【完結】呪われミケには荷が重すぎる

フヒト

巨鳥の翼1

 修学旅行など愚行ぐこうだ。

 いや修学旅行に限らない。遠足も、林間学校も、言ってしまえば愚行ぐこうである。

 非日常で浮揚ふようした気分をいいことに、ここぞとばかりに成立していくカップル達。どこへ行くにも集団、グループ、門限、確認の連続。人間を信用していない教師ども。

 周りには、たいして仲がよくもないクラスメイトが群れている。気持ち良く独りで風景を楽しむなんて無理無理。夜は夜で何のためにやっているのか、誰が楽しいのか、確認を取りもせず暴力的になだれ込む枕投げという悪しき習慣――。

 学校行事は空虚くうきょだ。その中でも、修学旅行は群を抜いている。

 とりわけ、野良猫のように自由と孤高をこよなく愛する俺にとっては。

 ここで言っておこう。

 俺が〈孤高〉という表現を用いることに違和感を覚える方もいるかもしれない。

 〈陰キャ〉とか、〈ぼっち〉とか、その他諸々の人口に膾炙かいしゃした呼称が己にはつけられているだろう、という声が聞こえてきそうである。

 しかし俺、三家大夜みけひろやは、そんな浅薄軽薄短小せんぱくけいはくたんしょうかつ平々凡々なる呼び方など受けいれない。断固として受けいれない。

 かつてこの国には〈高等遊民こうとうゆうみん〉という知識階級が存在した。帝国大学などで高等教育を受けながらも、金銭的余裕から定職につかず、日々思索をめぐらせては談論風発だんろんふうはつにいそしんだ。これを単なる〈無職〉や〈ニート〉と呼ぶのは、大きな間違いである。

 同様に〈孤高〉である俺を、〈陰キャ〉だとか〈ぼっち〉だとか〈コミュ障〉とか〈根暗〉とか〈社会不適合〉とか、発する者の品性が疑われるような言葉で呼ぶのは誤りである。誰が何といおうと、誤りである。

 以降、注意するように。


 俺はボーイングのエコノミークラスシートに座っている。

 まさに、沖縄修学旅行からの帰路で。

 通底音つうていおんで鳴るエンジン音をものともせず、クラスの連中は多くが睡眠中。いびきをかいている豪傑ごうけつまでいる。

 折り詰めの寿司みたいにぎっしり座らされたこんな空間において熟睡できるきもを有しているのは、まことに剛胆ごうたんなことだが、睡眠中でない俺にとっては、ただの騒音でしかない。

 少なくともその音を風雅ふうがに感じられるほどには、残念ながら俺は老成ろうせいしていない。

 たまりかね、視線を右に放って、通路をはさんだ向こうに座った女子たちの姿を視界にもってきた。

 狷介けんかいな空手部女子、寅瀬花連とらせかれんが見える。どうやら眠れず起きているようだ。

 身長百五〇センチくらいと小柄。切りそろえたボブカットの髪。アーモンド型の眼。しなやかなネコ科の動物を連想させる顔立ちだ。

 黙っていればかなり可愛いのに、振る舞いは気に入らない男子に正拳突きを喰らわすほどに凶暴極まりない。

 ふいに花連かれんと眼が合った。すぐに奴が俺を凝視ぎょうしする。俺は孤高であるからして、女子どもに疎まれるのは慣れているが、こいつの眼光には慣れていない。意ならずも背筋を伸ばしてしまった俺に、花連は声を出さずに口の形でこう言った。


「ぶ・ん・ご・う。み・る・な」


 そしてぷいと前を向いた。

 文豪というのは、俺の綽名あだなだ。いつも本ばかり読んでいるからついたらしい。何と安直な。想像力の死だ。本物の文豪に申し訳ない。

 奴を飛ばしてもう一つ向こうを見れば、やはり起きている、俺と幼馴染みの志真珊瑚しまさんご尊顔そんがんである。

 艶々つやつやと輝く姫カットの黒髪。沖縄帰りだというのに、きめ細かな白い肌。まるまると豊かな胸の前で組まれた細い指。桜色の頬と唇。

 完璧である。生ける桜。神の偉業を思わせる抜きん出た容姿だ。幼稚園時代からずっと眺めてきた美貌がそこにある。

 これで放送部きっての美声の持ち主なのだから、俺以外にも心囚こころとらわれているやからが多いのは、当然のことだろう。

 中学にして早くも孤高となったことにより、俺は珊瑚さんごとの交流を失った。いや誰とも交流がなくなったから孤高なのか。どっちでもいい。

 孤高であることにはいくつかの代償だいしょうがともなう。その一つが、珊瑚との対話機会の消滅だ。しかたがないことだから、こうやって俺は遠くから見る。

 ともかく珊瑚は美人である。見れば癒やしになることは間違いない。

 ここは、修学旅行の苦行に耐えた自らに褒美ほうびをとらせることにしようではないか。

 と、毛羽立った気持ちを弛緩しかんさせ、鑑賞モードに入る。

 そのとき花連が、俺の視線をさえぎるように割って入り、こちらに背中を向けた。

 何をする、この無粋者ぶすいものが、と思う俺の前で、花連は珊瑚にがば、と抱きついた。

 唐突とうとつな行為に珊瑚は驚いて目を見開くも、ななな何と花連の身体を抱き締め返したのだ。


「花連、今日はまた一段と積極的だね、ね? どうしたのかな」


 珊瑚がつぶやく。傍で聞いている俺も身が震えるほどの甘い声だ。花連は頭を振りながら、


「珊瑚が可愛いからだっぺ」


 と、出身地の北関東弁で言って上半身をぐい、と押し付ける。珊瑚と対照的に、花連の声は素朴な感じがする。

 それにしても、何という破廉恥はれんちなことを俺の前で。実にうらやましい。いやけしからん。花連に押された珊瑚の胸が横にたわんでいるではないか。


「花連はまたがっしりとしたね。この身体で、沢山の部員を泣かせているのかな?」


 と、珊瑚が誤解を招きかねないことを言う。この場合の「泣かす」は空手部の練習で「負かす」の意味だろう。花連は、そんなことを男子に言われたら鬼のように食ってかかるくせに、珊瑚に対しては鷹揚おうように、


「そういう珊瑚はどこもかしこも柔らかいな」


 花連は珊瑚の脇やら胸の下やら腰やらと、くすぐりはじめた。珊瑚が、ひゃうっ、と色っぽい声を上げる。


「いやだぁ。やめてよ、花連っ」


 俺はただただ唖然あぜんとするばかりだ。

 花連が珊瑚と仲が良いのは言うまでもないが、教室ではここまでベタベタしていない。普段ふだん話しかけるのは珊瑚のほうで、花連はストイックに振る舞っている。

 しかし今日の花連はまるで違う。大胆だ。修学旅行ということで、特別はしゃいでいるのかもしれない。

 ふと、珊瑚と眼が合った。視線の先で珊瑚は、屈託くったくなく満面の笑みを浮かべた。

 俺は下を向いた。太陽を直視してしまったような気持ちがした。

 その後も二人は、白いほっぺたを互いにすりすり。くんくんと匂いを嗅いではいやん、うふふと百合百合ごっこしている。妬ましい。ぬうう。代わりたい。

 と、突然左眼の端でチカリと光るものがあった。

 左に人はいない。通路もない。あるのは小さな窓だけだ。

 無視して珊瑚を眺めようとするも、もういちどチカリ。さらにチカ、チカ、チカリと三連続。

 いいかげんうるさい。俺は珊瑚たちから目を離し、窓外を見た。

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