコンビニやガソリンスタンドがあるものも、辺鄙な土地だから品揃えが悪かったりし、値段が微妙に高かったりなどで近くの宇宙軍専用アパートの住民もあまり利用していない。宇宙軍基地を出てから約三十分。そんな辺境の土地からラファエルの自宅がある町に到達した。小さな田舎町だが、基地周辺よりは当然の如く活気に溢れており、夜遅くまで営業している店もある。ふと、ファストフード店の看板がラファエルの目に留まった。そういえば業務終了間近で飲んだコーヒー以降、腹に何も入れていない。帰りも何時になるか分からないし、遅くなる可能性があるが・・・。だが、時間がそれなりに差し迫っている事を思い出したラファエルは首を横に振って、ファストフード店の横を通り過ぎ、施設への道を急いだ。

ラファエルは車を走らせ、町を出てか約一時間。草木がそれなりに生い茂っていた風景から次第に、荒野が広がり始めた。今向かっている施設は、昔かなり大規模な施設だったらしく、よく新型戦闘機のテスト飛行や、秘匿性の高い兵器の実験に使われていたらしい。荒野を走り始めて三十分、ラファエルは目的地の施設の駐車場へ到着した。駐車場には多くの車が停まっていた。「こんなんで秘匿性が高いとはよく言ったものだ」と、ラファエルは鼻で笑いながら助手席の鞄を取り、車のドアを開ける。車から出たラファエルは腕時計を見る。午後八時五十分。周囲を見渡すと数百m先に、コンクリートの小さな建物と、二つの人影が見える。取り敢えずその方向へ向かうと、人影は技州軍の軍人で手には小銃が握られているのが分かった。二人の軍人はラファエルが向かってきている事に気づくと、銃口をラファエルの方へ向けて警戒する。

「あー・・・技州国宇宙軍所属のラファエル・ホープキンス少佐だ。情報局の・・・グレイヴ?大尉からここに来るように言われたんだが・・・」

片手を挙げつつ二人の軍人に近づきながら、上着に隠れていた胸の階級章を見せる。二人の軍人は階級章を確認し、「失礼致しました!」慌てふためいた後ラファエルに向かって敬礼をした。

「いやいや、そう畏まらなくても良いって。ところで聞きたいのだが、もしかすると俺が最後なのか?」

ラファエルは笑いながら手をヒラヒラさせつつ、二人の軍人にひっそり聞いた。

「・・・そうですね。恐らく少佐が最後かと。九時になり次第、ここの入口は少佐たちが帰られる時間まで封鎖する予定ですので。他の皆様は〝下〟で定刻までお待ちになっています。・・・っと、時間がありませんね。こちらをどうぞ。」

二人の内、物腰が柔らかそうな軍人が説明した後、ズボンのポケットから携帯端末を取り出した。

「こちらの端末に指紋認証をお願い致します。」

そういえばそうだったな、とラファエルは端末の画面にグレイヴの時と同様に人差し指を置こうとした。

‐グ~・・・‐

不意にラファエルの腹の音が鳴る。一瞬の静寂。ラファエルは二人の軍人の顔を見やる。二人の軍人はキョトンとした表情でラファエルを見つめていた。ラファエルはなんともしがたい気恥ずかしさを覚え、「ハハハハハ・・・」と、無理やり笑顔を作り笑って誤魔化そうとした。

‐やっぱり何か腹の中に入れておけば良かったか?‐

ラファエルの心に後悔が過る。そのまま笑いながらラファエルは端末のタッチしようとする。

「あの、少佐。これをどうぞ。」

もう片方の、少し緊張気味の軍人がポケットから何かを取り出し、ラファエルへ差し出す。

「エ、エナジーバーです。良かったらお食べください。」

ラファエルは少し面食らったが、「ハハハ」声に出して笑いながら、エナジーバーを受け取った。

「ありがとな。助かったよ。」

気遣いに感謝を述べつつ、緊張気味の軍人の肩を叩く。軍人の体が少し飛び跳ねた様に見えたが、ラファエルは気にせず今度こそ端末の画面に人差し指を置いた。軽快な音が鳴り響く。

「ありがとうございます。ラファエル・ホープキンス少佐本人であることを確認できました。少々お待ちください・・・」

軍人が端末を操作すると、カチャっと二人の後ろに鎮座していた建物のドアがひとりでに開いた。

「中に入ったらエレベーターがありますので、それに乗って下の格納庫へ向かってください。エレベーターは格納庫直通になっており、そのまま下階へのボタンを押していただいて大丈夫です。指紋認証式でドアが開く仕組みとなっておりますので、先程と同じくパネルに指を置いていただければ、ドアが開きます。」

「どうぞ」と、二人の軍人は建物への道を譲る様に体を横へずらす。ラファエルは礼をするように片手を挙げて二人の間を通り、建物の中へ入った。建物の中はエレベーターの扉以外に何もない。ガチャンと不意に建物の入口が閉じられた。閉鎖空間に一人。急に不安と緊張が侵食してきたが、

「緊張しても仕方ないか・・・」

ラファエルは一人呟き、エナジーバーの袋を開けて一口齧る。チョコ味だ。悪くないと頷きながら、エレベーターのパネルを人差し指でタッチする。エレベーターの扉は直ぐに開いた。ラファエルはエレベーターに乗り込み、エナジーバーを食べながら下の階へのボタンを押した。

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