第58話 信用規制
ゲオルグの売りが始まって十営業日が経った。
しかし、提灯もついてマクシミリアンの狙い通りに値が上がっていった。
今日もヨーナス商会で注文を出しているマクシミリアンは上機嫌だった。
「日足のバンドウォークが始まって、ますます提灯もついてきたね」
「バンドウォークってなんですか?」
聞いたこともない単語にヨーナスが首をひねる。
マクシミリアンはニヤリと笑う。
「大父様の考案したテクニカルなんだけど、ボリンジャーバンドっていう値動きの確率を計算するものがあるんだ。値が上がりすぎた時に、そのままの価格を維持できる確率が低ければ売りを入れるって具合に、逆張りの指標として使うんだよ。だけど、新しいトレンドの発生や売り買いの勢いの強さを見ることもできる。バンドウォークっていうのはトレンドが出来ている一つの証拠だね」
そう説明したが、ヨーナスにはさっぱりだった。
ボリンジャーバンドは多くの場合逆張り指標としてつかう。
しかし、バンドが拡大し始めたときは新しいトレンドの発生を示す。
それに、バンドウォークと言って、σ(シグマ)に沿った値動きをする時も強いトレンドを示す。
特に今回は+2σなので、買いが買いを呼ぶ展開となっている。
これは日足(ひあし)の話で日中は日中足(にっちゅうあし)を見ながら売買をしている。
見せ板やクロス取引を繰り返しては上がりすぎず下がりすぎずを管理する。
しかも、それらは全て信用取引だ。
何故なら、マクシミリアンにはマルガレータ・ローエンシュタイン銀行を買い占めるほどの資金が無いから。
そして、それはゲオルグ側も気付く。
「ゲオルグ様、連中は殆ど信用買いですね。現物を買っていません」
ヨーナス・M・七世がゲオルグに報告に来ていた。
公開された手口では、その殆どが信用買いであった。
そのため、株主名簿の書き替えは少ない。
「どういうことだ?」
ゲオルグがヨーナスに説明を求めた。
「おそらくですが、資金が少ないので財閥企業でも時価総額の小さい会社を現物で買っていたのでしょう。そして、そちらも買い占めの可能性があると噂を流した。今回株価が5倍にもなっているところもありますので、そちらを種にして銀行を回転売買させていると思われます」
これは金のない仕手筋などがよく使っていた手で、不人気で流動性の少ない会社の株を現物で買う。
そして、売りがほとんど出てこないので、株価を吊り上げておくのも簡単なのである。
これをすることで信用余力が簡単に増やせる。
例えば10億円の資金があったとして、信用取引では30億円までポジションを持つことが出来る。
株券を代用すれば24億円だ。
だが、10億円の株が3倍まで値上がりすれば、30億の担保になるので、信用余力が72億円となるのだ。
資金がなければ小型株と大父マクシミリアンが言っていたのはこういう意味もある。
「しかしわからんな。それなら買い占めなど出来ぬだろう。経営権を握りたいのではないのか?」
ゲオルグはマクシミリアンの意図が掴めないい。
「回転売買をしながら資金を作っているのでしょう。いずれは現引きして大株主となるつもりかと」
「そうか。まあ、資金がないのであれば売り崩しよりも、信用規制をかけてしまったほうがよいか。明日から規制が入る用に買いを入れるぞ」
「承知いたしました」
ゲオルグは作戦を変えた。
信用規制をかけさせて、現物株を担保とした売買を出来なくしようというのだ。
増担保規制などともいい、必要担保を増やしたり、株による代用担保の制限をするものだ。
それに加えてまともな証券会社は規制当局から睨まれることを嫌い、規制の入った銘柄の自己売買をやめてしまう。
だから日本でもこの規制が入ると、売買が萎んで一相場が終わることが多い。
25日移動平均線からの乖離率が30%を3日連続で超えたときに規制が入るルールとなっていた。
ボリンジャーバンドの拡大と25日移動平均線の上昇には時間的な差が出るため、まだ移動平均線の上昇は緩やかである。
株価は1,832マルクで25日移動平均線は1,250マルク。
既に本日の終値で規制の条件の一日目をクリアーしていた。
翌日ゲオルグの指示を受けたヨーナスはマルガレータ・ローエンシュタイン銀行の株をどんどん買った。
当然それはマクシミリアンにも伝わる。
ヨーナスB商会で、板を見ながらマクシミリアンは眉間にシワをよせた。
「今まで売りが出ていたポイントで売りが出なくなったね。オシレータは全て買われ過ぎを示しているのに勢いが全く衰えない」
「こんな買い方長くは続きませんよ」
ヨーナスも珍しく険しい表情になっていた。
経営を賭けた融資をマクシミリアンにしてしまったので、いつものような余裕がなくなっているのだ。
「長く続けるつもりが無いんだろうね。この時価総額の株をガンガン買えるとなると、買っているのはマルガレータ一門かな。そうなると、僕らに株を買われるのが嫌で、先に出ている売りを全部買うつもりなのか、それとも信用規制狙いの買いか」
「信用規制狙いの買いですかね。私らが邪魔なんでしょうから」
「だろうね。折角だし有効に使わせて貰うけどね。ヨーナス、信用全力買いだ」
「いいのですか?」
ヨーナスは慌てた。
今までマクシミリアンは過熱感が出てくると冷し玉を入れてきた。
それはテクニカル的に下がるポイントでもあったからであり、売りを入れると面白いように勢いが無くなり、株価は下落したのだ。
今回それを無視して買うという。
「あちらの本尊がまだまだ株価を上げたいんだから、買わない手はないよ。過熱が続くことだってあるし」
実際に仕手筋が売り抜けをするときは過熱感など見ないで買い上がって提灯を呼び込む。
証券会社のディーラーなども、クライマックストップ付近では、過熱感は気にしないで売買していた。
安易な空売り筋が担がれて踏まされるのはそういう訳である。
「でも、天井が近いんですよね」
「そうだね。だから、一門の連中には売りぬけの指示を出す。明日迄に全部売るようにとね」
その言葉を聞いて、ヨーナスは驚きを隠さない。
「随分とお優しい」
「そうかな?マルガレータの奴らを叩くためには、今はまだ損をされては困るんだよ。そういう意味では、優しさなんて無いから。今よりももっとキツイ相場に付き合わせるつもりだからね。最後のときは助けないよ、多分僕にもそんな余裕はないと思うしね」
マクシミリアンは影のある顔をした。
投資は自己責任ではあるが、一門ですら仕手戦に巻き込んでおいて見捨てることに後ろめたさはあった。
全員を勝たせるなんてのは不可能であり、一門の誰かしらは損をするだろうと考えている。
実際に仕手筋でも本尊以外は余程の幹部でもない限り、本尊に振り回されて損をすることがある。
作者はが仕掛ける銘柄を聞いても、最初のふるい落としで投げさせられたりした者を沢山見てきた。
本尊もわざわざふるい落としだよなんて事は言わない。
それに、目標株価なんかも教えてはくれない。
そもそも、目標株価があるかも怪しいが。
「さて、明日は忙しくなるからね。今日は帰るよ」
まだ前場も引けてない時間だが、マクシミリアンは屋敷に帰ることにした。
「承知いたしました。またのお越しをお待ちしております」
マクシミリアンは屋敷に帰ると早速一門に宛てて、売り指示の書簡をしたためた。
そして、それを配るように指示を出すと、ブリュンヒルデとジークフリーデが待つサロンへと向かった。
が、その足取りは重い。
この時間からだと何時間拘束されるかわかったものではないからだ。
だが、ブリュンヒルデの口からは思っても見なかった言葉が出てきた。
「大相場を仕掛けている時なので、本日は何もいたしません。ジークフリーデにも言ってきかせました」
「えっ?」
マクシミリアンは肩透かしをくらい、思わず間抜けな返事をした。
「あら、マクシミリアンはしたかったのかしら?」
ジークフリーデはクスクスと笑う。
笑いながらもその目は氷のような冷たさを含んでいた。
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