03_#3
─『怪我はなかった?』
ドスン、と椅子に座らされたような衝撃を覚えた真実也が目を開けると、ノイズは晴れ、場面が変わっていた。土手のような場所に、先ほどの短髪の少年と一人の男が座っていた。男の顔は靄がかかっていてよく見えないが、スラックスに白いシャツの腕をまくり、ジャケットを手に持っている。男の問いかけに、少年は静かに頷いた。
─『さっきの奴らに何か言われた?』
─『……ケッソンは警察官になれないって』
─『おお……思ったよりだいぶ酷いな』
─『非潜伏者は生まれつき、凶暴なんだって。だから人は救えないって』
俯いて涙を流す少年の頭を、男は慰めるように撫でた。
─『そんなの、非潜伏者を僻んだ奴が流したデタラメだよ』
男性は言葉に悩みながらも、何とか少年を元気づけようとしていた。
─『……俺はむしろ、非潜伏者が警察官になったらすごく心強いと思うよ』
─『え?』
意外な言葉に、少年は顔を上げる。丸い頬は赤らみ、涙の雫が首を伝っている。
─『だって、暴人にならないんだろ?俺の働いてるところは、暴人を……』
そう言いかけたところで、男は頭をかいて顔をしかめた。
─『あ~、違うな……まぁ、詳しくはちょっと言えないところなんだけど。警官としては、非潜伏者ってだけで安心なんだよ』
─『お兄さん、警察官なの!?』
─『あれ、言ってなかったっけ』
─『しらない!すごい!』
─『君声大きいなぁ。はは』
興奮して目を輝かせる少年を見た男は、困ったように笑った(表情は見えないのだが、そんな気がした)。その後真剣な表情になると、視線を落として言った。
─『俺は潜伏者だから、いつ暴人化してもおかしくない。誰かを救いたくて警察官をしてるのに、いつ自分が、仲間や大切な誰かを傷つけるか分からない。それはすごく怖いことなんだ。大切な仲間がもし、自分の目の前で暴人化したら……っていう怖さと同時にね』
男は顔を上げて少年に向き直った。それでも顔はよく見えない。
─『でも非潜伏者の君なら、その心配がないんじゃないかって。確かに、身内が暴人化する怖さは変わらずあるだろうけど。自分が暴人化して人を傷つけることはないんだろ?俺を含めたたくさんの人たちは、人を傷つける素質を持って生まれてくる。でも君にはそれが無い。誰かを救い続けることができる。そういうのってなんか……ヒーローみたいでかっこいいって俺は思う』
─『ヒーロー?』
─『はは。ちょっと、大袈裟かもしれないけど。でも君が人を救えないだなんていうのは、とんでもない。君のその素質が必要とされる時代は必ず来る』
男はそう言って、片目を閉じてウインクをした。
─『僕、警察官になれるかな』
ー『もちろん。応援する』
話を聞いていた少年の顔はみるみるうちに喜びで満たされ、興奮で頬を紅潮させた。男は笑顔で頷くと、言いづらそうに人差し指で頬をかいた。
─『……と、こんなこと言っておいてなんだけど、警察官っていってもいろいろあってね。俺のいるところとか……あんまり大変なところはおすすめしないかな』
─『なんていうところ?』
─『うーん……ちょっと言えないなぁ。ごめんね』
少年は首を傾げた。
─『じゃあ、お兄さんの名前教えて』
─『おっ、それは言える。──……──』
男は身を寄せて、少年に耳打ちをした。こそこそと話す声がきこえるが、内容までは聞き取れない。耳打ちをされた少年は眉をしかめてさらに首を傾げた。
─『えっと……どっち?』
─『はは、よく言われる。ケイブホが役職だよ。あとで本で調べてごらん。君の名前は?』
─『僕はね……』
「マミヤ ハジメ」。
少年の口から名前を聞いた瞬間、少年の周りにかかっていた靄が晴れた。黒い短髪、黒目がちで少しつり上がった目。いつも泣き腫らしていた顔。
強い風が吹いて真実也の髪を揺らした。
そうだ、あれは自分だ。これは幼き日の思い出だ。何かの周波数がバチリ、と勢いを持って合ったように、真実也は衝撃を受ける。すると直後に、先ほどの場面で走ったノイズと同じものが、再び真実也の視界を埋めつくしていった。
けたたましいノイズの音と背中から吸い込まれて落下するような衝撃に、真実也は飛び起きた。そこは夢の中ではなく、ベッドの上だった。カーテンの隙間から覗く控えめな青が、日の出前を感じさせる。
肩で息をし、額を伝う汗と鳴り止まない心音を、真実也は半身を起こした状態で押え呼吸を整えた。視線を移すと、机の上には例の異動願が昨晩と姿を変えずに置かれている。
『君は、何のために警察になった?君の正義はなんだ』
耳元で囁かれた蛭間の言葉を思い出す。頭の中で次々と光景が浮かび、言葉がフラッシュバックする。俯き、知らぬ間に握りしめていたベッドシーツを見る。
─『警察官って人を救う仕事だろ。犯罪者のお前が、なれるわけねぇじゃん』
─『君が人を救えないだなんていうのは、とんでもない』
─『だってお前、“欠損”なんだから』
─『誰かを救い続けることができる』
─『私が一思いに、殺してあげればよかった』
「……そうだ」
真実也は静かにベッドから降りると、寝起きでふらつく体に構うことなく、机に向かって歩みを進めた。未だ白紙の紙を手に取る。
「誰かを救い続けるため。残された人たちが、もう泣かないようにするために 」
─ 警察官になったんだ。
彼の中できつく結ばれたものが解けていくような気がした。カーテンの隙間から徐々に光が差し込んでゆき、太陽は薄暗い室内に朝を告げた。
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