第57話 貸株

 株価の上昇と異常な出来高の情報は当然マルガレータ・ローエンシュタイン家にも伝わる。

 マルガレータ・ローエンシュタイン家の当主ゲオルグ・フォン・M・ローエンシュタインはその情報を聞き、直ぐにヨーナス商会に買い手を探させた。

 ゲオルグは今年47歳になる。

 大母マルガレータから受け継いだ茶色い髪に、やや白髪が混じってきたが、精神的な老いは見られずまだまだ現役で一門を取り仕切っている。

 そして、ヨーナス商会のヨーナス7世が持ってきた買い手の情報を知ると眉間に深いシワを刻んだ。

 なお、こちらもヨーナス7世を名乗って入るが、ブリュンヒルデ・ローエンシュタイン家と付き合いのあるヨーナスとは別人だ。

 それぞれが正当な後継者を主張している。

 どちらも王都に店を構えているので、一般人は混乱する事が多かった。


「そうか、ブリュンヒルデの連中が買っているのか」


「はい。どうも、お互いの会社に手を出さない不文律を破ったようです。仲買人のあちらのヨーナス商会もルールを知らぬはずはありませんのに」


 お互いの会社に手を出さないというのは、最後の大母エリーゼが亡くなったあとに、一族の覇権をかけて争ったときに出来た決まりだった。

 大母同士は仲が良かったため、自分の子供以外も可愛がったので、表立った争いは無かったのだが、エリーゼが亡くなるとタガが外れた事で、市場での大きな争いとなった。

 それぞれが様々な会社に乗っ取りをかけては仕手戦になり、市場が混乱したので国王が仲裁に入りお互いに手を出さないということになったのだ。

 なお、今回の小麦の買い占めや地下資源の価格の押さえつけは、個別の家を狙っているとまでは言えないのでルールの範疇だと思っている。


「まったく、子供の躾をしなければならんとはな」


 ゲオルグはマクシミリアンを叩くつもりだったが、些か決め手にかける。

 流石に自分の会社の空売りは王国法で禁じられている。

 それが出来てしまうと、空売りをしてから意図的に倒産させることも可能になるし、倒産までいかなくとも業績悪化や悪材料が出る前に売り抜けが可能になってしまう。

 なので空売りが出来ないから、やるとするなら持ち株を売るか、貸株として貸し出して誰かに売らせるかだ。

 しかし、貸株ともなると普段は市場に出回らない株が出てくることになる。

 それは買収を仕掛けるほうとしては願ったりかなったりの状況なのだ。


「ヨーナス、私の持ち株を売りに出したとして、奴らに買い占める体力はあると思うか?」


「無いと思いますよ。今では時価総額も上がってしまい、さらに買い増しするには金額的に苦しいでしょう。領民への小麦の供給で財政は苦しいはずです」


「ふむ」


 ゲオルグは顎に手を当てて考える。

 マルガレータ・ローエンシュタイン銀行の株価は1,000マルク程度だった先週から、一気に1,400マルクへと4割も値上がりした。

 発行済み株式数は20億株。

 現在の時価総額は2兆8000億マルクになっている。

 ブリュンヒルデ一門が総力を結集しても、買い増しをしていけばさらに株価は上がってしまい、マルガレータ・ローエンシュタイン銀行株の買い占めは失敗するだろう。

 しかし、経営権を奪取するには全ての株を買う必要はない。

 半分を持っていれば実質経営を自由にできる。

 ただ、市場に出回っている株式数は50%までは行っていない。

 一門で株を押さえており他社に買収されないようになっているのだ。

 高値で買ってくれるならば、敢えて売り崩す必要もない。


「どうしたものかな。売り崩す必要もないが、やはり躾をしておくべきか」


 結局ゲオルグは貸株で売り崩すことにした。

 ヨーナス商会に持ち株を貸し出して、ヨーナスがそれを売る。

 なお、これは現物の売りになるので空売りにはならない。

 そして、売りの指示はゲオルグが直接出すことにした。

 大父マクシミリアンを尊敬し、常に相場は自分で張ってきたのだ。

 今回も自分でマクシミリアンを叩くことに決めて、ヨーナス商会に乗り込んで直接リアルタイムで指示を出す。


 そして、ゲオルグがそう決意した翌日、マクシミリアンはマルガレータ・ローエンシュタイン銀行の買い占めを宣言した。

 一気に提灯がついて株価は上がっていく。

 そして、そのほかのマルガレータ・ローエンシュタイン財閥企業の株価も一斉に上昇した。

 銀行を傘下に納めたら、次は他の会社だとばかりに先回りの買いが入ったのだ。


 ゲオルグはそれを見てほくそ笑む。

 彼は手に持ったマジックアイテムの石板を眺める。

 そこにはテクニカルチャートが表示されていた。


「若いな。ただ買えばよいという訳ではない。大父様が考えられたボリンジャーバンドでは既に2σを超えている。過熱しすぎて直ぐに失速するだろう」


 勿論、ボリンジャーバンドは地球で考えられたテクニカルであり、それを大父マクシミリアンがフィエルテに持ち込んだのだ。

 標準偏差=√(n×n日間の終値の2乗の合計-n日間の終値の合計の2乗)÷(n×(n-1))で計算されて

 1σの範囲内に収まる確率 68.3%

 2σの範囲内に収まる確率 95.4%

 3σの範囲内に収まる確率 99.7%

 という逆張りに使われる。

 そう秘伝の書に記載してあった。

 そして、その計算をリアルタイムで行うマジックアイテムを作って子孫に残したのである。

 ゲオルグは過去に行き過ぎた相場で、このボリンジャーバンドを使った逆張りで利益を何度も上げてきた。

 今回も勿論ボリンジャーバンドを使って売買するつもりだ。


 一方、マクシミリアンも自ら売買をリアルタイムで取り仕切っていた。

 そして、奇遇にも見ているテクニカルチャートはボリンジャーバンドだった。


「ヨーナス、誰かでかい売りを入れてきてるね。買われ過ぎると間髪入れずにでか目の売りが降ってくるよ」


「空売り筋ですかねえ?」


 ヨーナスは板を見ながらマクシミリアンにこたえた。

 板が表示されるマジックアイテムは大父の頃から変わっていない。


「問題はどんな理由で売ってきているのかだねえ。今使っているテクニカルに従って売ってきているっぽいけど、MACDやRSIなんかでも丁度いい売りポイントだからねえ」


 マクシミリアンは相手の売るタイミングが単なる勘なのか、それとも何かしらのテクニカルチャートを参考にしているのか考えあぐねていた。

 MACDやRSIも大父マクシミリアンが残したテクニカルである。

 それらもマジックアイテムに表示して、大きめの売りが出ているタイミングと見比べていた。


「やっぱりボリンジャーバンドかな。タイミングが毎回同じだし。となると、マルガレータの誰かが出てきた可能性が高いな。そうすると空売りではなく現物売りか」


「吸収しますか?」


 とヨーナスが訊ねた。

 マクシミリアンは頷く。


「この価格帯ならね。余力は?」


 マクシミリアンは信用余力を気にした。

 現金の手持ちが少ないので、どうしても信用取引の買いとなってしまうのだが、それ故に買い過ぎると追証の可能性が出てくる。


「あんまり無いですよ。1000億マルクくらいかな、値洗待ちですけど。融資いたしましょうか?」


「担保に株券は差し出さないよ」


「マクシミリアン様の体で十分ですよ。死ぬまで調味料を出してもらいます」


 ヨーナスはニコニコしながら言う。

 株券を担保に出さないというのは、折角集めた株券を担保に融資を受けたときに、貸し手がその株を市場で売ってしまうことがあるのだ。

 そうすれば担保の株が値下がりしても貸し倒れるリスクは減るし、お金を返済してもらえば市場で株券を買って渡すだけで済む。

 作者の知るバブル絶頂期の仕手戦では、銀行が本尊に融資をしたが、担保として差し入れた株券を市場で売却してしまったのだ。

 そして、本尊は借りた金で市場に流れてしまった自分の株を買っていた。

 自分の株とは知らずにだ。

 そして、本尊についていた提灯も売りにまわってしまい、仕手戦は失敗に終わったのだ。

 おそらく、融資した銀行は本尊の資金力を知っていて、仕手戦が失敗すると踏んでいたのだろう。

 そうでないと、担保の買い戻しで踏み上げになってしまうリスクを取ることは出来ないだろう。

 マクシミリアンもヨーナスが裏切らない保証は無いため、担保に株を差し入れるのを嫌ったのだ。


「提灯が投げたら支えられる資金はないし、その条件で借りるよ。大父様もそんな条件でお金を借りたって言われているしね」


「ブリュンヒルデ様との塩の仕手戦の時ですね」


 ヨーナスに融資を受けて、降ってくる売りを受け止めた。

 そして、そこからは回転売買で枚数を増やさずに株価を上昇させる。

 これが結構難しい。

 自分の買いで強さを演出し、買い注文が出てきたところで売りをぶつける。

 だけど、それは上昇のトレンドを崩してはならない。


「ボリンジャーバンドが逆張りだけではないというのを教えてあげないとね。ヨーナス、契約は成立だよ」


 こうしてマクシミリアンは追加の融資を受けて、ゲオルグの売りに対抗することになった。

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