第70話 ガラ

 マクシミリアンは朝一でマルガレーテ・ローエンシュタイン銀行の倒産手続きをした。

 関係各所に倒産の申請を行い、それを完了させたのだ。

 だが、手続きの途中でマルガレータ・ローエンシュタイン銀行が倒産したという間違った噂が流れた。

 勿論、そうなるようにマクシミリアンが仕込んだのだが。

 そして、マルガレータ・ローエンシュタイン銀行株に成り行きで空売りの注文を入れた。

 日本のような空売り規制が無いので、単元数を気にせずに空売りが出来るのだ。


 倒産の噂に半信半疑であった仲買人たちは、大量の売り注文を見て慌てた。

 今の段階では現物の売りなのか、それとも空売りなのかは判断がつかない。

 だが、マルガレータ・ローエンシュタイン銀行にこれ程の売りが出ることなど過去にはなかった。

 前回の信用規制以上の売り圧力である。

 それに、昨日ゲオルグに追証が出たのは知っていた。

 それを納付したが、チェストの中身は確認していないらしいという噂は知っていた。

 経営者のゲオルグが追証を用意できない程の状態なのかもしれないのだ。

 さらに、マルガレータ・ローエンシュタイン銀行はマルガレータ一門の機関銀行である。

 経営者の資金繰りが苦しければ、貸し出している機関銀行も同じく苦しい事が多い。

 それなら倒産したのは間違いないだろうと判断して、保有する現物の売りや、新規での空売りを入れて顧客に連絡をするために急いで自分の商会へと戻っていった。


 なお、日本でも倒産した会社の株は即日取引停止になるわけではない。

 整理ポストに割り当てられ、一ヶ月程度の売買期間が設けられる。

 フィエルテ王国でもそれは同じで、整理ポストという表現ではないが、一ヶ月程度の売買期間は残されるのだ。


 こうなるとマルガレータ財閥や小麦にも売りが殺到した。

 噂を知らない投資家たちも、値動きの異変に気づいて慌てて売り始めたのだ。

 この日、金融商品取引所は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなったのである。


 だが、ゲオルグはその事をまだ知らなかった。

 マルガレータ・ローエンシュタイン銀行の融資先からの資金引き上げと、即時売却可能な資産の売却指示に追われて銀行の執務室にいた。

 イライラしながら行員たちに矢継ぎ早に指示を出していた。


「不動産は買い手がつくところから売れ。融資の回収はグループ企業でも手を抜くな。直ぐに返済できる分だけでも回収してこい!」


 指示を受けた行員が頭を下げて退出する。

 誰もいなくなった執務室で、ゲオルグはイライラして指で机をトントンと叩いていた。

 その時、持ち株を売ることを思いつく。


「そうか、株式ならすぐにでも売って換金できるな」


 そのことに思い至り、直ぐにヨーナス・M・七世を呼びに行かせた。

 すると、直ぐにヨーナスがやってきた。

 どう考えても呼びに行ったとは思えない速さだ。


「早いな」


 と知らせに来た行員に言うと、


「既にこちらに向かわれていたそうです」


 と返ってきた。

 そして、ヨーナス・M・七世が慌てた様子で室内に入ってきた。


「大変でございます。マルガレータ・ローエンシュタイン銀行が倒産したとの噂で市場は持ち切りになりまして、小麦どころかマルガレータ財閥の株に大量の売りが殺到しております」


「なんだと!」


 その報告を聞いて、ゲオルグは思わず椅子から立ち上がった。


「誰がそんな噂を。しかも、信じるバカ共までいるのか」


「はい。このままでは小麦相場を支えられなくなりますので、急いで伺いました」


 このままでは追証がさらにかかってくることになり、流石にチェストに釘を入れて納めるのも使えないと慌てたのである。


「噂を流した奴を見つけて処罰してやらんとな」


 ゲオルグはそう言ったが、頭の中にはマクシミリアンが浮かんでいた。

 しかし、同時に噂であれば直ぐに消え去り、無理な売り注文を出しているマクシミリアンは踏むことになるだろうと考えていた。

 そうゲオルグが考え込んでいると、行員が慌てて入室してきた。


「窓口に出金依頼の貴族が押しかけております!」


「なんだと」


 噂が噂を呼び、マルガレータ・ローエンシュタイン銀行には預金の引き出しを求める貴族たちが殺到したのだった。

 仲買人たちが自分を使ってくれている貴族たちに、追証の発生や本日の株の売り注文、それに倒産したという噂を伝えた結果である。

 マルガレータ・ローエンシュタイン銀行は貴族を相手にする銀行なので、行員たちも対応に困ってしまったのである。

 これが庶民相手ならのらりくらりと躱すことも出来たろう。


 ちなみに、マルガレーテ・ローエンシュタイン銀行は男爵個人の資産と、新規上場で売り出した株の売却益で貸出資金を賄っていたので、預金をおろそうとする人々が殺到することはなかった。

 金主から預かった金で高利の融資をする金融業者なのである。


 銀行というのは顧客から預かった金を貸し出して利益を得ている。

 なので、あまりにも預金の引き出しが殺到してしまうと、現金がないのでパンクしてしまうのだ。

 日本でも過去に預金の引き出しが殺到した時には、日本銀行が銀行に対して特別融資を行っている。

 しかし、フィエルテ王国には中央銀行はない。

 銀行の金庫にある現金は、ゲオルグがこれから小麦相場の巻き返しに使うために用意したものであった。

 それでも、貴族相手に金を持っているのに引き出しに応じなかったとなれば、今後誰もゲオルグだけでなくマルガレータ一門を信用しなくなるだろう。


「ヨーナス、持ち株を全部売りに出せ」


 ゲオルグは怒鳴った。

 その怒気に気圧されて、ヨーナスは泣きそうになりながらも報告をする。


「マルガレータ財閥の株は軒並みストップ安ですので、売りに出しても買い手がおりません…………」


「なんという事だ」


 ゲオルグは遂に万策尽きたことを理解した。

 そして、力なく指示を出す。


「小麦を売りに出せ。先物のポジションも解消だ」


「承知いたしました」


 ヨーナス・M・七世は急いで自分の商会に戻ると、ゲオルグの小麦のポジションの反対売買を始めた。

 遂に小麦の買い占めは終わり、高騰していた値段が崩れたのだった。


 当然そのガラをマクシミリアンも見ていた。

 場所は金融商品取引所の中だ。


「この売りは抱えていた現物を投げ売りしていますね」


 ヨーナスがマクシミリアンにニコニコしながら話しかける。

 マクシミリアンも笑顔だ。


「終わりだね」


 二人はマルガレーテ・ローエンシュタイン銀行の上場廃止手続きに来ていたのである。

 が、途中で小麦のガラが起こったのを知ると、急いでヨーナスに残りの現物の処分を指示して、自らは仲買人たちの前に現れたのである。


 そして、仲買人たちを見渡して


「小麦の買い占めは失敗に終わりました。これからは適正価格に戻ると思います。でも、その前に今まで出てこなかった現物と、僕の持ち込んだ現物が市場に出回るから、しばらくはかなり安い値段となると思いますよ」


 と宣言した。

 皆が慌てて小麦を売りに走る。

 この日の小麦先物はボリンジャーバンドで瞬間的に-6σという値を叩き出した。

 日本ではリーマンショックで-5σ、2020年の流行り病で-7σが観測されたことがあるので、この-6σの暴落がどのようなものであるかはわかるだろう。

 フィエルテ王国では全金融商品の中で歴代最高の暴落である。

 そして、本来であればリバウンドするはずの価格も、人々のパニック売りで戻ることはなかった。

 如何に吊り上げられた価格であろうとも、下落途中でのリバウンドはあるものなのだが、行き過ぎた恐怖は確率に打ち勝つ。


 ゲオルグは小麦のガラで被った損失が大きく、また、マルガレータ財閥の企業の株が軒並み暴落したことで、機関銀行としての色が強いマルガレータ・ローエンシュタイン銀行の経営は傾く事となった。

 少なくとも、新たな買い占めをするような資金を出すことは出来ない。

 引け後に倒産したのがマルガレーテ・ローエンシュタイン銀行であるとわかったあとも、翌日の取引で株価が戻ることはなかった。

 そして、融資先からの資金の引き上げで、マルガレータ財閥の経営が怪しくなることを投資家が理解していたからだ。


 こうして、マルガレータ一門によるフィエルテ王国の小麦相場の支配は終わりを告げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る