第九十三話 百年の約束

「話は付いたな。信梨しんり殿。あなたは俺を天仙てんせんにしたいのかもしれないが、それはやっぱり百年待ってはくれないか」

「──え?」


 その顔には疑問符が充満していて、彼女の困惑を伝える。

 それもそうだ。今の今まで人の力で成せることを議論して神の存在を否定しようとしていたのに、どうして彼女に話題が巡ってくるのか。その接合の不自然さに戸惑うなというのは少し無理がある。

 だから。

 文輝ぶんきは二人分の目を借り受けた状態の双眸で白瑛びゃくえいのことを見た。


「魂魄は巡る。今すぐこの命を捨てる覚悟は流石にないが、そうだな。俺が人としてすべきことを果たした後なら、あなたたちの助力をするのも吝かではないんだ」

「本気でおっしゃっているのですか」


 それは生物としての死を意味する。祈りの力によってしか存在を肯定されない概念上の存在になる、ということだ。その未知の領域が何を運んでくるのかは文輝には想像も付かない。

 それでも、確かなこともある。

 天仙という概念上の存在が礎とならなければ、この大陸は決して安寧など得られなかっただろう。

 そしてそれは拡大解釈すれば文輝の願いと荒唐無稽なほど違っていることもない。


「自らを育んだ国の礎になるのが嫌で国官などを志したりはしない」

「あなたの言う『神に使い捨てられる存在』になるということなのですよ?」

「それがどういう現象なのか。知りもしないであなただけを責めるのは筋が違うだろう」

「筋を通す為だけにその命を懸けられる、というのですか?」

「それは少し違う」


 どう言えば伝わるのだろうか。言語に明るくない文輝では白瑛に胸の内を理解してもらうのは不可能なのか。

 そんなことを考えて言い淀む。その意を汲んでくれたのは意外にも委哉いさいだった。


「信梨殿、その方は多分、あなたが白帝はくていを思うのと同じぐらい、この国ことを思っているのだと僕は理解したよ」

「人の国などときの流れにあって水面を揺らぐ笹舟のようなもの。そんなものにあなたは未来の全てを懸けるのですか」

「あなたがそうして俺たちを守ってくれたように、俺もまたそういう存在になることを望むだなんていうのはあなたからすれば滑稽なのかもしれない」


 それでも。白瑛も委哉も、全ての神仙が不在であったなら、この大陸に西白国さいはくこくという国家は存在し得なかっただろう。

 西白国がなければ文輝は存在していたかどうかすら危うい。だから、その報恩をしたい。そういう存在になりたい、と文輝が拙い言葉で伝えると美しい女仙にょせんは泣きそうな顔で笑った。


「本当に──理解出来ない」

「それでいいじゃないか、別に。同じ志を抱いてはいなくても共に在ることは出来るだろう? 分かりたいと思うのなら、いつかそういう日も訪れると俺は信じている」

「──あなたは陛下のことを信じているのですか」

「さあ。わからない。わからないから、知りたいと思うんだ」


 天仙となり、白帝に目通りすれば確信になるのか。そうなれば文輝もまた白帝の為に身命を賭せるのか。それはまだわからない。人間の心というのはなかなか定まることがなく、だのに離れ始めると加速度的な速さで進んでいく。

 西白国は今、神仙への祈りを失おうとしている。それを止めるにはもう、神仙が在り、人間の営みを守っているということを何らかの形で示すしかなかった。その為にも、文輝が怪異を斬ることが早急に求められている。


小戴しょうたい殿。陛下はあなたにはお会いにならないとわたくしは予感しておりますが、それでも良いのですね?」

「だから、百年待ってほしい」


 至蘭しらんの心を動かす為に講じた案が形を変えて再び手札として利用出来るとは思ってもいなかっただけに、文輝は拾いものをしたかのような気持ちになる。至蘭は文輝の提案が変わらないことに苦笑しながら、白瑛に提言した。


「信梨。わたしはそれに反対だけど、首夏しゅかはきっと嘘は吐かないよ。百年なんてわたしたちからすれば明日みたいなものじゃない? 待ってみようよ」

「怪異も二十四白にじゅうしはくも人も皆揃いも揃って理解が追いつきません。こんな無茶苦茶な話など陛下がお聞きになれば卒倒ものですよ。けれど」

「けど?」

「小戴殿。あなたはそれでこの国が救われると心の底から信じておられるのですね?」

「そうだ」

「ではわたくしは見なかった。そういうことにいたします」


 お行きなさい。そうしてこの怪異を鎮められたなら。そのときはもう一度わたくしと話し合いたいものですね。

 言って、白瑛の姿が消える。文輝を贄に捧げるのは諦めたのか。或いはその時期を先延ばしにしただけなのか。結論は示さずに彼女はこの場を離れた。それをそれぞれが確かめて、一同は怪異に意識を向ける。

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