8 澪標エゴイスト(7)

「騎士学校時代にもわたしは数えきれないほどおまえのやり方に文句をつけていたし、最終的には和議にも反対した。さぞ邪魔だったんだろう。だから斬った。違うか」

「違うも違わないもない。それがおまえの導き出した結論なら、それがおまえにとっての真実ということだ。いちいちおれと示し合わせる必要などなかろう。それとも、おれの考えとおまえの考えが一致していなければならない道理でもあるのか? それぞれの考えがあって当然だ」

「そう、かもしれない。だけどテオリア、それならおまえの考えを話してくれたっていいはずだ」


 わたしはテオリアのまくりあげた袖口を掴んだ。


「わたしはおまえを尋問したいわけじゃない。責めたいわけでもない。ただ知りたいだけなんだ。なあテオリア、わたしのことが憎いから斬ったのか? おまえの思いを、考えを聞かせてくれ」

「……おれの思い? おれの考え?」


 テオリアは乾いた笑いをもらして、わたしの手を払いのける。


「そんなもの、とっくのむかしに捨てた」


 テオリアは調理台に両手をついて、心底疲れ切ったようにうなだれた。うしろへ撫でつけていた前髪が垂れ落ちる。その隙間から、険しい眼差しが覗いた。真正面を睨みつける瞳。それはあの日見せた憎しみの色をしていた。


「テオリア……」

「おまえがただのルーチェでいてくれたら、おれはこんな貧乏くじを引かずに済んだのかもしれない。そう考えると、たしかにおまえが憎らしいよ」


 薄い頬にしわを寄せ、テオリアは諦めにも似た苦笑をこぼした。途端にわたしの胸はざわつく。


「どういうことだ。ただのルーチェって、……それは青騎士の称号のことを言っているのか」


 テオリアは返事をしなかったが、否定することもしない。


「わたしが青騎士だったことと戦争の結末に、いったいどんな関係があるというんだ」

「いまさら過去を掘り返してどうなるものでもない」

「ちがう、すこしも過去なんかじゃない」


 わたしはみずからのシャツをひらいて、首もとをあらわにした。


「わたしたち自身がきちんと向き合わない限り、過去にはならない」


 斬られた傷はきれいに塞がり、痕すらない。だからといって、わたしとテオリアのあいだに起こったことは消えない。

 しかしもし、テオリアがわたしを憎く思っていたわけではなく、わたしが青騎士であるがゆえ斬らねばならなかったのだとしたら……。

 あのとき斬られたのはわたしだけではなかったことになる。

 テオリアの傷もまた百年をかけて薄れ、無理なく癒されたのならそれでいい。だがそうやって乗り越えたひとが、はたしてこうも頑なな態度をとるだろうか。

 傷は、まだ癒えてはいないのだ。じくじくと疼きながら、血を流し続けている。終わっていない。テオリアはその痛みをずっと抱えているのだ。わたしのように眠っていたのではないのに、百年のあいだ、ずっと。


 わたしはテオリアの首すじに手を伸ばす。肩にかけていたブランケットが、ばさりと床に落ちる。指先でそっと肌に触れると、テオリアは不意をつかれたようにわたしを見おろした。

 不機嫌を絵に描いたようなテオリアの眼差しを見つめながら、わたしは百年遅れでその瞳の奥について考える。

 そこに、かつて見せた憎しみの影はない。

 そのことに気づいて、わたしは瞬きをした。


「つまりおまえは、わたしが憎くて斬ったわけではないということか」


 口に出してみてようやく、わたしはテオリアに斬られたことに戸惑っていたのではなく、疎まれていたかもしれないという不安に押し潰されそうになっていたのだと思い至る。


「ばかだな、おまえは」


 そう呟くテオリアの声にはいっさいの棘がない。


「ルーチェ、おまえはおれが憎くはないのか。たとえどんな理由があったにせよ、おれはたしかにおまえをこの手で斬ったんだ」

「わかってる。そのことは、よくわかってる……。でもわたしは、テオリアに疎まれていないのなら、もう、それでいいと思えて……」


 テオリアは足もとのブランケットを拾いあげると、大きく広げてわたしの肩を包み込んだ。背をかがめてわたしと視線を合わせると、わたしの頬に残っていた涙の跡を手のひらで強くぬぐった。その手は乾いていて温かく、遠いむかしを思い出させた。


「食事にしようと思っていたが、先にけりをつけておこうか」

「なんの話だ」

「おれはなにも、昔話をするためにおまえを探させたわけじゃない。おれにはおれの事情があっておまえが必要だった。ついてこい」


 テオリアはわたしの腕を掴んで、キッチンの奥へと向かった。

 パントリーと倉庫が一緒くたになったような部屋の隅に鉄製の無骨なドアがある。テオリアはその前でわたしから手を離した。


「開けろ」

「は? おまえの家だろう。どうしてわたしが」

「おれでは開かない」

「なんだそれは。鍵穴が錆びたとかそういうことか。だったらわたしにも無理だ」

「いや、おまえにしか開けられない」

「はあ?」


 わたしが片眉をあげて睨みつけると、テオリアは心底困り果てたように頭を掻いた。


「おれに噛みつくな。苦情はフィオーレに言ってくれ」

「フィオーレもここにいるのか」

「ああ。おそらくこの向こうに」

「おそらく……?」

「あのハイブリッドにおまえを連れて来させろと言い残してドアの向こうへ行ったきり姿を見ていない」

「このドアはもとからここにあるものなのか」

「そうだ。政庁の外階段に繋がっている。フィオーレがこのドアの向こうへ行った日から、その外階段はすっかり消えてしまったが」


 かつてのわたしならテオリアにからかわれたと憤慨しただろうが、悪魔と共存する世界を知ったいま、階段が消えるはずないと断言することはできなかった。


「まるでパルコシェニコだな」

「ここは龍王が配下に建てさせたものだ。悪魔の力が加わっているという点であの劇場とそう大差はない」

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