魔の化身の牲餌


 男の装束を纏い準備をする私の、身体に触れてくれる愛おしい方。

 触れられている部分が融けだし、その掌と同化せんとする、この一瞬一瞬が幸せだ。


「こうしているのが好きのだろう?続きは戻ってからにするよ、それからは永遠に傍に居よう」


 何処へ行くの?

 私の替わりに向こうに姿を映す?

 魔獣は魔の化身とは云え生き物を殺すのよ?

 あなたは私とは違い必要とされる存在。

 どの様な理由であれど殺生は忌まれる穢れとして永く刻まれてしまう。

 それに『勇者』の他の存在は向こうでの一生を遂げなければふたたび此方へは戻ることは許されない筈では?

 それに此処の記憶は役目を果たせば消えてしまう。


 私の事も忘れてしまう……次に此方で逢えるまで……


「なに此処の時間だとあっという間。お前は信じて待っていれば良いから。お前の事を忘れず直ぐに戻るから」


 愛おしい方のくれたその言葉に高揚したまま私は、現実世界との狭間にあたる所に置かれるトラップの中にて、魔の化身が襲いに来るのを待つ。



 あの人の触れた匂いに獣が姿を見せた。 一匹、もう一匹。 何処に潜んで何処からやって来るのか続々と。

 印を施されたこの柵は、例え魔の化身とてそうは容易く破れない。

 焦れて必至に柵に爪を掻ける奴等。

 遠巻きに見るしかないものどもは、呪いの唸りを喉奥から搾りだし、精神にダメージを与えようとしている。


 禍々まがまがしいものを目にして人がそれを脅威に思うのは、それに傷つけられる痛みから逃れる反射が生じるからだろう。 『勇者』として生きてきたからなのか、喰い裂かれることとなろうと怖れなど無い私は感じない。

 だが今は別の畏れを確実に感じ、震えを抑えられないでいた。

 愛おしい方と一時でも離れていることに。


 私は信じて待っている。

 でも早く来て、あなた――



 少年が一人現れ、猫の姿に見える魔獣を曲がった釘が刺さる建材で打ち殺してゆく。

 愛おしい方はこの少年に姿を映したのね。

 私の姿は見えているのだろうか?

 私はここよ、早く戻って来てね。


 こちらを向き、声には出さず笑顔で返してくれる愛おしい方。 が、事を済ますと後ろを振り返り走り去ってしまった。

 別の魔の化身どもを破る為に。

 それは向こうでは狂気の沙汰では無い。


 こちらの記憶の残る僅かな間に、最近仲間が起こした全てを一人で被ろうとしている……私の分も含めて。




 邪々降りの雨の中、少年は移送されていった。


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