第五十六話 優先順位
「
「貴様、何に勘付いた」
「――お前には多分向かねえよ。『条件』が足りねえ」
生まれ、育ち、風習の違い、身分。常識、技術、体力、忍耐。数えれば数えるほど数多の条件が横たわっているのに気付く。
文輝の立場は微妙な均衡の上にある。
白帝の庇護を受けた国主の九人の臣下。その血脈に生まれながらにして死に戻った無秩序の存在。その文輝にしか成し得ないことがあるのなら。そうすることでこの国の民が救われるのなら。
子公が言ったように自らを犠牲にして安寧を守る解を選ぶことに何の躊躇もない。
それが、
榛色に覚悟を灯して言う。子公は泣きそうな顔をして閉口する。
だから。
「
「
そんなやり取りをしていると「
「『信天翁』殿。貴殿は白喜の感情を優先する、と言った」
「そうよ。わしは間違いなくそう言うた」
白喜がどんな感情を抱いて忘却と失念を強いているのか。文輝は未だその答えを知らない。
感情が数多交錯する「世間」において誰か一人だけの感情を特別扱いすればどうなるのかを知らないわけもない。それでも、文輝は知りたいと思った。白喜が何を思い、何を願い、何を疎んじ、何をしようとしているのか。その感情に寄り添って最大公約数の未来を選び取りたいと思う。そう、思ってしまった。
「俺が今からすることを貴殿は許容してくれるのだろう?」
「嘘も吐けぬくせに人の心を試すでないわ。その榛を信じろと言うのであろ? わしは人を見る目だけは確かじゃ。ぬしの賭けに乗るのは吝かではない、と答えおこう」
「『信天翁』殿。一つだけ、誓おう。俺は白喜がどのような相手でも、必ず誠実に対峙する。それだけしか、約束出来ないことが心残りだが、必ずそうすると誓おう」
「で、あるならばぬしらはもう居ね。わしも明日の準備というものがある。ぬしらも身体を休めよ。自愛出来ぬものに人を尊重することは出来ぬと相場は決まっておろう。そうじゃろ、坊」
「信天翁」の翡翠が子公を射る。そこには幾ばくかの疲労と、落胆と、そしてほんの少し――本当に僅かだけだったが期待が込められていた。
全てが終わったら。窓の格子を直しに来てもらう。それだけを伝えて「信天翁」は文輝たちを室から追い出した。
沢陽口の城郭では雨が降らない。
だから窓の格子がなくても困ることがない。困るのは白喜がその役割に戻り、雨が降るようになってからだ。その暗喩に気付いて、文輝は喉の奥が締まるような苦しさを感じた。
それでも。
百の命を救う為に一の命を犠牲にする。それが国官の役割だとわかっているのに――十分にわかりすぎているのに、犠牲にした一と近しい誰かが悲しむことの痛みと今更になって対峙した自らの愚かさを呪った。
誰もが救われる未来はない。万能の解決策はない。誰もの思うがままに振る舞って保たれる調和もない。
文輝は人に苦しみを強いる存在であることを自ら望んでいた筈なのに、ありもしない理想の絵図を追っている。誰からも愛される存在でありたいと望むのなら武官など早々に退役するべきだ。わかっている。どれだけ正しくても、どれだけ綺麗ごとを並べても、切り捨てられた少数一部の
だから。
「
夜の闇の中に誰に宛てるでもなく呟いた言葉に返答は来ない。
そのことに小さな安堵を覚えながら、文輝は暗い夜道を怪異の区画へ向けて歩き続けた。
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