第40話 過去の値動きと新たな危機
さて、材木の先物相場で価格が高騰し、現物との乖離が大きい事はわかった。
今は本尊の特定とその売り抜け方法がどのようなものかを調査している。
それと本尊への揺さぶりだ。
価格を動かして本尊のでかたを確認したい。
ただ、本尊の資金力がわからないので、ここで売りを仕掛けるようなことはしない。
買いで価格を動かして本尊の動きを見るのだ。
仕込みが終わっていない場合は、見せ板と呼ばれる約定させるつもりの無い注文で、大きな売りを出しておいて買い方の投げを誘う事もある。
そして、その投げを拾うためにこっそりと買い注文を出しておくのだ。
見せ板は売り注文に限ったことではない。
売り抜ける際には買いを誘い出すために、大きな買い注文を出して、これ以上下がらないぞと思わせるのだ。
勿論犯罪なのだが、割とよく見かけるやり方だ。
最近ではAIがトレードをしていることも多いのだが、AIもこれに引っかかったというニュースを見た。
ただ、個人投資家が手動でやると犯罪なのだが、証券ディーラーやAIがやると犯罪ではない。
ネット証券が普及し、その証券会社から提供されるツールでリアルタイムに株の板が見られるようになってからは、ムービング売り板という言葉が個人投資家の間でも使われるようになった。
これは巨大な売り板がどんどん下に移動して、買い方の投げを誘うやり方だ。
一定の株価まで下るとそこで売り板は消える。
クロス取引で消すこともあれば、注文が取り消されて消えることもある。
ネイキッドショートといって、持っていない株を無限に売ることが出来た頃は、こんな光景を頻繁に見かけた。
株式は先物取引と違って、持っていない株を無限に売ることが出来ない。
それは証券会社や機関投資家であっても同じであるというのが建前だ。
だが、現実には違う。
ジェイコムのIPOで売り出した株よりも多い株の売り注文が出されて、ストップ安で約定して溶け合いになったニュースでそれが明らかになった。
溶け合いとは、株式用語で市場がさまざまな要因で急激な混乱にさらされたときややむをえない事情がある場合などに決済不能に陥った場合、緊急手段として双方に一定の価格を提示し、決済することをいう。
売った株を買い戻ししようとすると、とんでもない高値になってしまうので、そういう手段が取られたのである。
なお、ネイキッドショートが禁止されていなかった頃は、中山製鋼所や鐘紡で発行済株式数よりも多い株が決済された事もあった。
今は空売りの規制が早く行われるようになったのは、中山製鋼所の仕手戦が原因である。
話を戻すと、先物取引では売りは無限に注文することが出来るので、本尊がまだ価格を上げたくないのであれば、売り注文を出してくることもあるだろう。
それが露骨であれば、まだ価格を上げたいという事の現れだ。
だけど、僕は魔法学園に通わなければならないので、昼間の取引は出来ない。
なので、それはブリュンヒルデとヨーナスに任せることにした。
朝、馬車に乗る前の見送りで、気合の入ったブリュンヒルデの鼻息が荒い。
「昼間はしっかり私がトレードいたしますわ。そのご褒美に週末はわかっておりますわよね」
「うん…………」
僕は引き攣った笑顔で馬車に乗り込むと、魔法学園へと向かった。
そして、馬車が走り始めると大きなため息をついた。
週末のご褒美とは、僕が女装してお茶会に出席する事だ。
ブリュンヒルデに強くお願いされて、つい首を縦に振ってしまった。
それで彼女のやる気が更に出るともなれば、そう思ったのだが、あとになって考えるととんでもない約束をしてしまったなと後悔した。
学園に到着してからも気は重く、ドミニク殿下がそれを見逃すはずがなかった。
「どうしたマクシミリアン。表情が暗いぞ。婚約者と喧嘩でもしたのか?」
「いいえ、夫婦仲は至って順調です。小川のせせらぎとでも言いましょうか、嵐の大海原ではありませんよ」
「それでは他のことか?人生の悩みなど金か異性か健康と決まっているからな」
この殿下も転生者か何かだろうか。
同年代の者と比較すると、人生を達観しているきらいがある。
「まあ、異性のことと言えなくもないですかね」
「そうか、マクシミリアンはまだ足りないというのか」
「足るを知るとは言えませんね」
釈迦牟尼最期の教えと言われる仏遺教経にも、足ることを知らない者は裕福であっても心が貧しいとあるが、投機家なんてものは足るを知らない生き物だ。
どんなにお金があっても、次も相場で稼いでやると意気込んで、相場に大金をつぎ込む。
僕ももう相場なんてやらなくても暮らしていくことが出来るのに、今もまた材木の先物相場に大金を投じようとしている。
死んだら閻魔様にどんな裁きを受けるのかわかったもんじゃないな。
ま、一度死んだときにそのご尊顔を拝見できなかったけど。
「四人目を娶るならば、三人とよく話し合うのだぞ」
「ドミニク、そうではないんだけど」
「では、愛人として囲うのか?」
まさか女装してお茶会に出席するとも言えず、言葉を濁しているので、殿下の勘違いもどんどんひどい方向に進んでいく。
「お気遣いなく。今はまだ他人に相談できるほど、ここのろ整理がついておりませんので」
「わかった、何かあったら相談してくれ」
「ありがとうございます」
そして授業が終わり屋敷に帰る。
ブリュンヒルデからトレードの報告を受け取るが、本尊の動きは無かったようだ。
100枚の買い玉と回転売買のせいで、また先物価格が上がってしまったと聞いた。
「教会の方はどうなの?」
「お父様にもお話して動いてもらっております。こちらはお父様の方が適任ですので」
「そうか。今日も書庫で過去の値動きの記録を読むからね。食事が終わったら直ぐに書庫に行くよ」
「ええ。他の二人もマクシミリアンの調べ物が終わるまでは我慢すると言ってくれました」
「ありがとう」
そう言ってブリュンヒルデに軽く触れるだけのキスをした。
三人が聞き分けがあって助かる。
性欲が強いようでいて、我慢するべき時は我慢してくれる。
見境なしにという訳ではない。
ただ、溜まった分を一度に発散されるとなると、僕の体が保たなそうだな。
マクシミリアンが再び書庫にこもった頃、アンネリーゼはカール王子とギルベルトと一緒にいた。
王宮にあるカールの部屋にアンネリーゼとギルベルトが呼ばれて来ているのである。
「オットマーの事を助けられなくて無念だ」
ダンっとカールがテーブルを叩いた。
カールはここ最近はオットマーのしでかしたことの後始末で、とても忙しい日々を送っていた。
その内容は主に派閥の引き締めである。
ローエンシュタイン家を継ぐはずだったアルノルトが廃嫡され、近衛騎士団長でるヒンデンブルク侯爵が失脚してしまったので、他の有力貴族たちが離反しないように毎日彼らと面会をしていたのだ。
そのせいで、アンネリーゼに会う時間が取れず、とても機嫌が悪かった。
そんなカールの手をアンネリーゼがそっと掴む。
「殿下、オットマー様のことは私も胸が張り裂ける思いです。聞けば、またあのブリュンヒルデが動いていたとか。殿下に捨てられた事への逆恨みだとしたら、次に狙われるのは私かもしれません。怖いです」
「大丈夫だ。アンネには指一本触れさせはしない。アンネの家には常に警備の兵を配置してある」
アンネリーゼは婚約者となったことで、カールから屋敷を与えられ、今はそこに住んでいた。
本来であれば結婚して王宮で一緒に暮らしているはずであるが、ドミニク派の貴族が国王にアンネリーゼの危険性を進言した結果、未だ結婚の許可がおりないのだ。
「ブリュンヒルデは俺が教会の力を使って叩き潰してやるさ」
ギルベルトがそう言ってアンネリーゼの肩に手をかける。
「ギルベルト、お前の父は教皇選挙前で、下手に動いてスキャンダルにでもなるとマズイのではないか?」
カールがギルベルトを見た。
ギルベルトはうなずく。
「はい。だが、選挙が終われば父は教皇としてまた絶大な権力を振るうことができます。シェーレンベルク公爵といえども教会には敵いません。ブリュンヒルデを必ずやヴァルハラに送ってやります」
ギルベルトは自信満々にこたえた。
そこにアンネリーゼが毒蛇のような笑みを浮かべる。
「それでしたら、私達がオットマーを失った悲しみと同じものを味わって貰うためにも、彼女の婚約者を先にヴァルハラに送って差し上げるのがよろしいかと」
「そうだ、それがいい。アンネの言う通りだ」
カールがアンネリーゼの意見に賛成した。
そして、ギルベルトも賛成する。
「確かにそうですね。アルノルトには申し訳ないが、彼の弟にはあの女に絶望を味わってもらうためにも死んでもらいましょう」
こうしてマクシミリアンの知らないところで、新たな危機が生まれようとしていた。
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