第九十四話 蜥蜴の怪異

文輝ぶんき。いずれ知れる──というより寧ろ貴様ももうわかっているだろうが、私の目にも蜥蜴とかげが見える。援護する。貴様は何も思い残すことがないように精々派手に斬ってこい」

小戴しょうたい殿。僕と夕明せきめも力を貸そう。夕明、君は小戴殿を無事山頂まで運ぶんだ」

「──これ以上の利用価値はないのではなかったのか、委哉いさい

「それについて詫びるのは僕の腹が満たされた後でもいいじゃないか」

「全く。最近の『若者』というのは俺には理解出来ん」


 そんな愚痴を零している華軍かぐん自身の方が委哉よりもずっと若者の範疇だろう、と言いたくなったのをぐっと飲み込んで、文輝は凛と鳴る神器じんぎの鞘を握った。

 それと前後して、再び赤虎せっこの姿となった華軍が一拍で文輝の傍らまで駆け寄って、その背に乗れと言う。


「弓兵隊には遠く及ばんだろうが、出来る限りのことをする。健闘を──祈っている」


 言って中空に伸ばされた子公しこうの掌の中に光輝こうきが収束する。水色の輝きが弾けるとそこには空の色をした長弓があった。その弦を何の躊躇いもなく引いて、子公が矢をつがえる。弓も矢もどこから現れたのか、文輝には知る術がなかったがどうやら神器の類であるようだった。空色の弓から放たれた矢尻は真っ直ぐに蜥蜴とかげを目指して飛ぶ。それを追うように華軍の背が躍動した。ぐん、と地面に引っ張られるようにしながらも華軍は疾駆する。

 子公の矢が雨粒の間を縫うようにして次から次へと蜥蜴を襲っていたから、接近するのはそれほど困難ではなかった。だが、近づけば近づくほど蜥蜴は巨大で、こんなものを斬れるのか、と自信を喪失してしまいそうになる。その心を見透かすように華軍が薄く笑った。


「小戴、ここまできておいて斬れん、では話にならんぞ」

「華軍殿はここでお待ちください。脚をひとつ、落としてきます」

「──既に俺の声など聞こえていないようだな。全く、その集中力を戦務せんむにも役立てて欲しかったものだ」


 華軍の悪口を右から左へと聞き流し、文輝は赤虎の背を踏み台に跳躍する。骨を断つのはどんな大刀だいとうでも困難を極める。それでも。どれほどの巨躯でも関節だけは強靭にすることは出来ない。蜥蜴の背の高さまで跳ね上がって、直刀を鞘から引き抜く。華軍と委哉の二人分の目が相乗効果を与えた。どこを斬ればいいのか、が文輝の視界に光点となって示される。そこに、全身を滑らせるように引き斬るとどう、と大きな音を立てて蜥蜴の後ろ脚が胴体と別離する。生物ではないからか、血は一滴も流れなかった。まるで黒い靄のように後ろ脚だったものが気化していく。それを見届けると文輝は身体を横に回転させる。今、この瞬間まで文輝がいた場所を蜥蜴の太い尾が薙倒すのが見えて冷や汗をかく。ただ、その反応が逆説的に文輝の攻撃の有効性を示していた。斬れる。その手応えを感じて文輝は蜥蜴の胴体の横を駆けた。中空に足場でもあるかのように赤虎の姿が浮かんでいる。神威というのは手段さえ間違わなければ便利なものだ、と実感する。

 援護する、と言った通り子公の矢はひっきりなしに蜥蜴に向けて降り注ぐ。不思議なことに文輝の身体を避けているのか、自らが射られる心配をする必要がなかった。脚を落とされた蜥蜴の動きは少し鈍ったが、それでもまだ雨が弱まる気配もない。脚をもう一つ落とせば、或いは。そんなことを考えながら文輝は中空で待つ華軍に向けて跳躍する。その背に飛び乗って、地面を見下ろせば蜥蜴の上半身は身動きの取り様もないほど緊密に矢を射掛けられていた。


「華軍殿! 反対側の脚も断ちます!」

「小戴! 随分と腹が据わったものだな!」

「その御礼は蜥蜴を斬り終えたら嫌と言うほど聞いていただきます!」

「まぁ、お前が先に音を上げると思うが」

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