第一幕/出立 [旅路]第6話-10
「皆様、お疲れ様でした。無事ワープが成功し、火星に到着致しました。これからワープドライヴの冷却時間の為1時間半ほど時間を戴きたいと思います。それまでの間、シャトルから見える火星の風景をお楽しみください。もしワープの影響で体調が優れないお客様がいらっしゃれば、遠慮なくCAの桐城にお申し付けください。」
[ワープ終了]とイヤホン音声が流れると同時に少しぐったりした様な沢渡の声が機内に響き渡る。マコトは唖然とした表情をしながら窓から顔を離した。ワープ前にズボンにしまっておいた液晶端末を見てみる。画面右上の時刻がカウントダウン前に見た時と全く一緒だった。体感ではそれなりの時間が経っていたはずなのに現実では1分も経っていない。まさに跳ぶかの如く、いや、跳ぶよりも早い。マコトは再び液晶端末をポケットにしまい、目を閉じつつヘッドレストに頭を埋めた。〈自分〉がバラバラになる感覚。光の粒子を駆け抜ける感覚。これからあの感覚を何回も味わなければならないのか。マコトはそう考えると、少しだけ気が滅入った。
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客室にワープが成功した旨を伝えると、沢渡は目頭をぎゅっと抑えた。何十回も経験はしているものも、まだあの感覚は慣れないな。沢渡は大きく息を吐いた後、座席脇の収納ボックスから固定されていたゼリー飲料と錠剤が入っている薬瓶を取り出した。沢渡が飲むわけではなく、隣の副機長がぐったりと項垂れており、自分の薬を取り出す余裕が無さそうだったためであった。沢渡はゼリー飲料と薬瓶を掴んでいる手で副機長の二の腕あたりを軽く叩く。
「大丈夫か?ほら。」
沢渡の手にあるものを見た副機長の目に少し生気が戻り、「ども」と小さく頭を下げた後、ゼリー飲料と薬瓶を受け取った。少しぎこちない動きでゼリー飲料と薬瓶の蓋を開け、錠剤を口に放り込んだ後、一気にゼリー飲料で流し込んだ。
「はぁ・・・沢渡さん、ありがとうございます。やっぱり起動中の感覚は慣れなくて。これ、後どれ位続けるんですかね。火、木、土、天、海・・・ああ、逆もか・・・」
再び項垂れる副機長。沢渡は苦笑いしつつ、副機長の肩をポンポンと叩いた。
「では、私は客室に行ってきます。もし、何かあったら無線で読んでください。」
副機長とは正反対で平気な様子を見せるハルカは、端末でロックを解除してからシートベルトを外し、席を立とうとした。
「ああ、桐城。ちょっと待ってくれ。」
席から立ち上がり、客席へ向かおうとするハルカを沢渡は引き留めた。
「出発前、男性客に絡まれていた時、助けに行けなくてすまなかった。いくら点検で忙しかったとは言え、クルーのピンチに駆けつけられなかったのは、クルーと客の安全を与る機長として失格だな・・・。本当にすまない。」
沢渡はハルカに向かって深々と頭を下げた。副機長も‐少し具合を悪そうにしながらも‐ハルカに頭を下げる。ハルカは微笑みながら静かに首を横に振り、
「お二人が頭を下げる必要なんてありませんよ。点検を怠ればそれこそ大きな事故に繋がりかねませんし。私の方こそ、お忙しい中でトラブルを起こしてしまって申し訳ございません。」
二人に向かって頭を下げた。三人は同時に顔を上げると、お互いの顔を見合い小さく笑い合う。
「桐城を助けてくれた客には礼を言わねばな。」
沢渡は笑いながらそう言った後、収納ボックスからもう一つゼリー飲料を取り出し、片手で蓋を開け、それを口にする。「では、いってきます」とハルカは二人に挨拶し、無重力の中をふわりと飛ぶように自動ドアへと向かった。沢渡はハルカに後ろ手を振りつつ、何か異常は無いかと計器や端末に目を配る。ハルカは自動ドアの横に設置してある赤十字が描かれている大型の救急箱を取りつつ振り返り、二人にお辞儀をした後に客室へと急いだ。
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幾分か調子が戻ってきたマコトはもう一度窓の外を見る。赤い惑星、火星。ローマ神話の軍神マルスの名を冠し、フォボスとダイモス、二つの月を従える星。その地表が赤く見えるのは酸化鉄が影響しているからだという。やはり映像や写真などで見るのとは迫力が違っていた。
「うんうん、どうやら調子が戻ってきたようだね。」
振り返るとノブヒトがいつも通りの微笑みでマコトを見ていた。「顔色も良くなってきた」と言いつつ、身を乗り出して窓の外の火星を見たノブヒトは「ほへー」と感嘆にしては少し間抜けな声を上げた。いつもと同じ調子のノブヒト。ワープドライヴの影響は大丈夫だったのだろうか?と、マコトは不思議そうな表情をしていると、それに気付いた恥ずかしそうにノブヒトは頬を掻いた。
「確かに奇妙な感覚ではあったけど、前日で悪酔いしていたからね。アレに比べればなんともないよ。やっぱりボクにお酒は合わないね・・・」
笑いながら乗り出した体を元に戻すノブヒト。直後、客室内にゆったりと、しかし透き通った女性の声が響き渡った。
「皆様、お待たせ致しました。只今シートベルトのロックを解除致します。しかし、シートベルトは外さず。気分が優れない、具合が悪い方は手を挙げてお待ちください。」
ハルカはふわりと客室の降り立ちながら、救急箱を脇に抱え、端末を操作する。カチッと何かが外れる音がバックルから聞こえた。同時に客が座っている殆どの席から手が挙げられた。マコトの目の前でも、スズネの細長い指が弱弱しく上へと伸びているのが見える。ハルカは、どの席のどの客が手を挙げているかを確認した後、直ぐ近くの老夫婦の席へと慣れた様子で無重力空間の中を飛ぶ様に向かった。手を挙げていた老婦人は顔が真っ青になっており、今にも吐きそうになっていた。ハルカはすぐさま老婦人へと近寄ると、救急箱から沢渡が取り出していたものと同じゼリー飲料と薬瓶を固定具から取り外し、瓶から錠剤を取り出し、ゼリー飲料の蓋を開けてから老婦人へと差し出した。
「薬はこちらになります。ゼリー飲料と一緒にお飲みになってください。」
老婦人はハルカからゼリー飲料と錠剤を受け取り、ゆっくりと錠剤を口へ運びゼリー飲料と一緒に飲み込んだ。薬を飲んで少し安心したのか、老婦人の顔色が先程よりも良くなり、呼吸も安定してきた。老婦人の容体が安定していくのを確認したハルカは、安堵の表情を浮かべた。
「ゼリー飲料はサービスとなります。もし、また具合が悪くなった際には遠慮なくお呼びください。では私はこれで、失礼致します。」
ハルカは老夫婦に向かって一礼した後、次に手を挙げている客の方へと向かった。中年男性と若い女性。母親と子ども。ハルカは手を挙げていた客に対して‐中年男性の時にほんの少し警戒しつつも‐丁寧かつ迅速に薬とゼリー飲料を渡していき、残る手を挙げている客はスズネのみとなった。「偉いね」と、薬を飲んだ子どもの頭を撫でて、母子に一礼した後、飛ぶ様にスズネの席へと向かうハルカ。隣に座っているユウヤの席に綺麗に着地し、シート側面の手すりに掴まりつつスズネの様子を伺う。顔は青白く、呼吸も浅かったものも、年齢的なものなのか老婦人の時より幾分か血色は良かった。しかし、それ以上にハルカの目に留まったのはスズネ以上に顔が青白く、吐きそうなのか片手で口を押えているユウヤの姿だった。
「お客様、大丈夫ですか?只今薬をお渡し致しますので、少々お待ちください。」
救急箱からゼリー飲料を取り出しユウヤに渡そうとするハルカをユウヤは片手で制止した。
「俺の事は大丈夫です。それよりも隣に座っている連れに薬を渡してください。」
「でも、一ノ瀬君の方が具合悪そうだよ!」
スズネは挙げていた手を降ろしながら、少し掠れた声で話すユウヤの容体を案ずる思いで声を上げた。ユウヤは口から手を離し、荒い呼吸でヘッドレストに頭を預けつつも、スズネに「気にするな」と無理やり口角を上げて笑顔を作り、掠れた声で言った。二人のやり取りを見ていたハルカは、少し息を吐いた後にユウヤと同じ目線になるように腰を落とし、ゆっくりと口を開いた。
「お客様。私達スタッフは、お客様の旅の安全を何より大事にしております。それが私達の義務であり、そうであって欲しいという〝思い〟なのです。」
そう語った後、ハルカはユウヤに錠剤とゼリー飲料を差し出して、優しく微笑んだ。
「どうか私達の〝思い〟を無下にしないでください。お願いします。」
ハルカの微笑みを見たユウヤはバツが悪そうに「あー・・・」と小さく呻った後にハルカから錠剤とゼリー飲料を受け取り、錠剤を口の中に入れた後一気にゼリー飲料を喉に流し込んだ。ハルカは再び優しく微笑むと、次にスズネに錠剤とゼリー飲料を手渡した。スズネは「ありがとうございます」と頭を下げた後、錠剤とゼリー飲料を受け取り、錠剤を口に運んでからゼリー飲料を飲み始めた。二人が薬を飲んだ事を確かめると、立ち上がり、周囲を見渡しながら口を開いた。
「他に具合の悪い方はいらっしゃいませんか?もし、後から具合が悪くなった際、遠慮なく私にお声をお掛けください。それ以外でも何かございましたら遠慮なく仰っていただければ、ご対応いたします。シートベルトの方も、お外しなられて大丈夫ですが、無重力なのでシートや各所に設置してある手すりをご利用ください。それでは、皆様。ワープドライヴの冷却が終わるまでの間、シャトルから見える火星の景色をお楽しみください。」
ハルカは周囲に一礼した後、客席後方の扉へと向かった。
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