28. 赤い結晶 - Red Pill -
「警部にも迷惑かけたな」
雑談の内容が先日の事件のことになったため、アーロンは隣に座っているノアに話しかけた。
「本当だよ。いきなりお前にロンドンの外まで行ってこいって言われて、そのとおりにしたらマイク・コリンズが見つかるし、コリンズはコリンズで監禁されてたって言うし、そのあともめちゃくちゃ忙しかったんだからな」
横に座る元上司は、あからさまに口を尖らせる。
今日彼をペンドラゴンに呼んだのは、先日のネイサン・ダンが引き起こしたと思われる事件に際し、容疑者であったマイク・コリンズへいろいろと便宜を図ってくれたことに対する礼を兼ねてだった。
ネイサンと交戦した次の日には個人的に呼びだされ、彼から事情聴取を受けたアーロンだったが、そのおかげで、コリンズが悪魔憑きである可能性などを含め迅速に伝えることができた。いったん拘置所に送られたとはいえ、コリンズの処遇が好転したのは、ノアの計らいがあってのことだ。それを彼も理解しているため、ちゃっかり店で一番高い紅茶とケーキを注文していた。
「お前、どこから関わってたんだよ」
「どこからって言われても、俺もよく」
「なんだよ。どうせ説明が面倒なだけだろ。まぁ早合点して冤罪を生むようなことにはならなくてよかったけどよ」
「それなら、コリンズは大丈夫そうなのか」
「あぁ。カムデンにあるネイサン・ダンの部屋を家宅捜索したら、女をこう、なんつーの。いたぶる感じの? けっこう過激な雑誌とかビデオが山ほど出てきたんだよ。いやべつにそれ自体が証拠ってわけじゃないが、まぁ心証は傾くよな」
「あと、被害者とネイサンの関係だけど。最初の被害者とは付き合ってたらしいんだ。聞き込みしてもふたりで居たところを見たって情報がほとんど出てこなかったから、定かじゃあないんだが。赤の他人ってわけではなかったらしい」
ノアのその話に、アーロンは首をかしげた。
「恋人の存在は週刊誌にも載ってたが、順調だったって書かれてた気がするが」
「だから、二股かけられたってことだろ」
「あぁ」
あの夜にネイサンがそんなふうな話をしていたことを、アーロンはようやく思いだす。
「そんで、
なるほど、とアーロンは首肯した。同僚や、かつて同僚だった人間には捜査の手がすぐに及んでも、店を出入りしていただけの業者の、しかもその人物はすでに辞めていて、昔の話となれば、捜査網が広がるまで時間を要するのもうなずける。
「なにより、決定打になったのはやっぱりあの遺体だ。まさか母親が床下から見つかるなんてな。その母親に虐待されてたってんだから、根が深い話だぜ」
どこか遠くを見つめるような、やるせない、といった表情でノアはつぶやいた。
「そっちの捜査は……さすがに難しいか」
「まぁな。十年以上前の遺体だ。手掛かりなんてまず残ってない。個人的に、親殺しまでネイサンの仕業だとは決めつけたくないんだけどな。子どもに殺されるなんて、親としては悲しすぎるだろ」
横顔から察せられるノアの表情は複雑だった。
重い空気が店内に満ちる。
店の雰囲気を壊さない程度に流れている有線のポップスも、どこか遠くで響いているように聞こえてくる。
「子ども、ね……そういや、どれくらいになったんだ?」
これ以上黙ったままでいるのは居心地も悪く、ちょうど話題を切り替えるタイミングだと踏んだアーロンは、子どもという言葉をきっかけに口をひらいた。それに対し、ノアはぱぁっと表情を明るくさせる。
「お、見たいのか?」
「いや」
「おいおい遠慮すんな!」
やっぱり話を振るんじゃなかった、と後悔したときにはもう遅く、ノアはごそごそと懐を探りはじめ、コートの内ポケットの中から一枚の写真を取りだした。
「ほれほれ括目せよ!」
「見えっ、見えねぇっての!」
目と鼻の先に突きつけられ、アーロンは思わずのけぞる。取っ組み合いのようなやり取りを交わしてから、ようやくカウンターに置かれた写真に目を落とした。写っているいるのは、ベッドに寝かされている赤ん坊。薄いピンクのベビー服に身を包み、くりくりとした目をしっかりとこちらへ向けている。
「どうだ可愛いだろぉ。七ヶ月になった」
「もうそんなに経つか。生まれたって聞いたのがほんの先日だった気がするが」
デレデレ、という言葉がぴったりの顔つきで語るノアに苦笑いしながら、アーロンは返した。浮かれすぎだと言いたくなるが、野暮なことは口にはしない。なにせ、そろそろ四十路になろうかという男の初子、しかも女の子だ。
結婚自体遅く、独身を貫くのではと職場でも囁かれていた男が、前触れもなくひとまわりも歳下の女性と結婚し、スコットランドヤードに激震が走ったことは記憶に新しい。
「人見知りがはじまってさぁ。俺の顔見て怪訝そうな顔するんだよ。さすがに泣かれはしねぇけど」
「家に帰ってないからだろ」
「仕事が忙しいんだから仕方ねぇじゃん! 俺だってできるだけ帰るようにしてる!」
ガバッ、と追いすがるように顔を寄せてくる元上司を、落ちついてくれ、と手で制す。
「赤ん坊が母親にべったりなのはどこも一緒だろ。オヤジは文句言わずに金稼いでこいってことだ」
「まぁその人見知りしてるところも可愛いんだけどなぁ」
フォローした甲斐がない。
愛娘の写真にキスの嵐を見舞っている元上司から視線をそらしつつ、アーロンはペンドラゴンにやってきたもうひとつの理由を思いだす。
「あぁそうだマスター。頼まれてたモン、回収してきたぞ」
懐から、小さな正方形のナイロン袋を取りだす。
チャックでしっかりと閉じられた透明の袋の中には、赤い粉末が封入されている。
それをヴォルフガングに手渡すところを横目に見ていたノアの顔つきが変わった。
「オイそれ、最近
「あぁ、そうだけど」
「お前な。現職の刑事の前で見せびらかすモンじゃねぇだろ」
「すみません。私が回収をお願いしたんですよ。少し気になることがありまして」
けろっとした顔で、大して悪びれもせずに認める元部下を諌めるノアに、ヴォルフガングが袋を受け取りながら弁明を挟んだ。
「気になること?」
「成分というか、まぁそんなところです」
「成分? マスター、変なこと企んでるんじゃないよな?」
「滅相もありません。調べたらすぐ警部に差しあげますよ。もちろん、使用などしませんので」
「俺が欲しがってるみたいな言い方はよしてくれ」
苦い顔をして手を払うようなしぐさを見せたものの、それ以上詰問するようなことはせず、ノアはおとなしく紅茶のカップに口をつけた。素直に警察に差しだすなら問題ないと判断したのか、それだけヴォルフガングを信用しているということではあるのだろう。
「マスター。これが少しは手がかりになってくれると思うか」
透明なビニールの中でキラキラと輝いている赤い粉末は、あの日、彼女が殺された日の記憶を想起させた。彼女の肉体が、赤い結晶となって砕け散った、あの赤とよく似ている。
「まだ、確実なことはなんとも。なにかわかれば、すぐにお伝えします」
「頼む。あと、マスターに聞きたいことが……」
「なんでしょう」
だが、ひらかれた口は言葉を発することはなく、アーロンは腑抜けた表情で固まった。
「……いや、ちょっと待ってくれ」
まるで記憶にぽっかりと空白が生まれたかのように、話そうとしていたことが口から出てこなかった。
先日、赤い粉末を手に入れたとき、あの夜に会った女が言っていたことが思いだせない。
復讐は誰の力も頼らずに成し遂げるべき。
それ以外にもなにか言っていたような気がするのだが。
カウンターを挟んでヴォルフガングが怪訝な顔をしていることに気づき、ごまかすように頭を掻いた。
「悪い、なんでもない。ド忘れしたみたいだ」
「そうですか? 思いだしたらまたどうぞ」
「あぁ、そうする」
そう言って、アーロンは手元のコーヒーに口をつける。そういえば、前にもこんなことがあったような気がする。が、勘違いだろうと大して気にも留めず、コーヒーと一緒に飲みくだした。
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