第37話 結末
オットマーはエルマーの店を手に入れた。
しかし、そこにはエルマーもおらず価値は無かった。
そんなものを90億マルクも使って手に入れたオットマーは金策に走ることになった。
といっても、体面を重んじるヒンデンブルク侯爵が、不足金を肩代わりして、オットマーが借金奴隷に落ちるのを防いだのだ。
オットマーもカール王子にお願いするか、父親にお願いするかで父親を選択したのである。
当然、ペナルティ無しというわけには行かず、連日近衛騎士団で父親にしごかれているそうだ。
当然、カール王子やアンネリーゼと遊んでいる時間は無くなった。
それどころか、ヒンデンブルク侯爵からアンネリーゼへの接触禁止が言い渡されたとか。
「でも、まだヒンデンブルク侯爵家はカール王子派でそれなりに力があるのよね」
ブリュンヒルデの表情は曇っていた。
オットマーをアンネリーゼから遠ざけることには成功したが、アルノルトと違って廃嫡されたわけではない。
禊ぎを終えたらヒンデンブルク家の跡取りとして戻ってくる。
近衛騎士団長のヒンデンブルク侯爵はカール王子派であり、アンネリーゼを王妃教育でなんとかしようとしているそうだ。
決定的な証拠を突きつけて、アンネリーゼを表舞台から引きずり降ろさない限り、その支持をやめないだろうとの分析である。
「資産にダメージを与えたけど、元々近衛騎士団長としてカール王子を推しているから、資産が減ったくらいでは影響が無いということか」
僕の言葉にブリュンヒルデがうなずく。
丁度そこにエルマーの作った料理が運ばれてきた。
エルマーの新しい店舗に開店のお祝いを兼ねて、ブリュンヒルデ達と訪れているのだ。
今日はこの前味見をしたバター醤油のパスタが出てきた。
湯気に乗ったニンニクの香りが鼻腔をくすぐり、食欲を掻き立てる。
お好みで塩や黒コショウや柚子コショウを追加して食べるようにして、やや薄味に設定してきたようだ。
「マクシミリアン、唐辛子を出してくださる?」
ブリュンヒルデが追加の調味料を要求してくる。
「いいよ。どっちにするのかな。一味?七味?」
「一味でお願いしますわ」
ブリュンヒルデに一味唐辛子を作って渡した。
「あ、それなら私は七味を」
それを見ていたエリーゼは七味を要求してきた。
すると、マルガレータも
「タバスコを」
と要求してくる。
みんなの要望を聞いて、頼まれた調味料を作り出した。
それを料理が終わってこちらに来ていたエルマーが見て、
「辛いのもいいかもしれませんね」
と顎に手を当てて考え込んだ。
僕も辛い料理は好きだし、ありかもしれないな。
料理を楽しんで、婚約者たちと会話を楽しんでからエルマーに支払いをして店を出る。
店を出て待たせてあった馬車に乗ろうとした時、突然お腹が熱くなった。
最初は何が起きたのか理解できなかったが、思考がやっと追いつく。
目の前には目を血走らせたオットマーがいた。
そして、自分がナイフで刺されたことに気づく。
鋭利な刃物で刺されると、痛いではなく熱いという感覚になる。
なにせ前世でも刺されて死んだから、そういうことはよく知っている。
二度と使いたくない知識だったけど。
「お前のせいでー@#$%*&¥」
どこかで聞いたセリフだなと思うくらいには余裕があった。
いや、多分脳から変な信号が出て、前世を思い出したのかもしれない。
フーフーとオットマーの息は荒いのが伝わってくる。
そして、次に狙われるのはブリュンヒルデだと考える時間もあった。
ブリュンヒルデは守らなければと、指先に魔力を集めるとオットマーの体内の塩分を消去した。
そのままオットマーと二人で抱き合うように倒れたところで意識が途切れた。
目が覚めるとそこは
「見知らぬ天井…………でもないか」
自分の部屋だった。
ベッドに寝かされていたらしい。
どうやらまた転生した訳ではないようだ。
顎を触ってヒゲの伸び具合で日数を測ろうとしたが、顎はすべすべしていてヒゲは生えていなかった。
まだ14歳だから大人だけどヒゲは生えてないんだった。
ま、あれから30年とかいう展開では無いのはわかった。
それに、刺されたときと殆ど変わらないブリュンヒルデが隣にいたから、そんなに時間が経っていないのはわかっていた。
そう、ブリュンヒルデがベッドの横で僕を見ていた。
それ程変わらないと言っても、目の下にはクマがあって髪の毛もボサボサだ。
やつれたという表現がピッタリかな。
「ブリュンヒルデ疲れてる?なんだかとてもやつれているけど」
「マクシミリアン…………」
ブリュンヒルデは椅子から立ち上がると、ベッドの上に乗ってきた。
そして僕の手を取って泣き始める。
体を起こしてブリュンヒルデの背中に掴まれていない方の手を回して抱き寄せる。
「心配かけたね」
「…………はい」
ブリュンヒルデはその後何も言わずに泣き続けた。
部屋の中には彼女の生き方すすり泣く声だけが響いた。
僕は彼女が泣き止むまで、ずっとそのままの姿勢で抱き続けた。
どれだけ時間が経っただろうか。
ブリュンヒルデは泣き止んで落ち着きを取り戻した。
「僕はどれくらい寝ていたの?」
「今日で5日ですわ。もう目を覚まさないのかと思って」
そこでまたブリュンヒルデの瞳が潤んできた。
「結構寝ていたね。その間ずっと看ていてくれたの?」
「最初はずっと看ていましたけど、エリーゼとマルガレータと交代で看ることにしましたの。ずっと起きてはいられませんから。でも、結局3人とも眠れなくて」
ブリュンヒルデの目の下のクマはそういう事か。
随分と心配をかけたなあ。
ブリュンヒルデを抱き寄せて、頬と頬をくっつけた。
ブリュンヒルデの香水の匂いが心地よい。
「ありがとうね。ところで、傷が痛くないんだけど」
お腹の刺された場所に手を当てると傷がない。
刺されたことが嘘のように、なんの痕跡もなかった。
「治癒魔法を使えるお医者様に治していただきました。でも、意識は戻らなくて…………」
「あ、魔法か。凄いな全く傷が残ってない」
自分の体をペタペタ触る。
現代医学よりも遥かに凄い。
これなら指が無くなっても、綺麗に生えてくるんじゃないかな。
流石にそれは無理かな?
そんなことを考えていたら、ブリュンヒルデが慌ててベッドから降りる。
「エリーゼとマルガレータを呼んできます。二人もとても心配していて、殆ど寝ていない筈ですから」
パタパタと走って部屋から出ていってしまった。
そして、戻ってくる跫音が聞こえた。
それも三人分。
「マクシミリアン!」
「マクシミリアン様!」
エリーゼとマルガレータがやってきて、僕の顔を見た途端に泣き出す。
これはブリュンヒルデと同じだな。
そして、顔のやつれ具合もブリュンヒルデに負けず劣らずだ。
ベッドの上で上半身だけ起こしていた僕のところにやってきて泣いている二人を両脇に抱えて、ブリュンヒルデの時のように泣き止むまでそのまま抱き続けた。
ブリュンヒルデはベッドの横でそんな二人をじっと見ている。
先程まで自分がやっていた事なので、二人をそのままにしているのだろう。
「心配かけたね」
「はい」
マルガレータはコクリとうなずいた。
対象的にエリーゼはいっそう激しく泣き出す。
「もう、目を…………覚まさないかと……ウッ、本当に…………よがっ……た」
そんなエリーゼの頭を優しく撫でる。
エリーゼは体を僕にあずけてきたので、僕は堪えられずにそのまま背中からベッドに倒れ込んだ。
エリーゼの顔が僕の顔のすぐ横に来る。
口の隣に彼女の耳があるので、その耳に赤子をあやすように優しく囁きかける。
「心配かけたね」
「はい。ずっと眠れぬ夜を何度も過ごしました」
「もう大丈夫だから」
「私はマクシミリアンに助けてもらってから、ずっと……ずっとこの身を捧げるつもりで生きてきました。お願いですから私より先にヴァルハラへ旅立つことはおやめください」
「うん」
エリーゼが今日はいつもよりも愛おしい。
他の貴族が政略結婚した相手をどう思っているのかわからないが、僕は婚約者たちがとても好きだ。
愛をどう表現したら良いのかと言うのはあるが、泉鏡花の言うように完全なる愛は「無我」のまたの名なりなのかもしれない。
それならば、僕は婚約者を守るため凶刃に身を挺して立ち向かうことも厭わない。
自分の命も彼女たちのために差し出すことが出来る。
でも、彼女たちはそれをよしとしない。
僕のことを案じて、こうして何日も眠れぬ夜を過ごしているのだから。
死別したら後を追いかねないなと思う。
つまり、僕たちは愛を体現しており、逆に政略結婚して夫婦仲の冷めている他の貴族には愛はなく、結婚は愛の最終的な形ではないという泉鏡花の書いたとおりになっているわけだ。
余談ではあるが、そんな愛につい書いた泉鏡花が、細君の手料理しか食べられず、細君が病気でも料理を作らせたというのは納得がいかない。
泉鏡花が嫌いになったエピソードである。
本人は豆腐という文字が気持ち悪くて豆富という当て字を考えるくらいの潔癖症で、細君以外の触った料理を食べられなかったそうだが、それでもねえ。
両脇にエリーゼとマルガレータが寝転び、イチャイチャしていたら、ブリュンヒルデが待ちきれなくなったようで、オホンと咳払いをした。
僕たち三人はブリュンヒルデの方に首を向けた。
「マクシミリアンの意識が戻ったので、あれからの事をお伝えいたしますわ」
「お願い。僕も寝ていた間のことは気になるから」
起き上がろうとすると、ブリュンヒルデはそれを手で制した。
体調を心配してくれて、寝たままでいいと言う。
そしてブリュンヒルデもベッドに上がってきて、僕の隣に寝転がった。
「まず、オットマーですが処刑されました」
「あ、僕の魔法で死んだ訳じゃなかったんだ」
濃度を調整する余裕は無かったが、それでも僕の魔法はオットマーの命を奪うことはなかった。
無意識で手加減していたのかな?
「はい。気絶していたところを拘束して、その後回復を待って取り調べをしましたが、現行犯でしたのでヒンデンブルク侯爵もどうすることもできませんでしたわ」
決闘でもなくて、単なる暗殺ともなれば反論の余地も無いか。
同情は全くしない。
僕が相場でルールを破っていれば、また違ったのかもしれないけど、どこにも違法行為はないからな。
「ただ、オットマーの処刑だけでは収まりがつかなかったのが、私の父とローエンシュタイン辺境伯でした」
「義父と父が?」
「はい。嫡子が他の貴族に暗殺をしかけたのですから、ヒンデンブルク侯爵にケジメをつけるように迫りましたわ。ヒンデンブルク侯爵は53億マルクの賠償金と足りない分を侯爵の爵位で支払い、近衛騎士団長の職を辞しましたの」
「賠償金と爵位?」
そう聞き返す。
するとブリュンヒルデはニコリと笑った。
「マクシミリアンは寝ている間に侯爵になりました。賠償金も私が預かって保管してあります」
「結果的にはヒンデンブルク家が没落して、カール王子派の勢力が弱まったっていうことか。ブリュンヒルデの目的は達せられたじゃない」
そう微笑みかけたが、ブリュンヒルデの表情は月の出ていない夜のように暗い。
「私のやることにマクシミリアンを巻き込んでしまい、これでいいのかとこの5日間ずっと悩んでおりました。婚約を解消して、あとは私だけでアンネリーゼの勢力と戦えば、誰も巻き込まなくて済むのかなと何度も何度も考えて。でも、私マクシミリアンと離れたくなくて」
気付けばブリュンヒルデはまた泣いていた。
マルガレータが視線で「慰めてあげて」と訴えてくる。
僕は体を起こすとベッドの上に正座した。
そして、ブリュンヒルデも抱えあげて正面に座らせる。
「ブリュンヒルデ」
僕はできる限り優しく子犬を抱くような感覚でブリュンヒルデに語りかけた。
「はい…………」
彼女は赤いダイヤのようになった瞳でこちらを見る。
「前に言ったかもしれないけど、僕は相場には哲学が必要だと思っている。哲学は信念とも言い換えられるかな。僕は自分の愛する人のために相場を張る。それは信念だ。ブリュンヒルデが悩むなら、僕から言わせてもらう。僕は死ぬまで貴女のために相場で戦い続けたい」
「私はマクシミリアンが傷つくのを見たくない。これからアンネリーゼがどんな攻撃を仕掛けてくるかわからないの。そんなところにマクシミリアンを巻込みたくない」
「それなら僕だってブリュンヒルデがひとりでそんな危ない事をするなんて堪えられない。でも、やめてってお願いしてもやめないよね。それなら、一緒に戦うよ。僕がブリュンヒルデを見捨てて、エリーゼとマルガレータと一緒に暮らすなんていう選択肢はない」
「でも、それでこうしてマクシミリアンは死にかけたのですよ」
「死ななかったじゃない」
「次はわからない」
「大丈夫、次はもっとうまくやる」
「でも…………」
煮え切らない態度のブリュンヒルデの口を、僕の唇で塞いだ。
ブリュンヒルデは僕の突然の行動に、驚いて目を丸くする。
が、直ぐに目をつぶって受け入れてくれた。
僕は息が続く限り、強く唇を押しあてた。
そして、苦しくなったところで唇を離した。
「僕は婚約者を見捨てたりしない。それに、そんな理由で僕との婚約解消をするのも認めない。ねえ、知っている?僕は強欲なんだよ。一度手に入れたものは決して手放さないんだ。ブリュンヒルデの事はもう手放さないからね」
そう言ったら、ブリュンヒルデに抱きつかれてそのまま押し倒された。
ブリュンヒルデが馬乗りになる。
俗に言うマウントポジションってやつだな。
彼女は僕を見下ろして
「今後もっと、もっと危険な目にあっても?」
そう訊いてきた。
「構うもんか。どんな危険が迫ってきても、全部踏み潰すよ」
「マクシミリアンが目を覚まさなかったらとずっと考えていて、怖くて、不安で、もう二度とこんな思いをしたくないと思った」
「うん」
「私が巻き込んだ結果だと思うと、胸が張り裂けそうで苦しかった」
「うん」
「マクシミリアンが目を覚ましたら巻き込んでしまったことを謝ろうと思っていたけど、怒られるのが怖くて、見捨てられるのが怖くて、結局謝ることが出来なかった」
「怒らないし、見捨てないよ」
「信じてもいい?」
「勿論、逆に僕だってブリュンヒルデに見捨てられないように頑張る。清算日を迎えるごとにもっと信頼されるようになっていきたいんだ」
そう言ったらブリュンヒルデはプッと噴き出した。
「こんな時まで相場に例えないでくださる」
「性分ですから」
「はいはい、ブリュンヒルデも泣き止んだならマクシミリアンの独り占めはおしまいね」
とエリーゼが割って入ってくる。
「マクシミリアンは五日間私たちを心配させた罰として、今夜は寝かせませんからね」
エリーゼは獰猛な肉食獣のような表情で、今にも飛び掛かってきそうな雰囲気を纏っていた。
「エリーゼも寝てないんだから、今日くらいゆっくり寝たほうがいいよ」
「それは明日の朝にします。今からマクシミリアンはわたしに食べられちゃいます」
そうは言うが、まだ日は高い。
いったい何時間するつもりなのだろうか。
逃げたいところだけど、ブリュンヒルデが上に乗っていて身動きが取れない。
「あの、まずはお風呂に」
「はい、お風呂でまずは」
会話がずれているなと思ったが、指摘したところで何も状況は変わらないと観念して、婚約者三人に引きずられてお風呂に連れていかれる。
途中すれ違うメイドたちがぎょっとしていたが、僕は笑顔でその横を通り過ぎた。
今日くらいは仕方がないか。
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